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 トレアンがそう言うと、彼女はうんと唸ってから小さな翼をぐいと伸ばした。


 しばらく歩いていると、やがてゆるい上り坂に差し掛かる。先程いた丘の上は振り返ると大分向こうの方に見えて、改めて広くなったものだと思った。南西からここに移ってきた人の数はそれほど多かったのだろう、見たことのある子供達よりも見たことのない顔つきのやせた子供達によく会った。彼らは物珍しげに自分を見つめ、その次には肩の上にいるシラクサに気付いて明るい声を上げるのだ。


「あっ、ドラゴンの赤ん坊だ」


 坂道を上り切った所で、向こうから逃げるように走ってきた見慣れない少年がこちらを見て声を上げた。十歳くらいだろうか、もう畑仕事を手伝っていてもおかしくはないくらいの背丈だ。変声期の訪れていない高い声の後から、次々と他の子供達の声も上がった。


 そして、何人もの少年や少女が体や足に小さな風を纏いながら、前方から歓声を上げて駆けてくる。元気かいいなあと前を歩いていたギルバートが笑って、ドラゴン使いと仔ドラゴンはたちまち取り囲まれてしまった。


「うわあ、これがあんなにでっかくなるんだあ」


「火を吹くようになるのかな。ねえそうでしょ、ドラゴン使いのお兄ちゃん」


「いや、火を吹くのは体の色が赤っぽいやつだよ。このドラゴンは黒いから……何だろう、先生は何て言ってたっけ?」


 お兄ちゃんと呼ばれたことに少々戸惑いを覚えながら、トレアンは自分の周りで好き勝手に話し出して収拾のつかなくなった子供達を見回す。風を纏っていたところから判断すると、どうやらヒュムノメイジ系の家の子供達らしい。先生という単語を聞いて、術を教えている者がいるのかと考えを巡らせた時だった。


「ちょっとーっ、戻って来なさーいっ、皆今すぐにーっ!」


 聞き慣れた声がしたので、彼は思わずその方向を振り返った。それと同時に、周りを取り囲んでいた子供達が一斉に驚いて飛び上がり、大声を出す。


「うわあ、来たあ!」


 突然の騒ぎにシラクサも驚いてぎゃあぎゃあとわめき立てた。子供達は下り坂の向こうの誰かを見つけたらしくあっという間に散り散りになって、次の瞬間には呆然とするドラゴン使いの前に子供達と同じように風を纏ったカレンが降り立っていた。


「全く……知らない人が来るとこうだから」


 さらりと言ってのけた彼女に対して、トレアンは驚いて言った。


「カ、カレン?」


「お久し振りね、トレアン。元気そうで何よりよ」


 子供達を追うようにすばしっこく振り向いた火術士は、太陽よりも眩しいぐらいの笑顔でそう返してくる。ふわっと巻き毛が風に揺れて、短い裾の服から覗いているすらっとした足が美しい。彼は少し嬉しくなって、こう言った。


「そなたも元気そうだな。走り回る子供達を相手に出来るようだから」


「からかわないでちょうだい。大変なのよ、こっちは」


 やんちゃ盛りは疲れるんだからと言って、彼女は苦笑しながら溜め息をついた。すると、すぐ近くから幼い声がこんなことを言う。


「何、先生の恋人?」


 それに気付いて二人が辺りを見回すと、くすくす笑う声が四方八方から上がって色々な髪の色の頭が幾つも隠れている場所からそれぞれ飛び出した。表情の全てがにやついている。


「恋人?」


「あっ、赤くなった」


「恋人だ、恋人」


「先生、やるじゃん」


 カレンが真っ赤になったのを機に、子供達はわらわらと彼女の元に集まってからかい始めた。トレアンがそれを見ているとふっと目が合ったので、気恥ずかしくなってすぐにあさっての方を向く。頬が熱い。


「わ、私はまだ何も言われてないしちゃんと何かを言った覚えもないわ――」


 彼は、わずかに目を見開いた。誰もそれに気付いておらず、シラクサも集団の方を観察している。あの時湖のほとりでそなたが何を言ったのか覚えているかと問い詰めたくなったが、流石に子供のいる前でそれを言うのは無理があった。もやっとした気持ちのままふと地面に落としていた視線を少しだけ上げると、他の子供達よりもずっと小さな幼い少年がくすくす笑いながら、騒がしい子供達には聞こえないような声で、言った。


