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 じゃあ、トレアンは人間の血も引いているってこと? そう思ったワルトブルクのドラゴン使いにとって、それは衝撃的だった。そんなことは自分達の町の人々からは教えられていなかった。彼女は仲間達に少し腹を立て、そのような事実をなかったことにしようとしていた彼らに憂いを覚えた。


「まあ、エンベリクはそのドラゴン使いが身ごもった子供を見ることはなかったんだけどな。だから、その次に女を取っ替え引っ替えしだしたのさ」


 昔の恋人も次の恋人もいきなり失ったんだから仕方ねえわな、とその人は言って、ローザにまあ頑張れやなどと励ましの言葉をかけてから去って行った。


 色々な人が、それから自分の前を通り過ぎて行った。それはコボルティアーナの商人だったり、こちらの町へ来ているドラゴン使いだったりと様々だった。コボルティアーナの宝石商人はわざわざ立ち止まって商品の中身を見せてくれた。深い青や緑に光る石は見ていて飽きなかったし、彼らの研磨や細工の技術も見事なものだと思えた。商人の一番の目玉商品は透明なようで多彩色に光る、親指の爪ほどの大きさの多角形の石だった。


「これを削るーのには苦労しまーした、何せ一番固ーい石だったね!」


 少々拙い言葉で苦笑しながら彼が言うので、ドラゴン使いも思わず苦笑しながら頷いた。商人は皆、こちらの言葉が話せるように教えられているようだった。


 それから、子供が何人か絡んできたので彼女は短槍を少しだけ触らせてやった。彼らはその柄の装飾を指でなぞったり、色々な質問を投げかけたりしてきた。


「ねえ、何歳くらいからこういうの使ってるの?」


 ワルトブルクのドラゴン使いは、男も女も十四歳になる年が来たらそれを振るうことになっている、と答えた。ドラゴンに乗るのは十六歳から十八歳のうちに始めることも教えてやった。その年齢になるまでは必ず親とともに騎乗しなければならないと決まっていた。たまに、上空で普段共に暮らしていない見知らぬドラゴンが襲ってきたりするからだ。


 以前トレアンがそんな話をしてくれたなあ、と思い出しながら彼女は子供達に話をしてやった。彼らの様々な色の瞳は全て同じような光をたたえていて、ドラゴン使いを懸命に見つめていた。


 レフィエールの兄は父と共にオーガスタに乗り空を飛んでいた。その時に、全く見知らぬ雄のドラゴンが噛み付くように襲ってきて振り落とされ、木に向かって落ちて死にかけるほどの傷を背中に負ったのだ。それを聴いた後に思わず彼女は彼の背をさすったのだが、その人は苦笑して大丈夫だ、痕はないとローザの手に触れて言ったのだ。無愛想だった彼がごくたまに見せる別の表情は、苦笑することぐらいだった。今は違うけれど。


 子供達が去っていくと、若い男が来た。その男はありとあらゆる言葉を駆使して彼女を口説こうとしたが、ありとあらゆる言葉と笑顔で撃退されてことごとく失敗に終わった。彼女は何やらすっきりした気分になって、笑いながら空を見上げる。色の薄い雲や濃い雲が流れていくのは美しく、水の音が爽やかだ。


 自分がいつも見ている人々の姿とは違う、金色や茶色や赤みがかったような色の髪に空や森のような色の瞳の人々を見るのは新鮮で、何処か不思議な感じがした。色々な方向へ行ったり来たりしている彼らは、こちらがぼうっと眺めているのに気付くと笑顔になって手を振ってくれる。


 と、一人の若い女が門に近付いてくるのが見えた。レファントへ抜けようとする客だろうか? その女は明るい微笑みと共に問うてきた。


「通ってもいいかしら?」


 その声で、ワルトブルクのドラゴン使いはその女が誰なのかを思い出した。明るい色で巻き癖の強い髪、天気の良い空のような瞳、形の良い鼻。炎の術。


 ローザは立てていた短槍をすっと下ろし、同じように明るく返した。


「ええ。よかったら、会いたい人を連れて来て貰うけど、どう?」


「いいの? じゃあ、テレノス=レフィエールをお願い出来るかしら。私の名前は、カレン」


 レフィエールと聞いて、自分の心臓がどくんと跳ね上がる。それを顔に出さぬように次の言葉を紡ぐのは難しかった。


「わかった、ちょっと待ってて」


 早口で言ってから彼女は光り輝く空間をレファントの方向へと抜けた。ちょうど目の前をヴィッテンベルクのリヒテルが歩いていたので、彼の名を呼んでこちらへと振り向かせる。


「何? ローザ」


「テレノスを呼んできて欲しいの、彼にお客さんだから」


「おう、わかった」


 自分より幾つか年下のヴィッテンベルクの弟は、すぐにレフィエールの弟を見つけて連れて来た。何処かへぶらぶらと去っていく彼を見送りながら、テレノスはワルトブルクのドラゴン使いに問う。


「客って誰だい、ローザ?」


 少しだけ口調が固いと思うのは気のせいだろうか? 自分はこのレフィエールの兄弟に未だによく思われていないのかと感じられて、彼女は心の中でこっそり舌打ちをする。それから、今の想いをすぐさま反省して目の前の人に柔らかな口調で答えた。


「カレン、って人からよ」


「あ……ああ、そっか。うん、行くよ」


 さっと身を翻して先頭に立って行こうとする彼の動揺した声音に、ローザは眉間にしわを寄せた。今の妙な反応は一体何なのだろう? 彼女の頭の中が、まるで自らの尻尾を追いかける仔犬のように速く働き始めた。トレアンと、あのカレンという火術士の若い女は互いに想い合っている。今、テレノスがカレンという名を聞いただけであのような反応をした。何か、兄の知らない所で起こったのだろうか?


 弟は兄の想い人を意識しているのではないか。


 ワルトブルクのドラゴン使いが後に続いて空間を抜けると、問題の二人は言葉で挨拶を交わしているところだった。その間には目に見えるくらいのぎこちなさが既に漂っていて、彼らは明らかに不自然だ。


「で、俺に何か用かい?」


「あ、そうそう。えっとね――」


 耳だけに集中しながら、最初に座っていた石に再び腰かける。短槍を立てて持ち、向こうの景色に視線をやった。だが、今更何を見る気もなかった。


「あの……トレアン、いつ帰って来るかなと思って。ほら、もう二十日以上経ったじゃない?」


 ローザは火術士の言葉の選び方に、いや話題そのものに呆れた。レフィエールの弟にとっても、色々な意味で兄の話題は一番避けたかったものに違いない。ぎこちなさの解消の為に会ったのだろうが、カレンは最初に何を話していいのか思い付かなかったのだろう、それは多分焦りと緊張だと思えた。


「ああ……兄さんはもしかしたら転移の術で帰って来るかもしれないけど、それだったらもう何日も前に戻って来ている筈だから……多分何処か別の場所に寄り道しているか、それとも、兄さんは変わり者だからオーガスタとのんびり空中散歩しながら今現在戻って来ている途中か、かな……」


 自分の中に火花が散ったような感覚を、ワルトブルクのドラゴン使いは覚えた。テレノスの口調は、どうでもいいことを喋る時のようなそれだ。どんな顔をしているのかとてつもなく気になって我慢出来なくなり、彼女はレフィエールの弟を振り返った。


「……そう、まだなのね。寄り道するとしたら一体何処かしら……」


 鳶色の瞳の影の中に、炎のように燃え上がる感情が見えた。引き結ばれた唇は、目を会わせようとしない相手への不満を抱いている。それが一体何なのか、彼女にはわかった。かつて自分もあんな顔をしていたし、今もそれがわかるような気がしていたからだ。


「さあ、俺にもわからない。というか、言いたいのはそれだけかい?」


 と、彼がそう言ってローザの背後の光の門をちらりと見る。慌てて盗み見るのをやめれば、カレンがこんなことを言うのが聞こえた。


「あっ、その……まだあるんだけど」


 語尾が嫌にはっきりと聞き取れたので、火術士がこちらを見たのだということが彼女にはわかった。自分がここにいるのを気にしていることが嫌でも推測出来て、てこでもここを動くものかとワルトブルクのドラゴン使いは決心する。