「好きなんでしょ、カレンさんのこと」


 五歳くらいにしか見えない外見の持ち主の大人びた物言いが、彼を驚かせる。思わず、ドラゴン使いはその少年に向かって、訊いた。台詞よりもそっちが心に引っ掛かる。


「そなた、何歳だ」


「僕? ニ十だよ」


 少年は可愛らしい微笑みとともにそう言った。自分の年とそう変わらないその数字に耳を疑ったが、彼はすぐに他の可能性に気が付いて確かめる。


「……もしかすると、ヒュムノメイジではなくメイジなのか」


「あっ、知ってたんだね」


 トレアンが正体を知っていることにさほど驚きもせず、少年はさらりと言ってまた何処か楽しそうに笑った。シラクサもいつの間にか目の前の小さなメイジを観察していて、黒い瞳が好奇心で満ち溢れている。


「僕がちゃんとした体になるまで、人間やヒュムノメイジの四倍もかかるみたいなんだ。エルフと人間の間に生まれると、どうも寿命が伸びるみたいでさ」


「……だから、まだそのような姿だと言いたいのか」


 少年はカレンの周りにいる子供達をちらりと見て苦笑した。その眼差しはやんちゃな自分の子を見る親のそれに何処か似ていて、ドラゴン使いは何だか妙な気分になる。


「まあね。エルフはやたら長く生きるから、それに合わせてやたら成長も遅くなる。逆に人間は見た目の成長が速いけど、体も老いていくから寿命も短い。持ってる気の力がエルフは強くて人間には全くないから寿命も変わるって教えられたけどさ、それならヒュムノメイジは何なんだ、って思う筈だよね? 僕はエルフと人間の中間のメイジっていう中途半端に人間の四倍生きる種族だけど、ヒュムノメイジは人間と同じくらいの寿命しか持たない筈なのに結構強い気の力を持ってる。あと、西の方には外見がエルフそっくり――耳がこう、長いんだよね――で寿命はこれまた人間と同じくらいだっていう短命エルフっていう連中もいる。短命エルフもみーんな魔法使いだっていうからまたこれが不思議でさ、どんな血の繋がり方してるのか知りたいんだよね、だから今――」


 質問をしなければよかった、とトレアンは思った。つらつらと喋り始めたニ十歳の少年の話を、最初は興味を持って聴いていたが途中からつまらなくなって、彼は少し疲れて適当に聞き流す。だから今少年が何をどうしたいのかはどうでもよかったし、書物を読むことを好むカレンがこれを聞けばいいのにと思った。いや、彼女なら既にこの話をたっぷり聞かされているかもしれない。ああ、とかなるほど、を適当に繰り返しながらまだ騒いでいる集団の方を見やる。


 一体彼女は自分のことをどう思っているのだろう。


 ギルバートがそこで休憩を取っていた。少年の為に相槌を打つのをいつの間にか忘れ、自分の娘を微笑みながら見つめている父親を観察する。不穏な雰囲気に包まれている自分達一族とは正反対のその姿が羨ましい。


 ギルバートやカレン、タチアナ、セス、エミリア、この子供達がいないなどという時が来ることは想像出来なかった。


「ちょっと、聞いてる?」


 少年は不満気な声を上げた。しかし、にぎやかな方向を見つめているドラゴン使いの鳶色の瞳に宿る何かが、言おうとした次の言葉を心の中に沈める。


 今、彼の目には何も映っていない。それが感じ取れた。


 しばらくぼうっと突っ立っていたトレアンの方は、突然の誰かに手を引かれる感触にはっと我に返った。見れば、にやにや笑う少女が、これが子供かというほどの力で自分を引っ張って、騒ぎの中へ誘導しようとしているではないか。彼はそれに抗えずに、地面につまずいて体勢を崩し、シラクサの足の爪が肩にがっちりと食い込んだので痛みに悲鳴を上げた。


「な、何だ、一体――」


 カレンの真正面に連れて来られ、ドラゴン使いは困惑して子供達を見回しながら言う。必要以上ににやついているのは何かをたくらんでいる証拠だ。一体何をするつもりなのだろうか。ほらほら、と数人に促された。


「手、繋がなきゃ。恋人なんだから!」


「ちょ、ちょっと」


 自分達の先生が動揺するのを見て、子供達は弾けるように笑った。本当にいいのかと思ってトレアンはギルバートをすがるような思いで見たが、父親はただこちらを見て微笑み続けている。彼は再び、彼女を視界の中心に据えた。


 途端、心の奥から別の感情が沸き上がってきた。まるで燃え上がる炎とは全く反対の、ロウソクの火のような静かなものを覚える。それは懐古に似た切なさと愛おしさだった。今までとは別の瞳で彼は人を見た。


 それが一体何なのかがぴったりと心の型にはまった時、半開きのままだった口を閉じて、首の角度を変えた。彼女に一歩近付き、子供達に抗議を続けているその右手を自分の左手でそっと包み込んでやる。


 子供達に乗せられたのかと言わんばかりの複雑な表情がこちらを向いた。


「トレアン――」


「そなたの父親を待たせてしまっている。行くぞ」


 思っていたよりも柔らかい口調がカレンを安心させたのかもしれない。彼女は赤い顔のまま、鳶色の瞳の奥にちらつく優しい光にうつむいた。はやし立てる小さなヒュムノメイジ達の声を聞きながら、二人は待っている人の元へと歩く。


 ギルバートは今までと何かが違う笑顔で、立ち上がって言った。


「さあ、目的地はあっちだ。掘っているだけではないから、楽しみにしているといい……」


 彼らは大所帯となって、また向こうに見える坂道を上っていった。照れ臭さのせいか左隣にいる人は一度も目を合わせようとしなかったが、トレアンは構わなかった。今まで知らなかった別の何処か切なくて優しい感情が心を支配していて、彼はまだ朱が差したままの横顔を見て思わず微笑む。そのまま空を見上げると、太陽の眩しい光が目に飛び込んできたので反射的に右手をかざした。


 そんな時、やはり一緒についてきていたニ十歳の小さなメイジがドラゴン使いとシラクサにしか聞こえない声で言った。


「面白いね、君」


 ふいっとそっちを振り向くと、やはりメイジも笑っていた。にやりと笑い返し、彼は口を開く。


「私の名はトレアン=レフィエールというが、そなたは? 少年」


「僕? 生憎僕は少年じゃないよ。オディスっていうけどね」


 少年とも言えないような外見でよくも、と双方思ったに違いない。二人とも再びにやりと笑って、ドラゴン使いの方が言った。


「術士ならば、六つのうちどの力を使っているのだ?」


 すると、オディスは少し困ったような顔に笑顔を貼りつけたような状態になった。


「うーん、使うというより、使えないんだよね。その代わりに何だか違うことは出来るみたいなんだけど、まだはっきりとはしてないかな。家族は皆普通に火とか水とか風とか使ってたりするのに、僕だけなんだ。光でも闇でもないから、親も親族も皆不思議がってるよ……これも血が成せる技なのかもしれないな、って思ったのが僕の始まりだったのかもしれないね、今思うと……知りたいというか、はっきりさせたいんだ、何が起こったから僕がどうなったのか――」


 何が起こったから今どうなったのか。このメイジのように、自分達ドラゴン使いもはっきりとさせるべきなのかもしれない。つらつらと喋りまわる彼の、長い話をまた途中から聞き流しながらトレアンは思った。


 人間と共にいることが必然ならば、自分達はどのようにしなければいけないのか。仲間達にはそれが見えているだろうか? 彼らとて、以前のような物分かりの悪い連中ではなくなった筈だ。


「着いたぞ、トレアン」


 ギルバートの声が前方から聞こえて、彼は思い出したように景色を意識した。


 目線よりも高い所、向こうの方から水の流れる音が聞こえる。流れに垂直な水路はその流れに届く手前で止まっており、こちらに向かって伸びる土の溝の内部が、斜面を下っていた。広めに作られた道は真ん中が盛り上がる形となっており、下から粘土、大きな石、中くらいの石、小石、砂利、平たく切った石の隙間に小石を詰めた層の順で道が水浸しにならないよう工夫がなされていた。溝の壁は分厚い粘土の層の上に平たい石といった造りになっているようだ。


「これは……石が、こんな」


「驚いたか? 今から、水を通す橋を作る。あの水路と俺達が立っている所の間が、ずっと低くなっていて見下ろせるくらいだろう。土地の下に穴を掘って道を造るのもいいが、崩れると直すのが厄介だ。それに、今の町はこの小さな谷よりも高いところにあることがわかったんだ。だから、石を積んでその上を水が流れるようにするつもりだ。水は川の流れに従って、こちらへ流れてくる筈だ」


 トレアンは、全速力で走って行って息切れするぐらいの距離にある石造りの水路の出発点を見つめる。そして、言われた通りそこに横たわる浅く狭い谷を見下ろした。ここに橋を架けるのか。


「……人が通る予定は?」

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