「ごめん、俺……アドルフに、呼ばれた時に、ここに連れて来られたんだ。あの人、待たせたら怖いから……今度にしてくれない?」


「えっ、テレノス――」


 ああ、上手く逃げた。槍の穂先を見上げてそこに映る景色を見ながら彼女は咄嗟に働いたレフィエールの弟の機転と嘘に感心し、そのままくるりと振り返って彼の後を追おうとする人間の若い女を見る。


「急いでいるんだ、また次の機会にしよう」


「ねえ、ちょっと待って――」


 テレノスが光の向こうに消え去り、こちら側には女二人が残された。差し伸べた手を下ろし、複雑な表情で火術士は言う。


「……どうして」


 ローザはカレンから目を離し、聞こえるように溜め息をついた。こちらを振り返る気配がしたので、あさっての方向を見たまま言ってやる。


「言葉が足りなかったんじゃないかしらね」


「……何で、そう思うの?」


 ドラゴン使いは彼女の方を向いた。


「テレノスがどんな顔してたか、見てなかったの?」


 自然と口を尖らせ、ワルトブルクのドラゴン使いは何も言えなくなってしまった相手に向かって喋り出す。


「私はテレノスの気持ちがわかるわ。あんなに近くにいるのに……気を遣われすぎてあんまりよくわかって貰えないんだもの。私がここにいようがいまいが、言いたいことは言うべきでしょ? きっと、あなたが言いたかったことはテレノスが言って欲しかったことだったと思うわ。門番が今日見たものを全部家の人に話すわけなんて、ないんだから。あなたなんてまだましよ、私なんか……二人っきりの時でも、トレアンから本音なんて聞かせて貰えなかった。一度も、ね」


 言葉は口の中で丸い団子のようになって、石畳の町の上にぽとりぽとりと重たく落ちていく。カレンの表情が別の方向にどんどん変わっていくのから目を離し、石と石の隙間を短槍の底でなぞりながら話すのをやめた。


「……トレアンのこと、色々知ってるの?」


 右肩に触りながら火術士は言った。ローザはそれに対して頭を横に振る。


「トレアンは、笑顔なんて見せてくれなかった。まるで、笑っちゃいけないって自分で勝手に決めているみたいだったわ。私は必死だったのよ、あの頃トレアンは……家族が二人もいなくなったんだから、どうにかして元気付けてあげたかった」


 でもね、と彼女は続ける。相手は黙ったままだ。


「トレアンはずっと違う所を見てた、だから私はその時彼が何を考えていたのかなんて知らないわ。だから、腹が立ったのよ……どうして、あんなに近くにいたのに、昔の話も聞き漏らすことがないくらいだったのに、唇の感触も知ってるのに……なのに、あなたが来てから」


 ワルトブルクのドラゴン使いは、再び人間を見た。それは一人の人間だった。


「あなたが来てから、トレアンは変わった。私の時は笑わなかったのに、今は……違う。何で私じゃ駄目だったの? 悔しいのよ。何で仲間の皆のことも……無視して、あなたに最初に心を開いたの?」


 カレンの表情は、今や何かへの悲しみに満ちてただ自分を見つめていた。その瞳の空のような色は、最早天気の良い日のように輝いてはおらず、深い湖の底のようでまたこちらをさらに悲しく、悔しくさせる。


「あなた……今でも、トレアンのこと?」


「ええ、そうよ。好きよ」


 ローザは否定しなかった。それを口に出して認めることは、自分の心を強くすると同時に相手に対しても一回り大きく強くなれたような気持ちにさせた。


「でも、トレアンは私の方を向いてないわ。同じように、あなただってテレノスの方を向いてない」


 そう言った途端、火術士の表情が大きく揺れた。


 責めることで、何かが解決するわけではなかった。彼女はそれを知っていたし、自分が報われることなどないということにも気付いていた。しかし、どんどん溢れてくる何かを止めることが出来ない。自分は今一体どんな表情をしているのだろう、ふとそんな想いが頭の隅をよぎった。


「羨ましいのよ、私は、多分テレノスも。悔しいのよ、私は、きっとテレノスも。それに、さっきの会話で気付いたんだけど、あなたとテレノス……色々わかっているのに、何も言おうとしないから、何か起こったんでしょ。あったんでしょ、悩ますようなことが?」


「な……何で」


「わかるのよ。わかりやすすぎるのよ。ぎこちないんだもの」

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