どこかの世界の物語

波野留央

第一章 どこかの国の王子

どこかの広間

 海岸で、きれいな虹色の巻き貝を拾った。

 拾った途端、急に場面が切り替わり、気が付いたら、見知らぬ空間にいた。何て唐突な。未知の世界への冒険というのは、いつもこんな唐突に始まるものなのだろうか。

「ここはどこ? 私は誰? ――なんてね」

 ぼんやりしていても仕方がない。まずは辺りを調べてみよう。

 立ち上がって見回すと、壁際にある小さな洋服箪笥が目に入った。洋服箪笥の上には宝石箱と布袋が置かれている。あとは一面大理石の床。どうやらどこかの広間らしい。

 その広間に、突然、不思議な声が響いた。

「誰かいるのか?」

 最初はどこから聞こえたのかわからなかった。下の方から聞こえたので、見下ろすと巻き貝が落ちていた。さっき拾った巻き貝だ。まさか、この巻き貝が……。

 とりあえず、「あなた誰?」と聞いてみた。

「ああ、良かった。ちょっと厄介なことになっていて、助けが欲しかったんだ」

 ほっとしたような声は、やはり巻き貝から聞こえて来るらしいとわかった。プライバシー保護のために音声を変えてあるのか、妙に甲高くて不自然な声だった。男なのか女なのか、大人なのか子供なのか、判断出来ない。巻き貝に変えられたか、閉じ込められたかした人間、というところだろう。いや、人間とは限らないか。

 とりあえず質問を続けよう。

「助けって?」

 巻き貝の声は少し言いにくそうにした。

「……我が国の王子が、悪魔に囚われてしまって……」

 王子? 悪魔?

「もしかして、あなたは王子様を助けようとして、そんな目に遭わされたの?」

「ああ。情けないけど、僕の力ではどうすることも出来なかった」

「それを聞いても別に驚かないけど」

 声の感じからして、彼(?)はいかにも頼りなさそうだ。

「うーん。何とかしてあげたいけど、悪魔と戦うのはさすがに荷が重いな……」

「悪魔を倒す必要はないよ」

 巻き貝は慌てて否定した。

「悪魔に囚われている王子を解放してくれればいいんだ。一時的にでも、悪魔に反撃する隙を与えてもらえれば……」

「王子様を助け出せば、あなたも元に戻れるの?」

「わからないけど、多分」

「王子様はどこにいるの?」

「……わからない」

「わからない、わからないばっかりじゃわからないよ」

 思わずため息が出る。

「ごめん」

「でも、わかった。やれるだけやってみるわ」

「本当に? ありがとう、恩に着るよ」

 巻き貝の声がぱっと明るくなった。

「悪魔に立ち向かうための武器とか、魔法のアイテムとか、貸してもらえるのよね?」

「もちろん。この広間にあるものなら何でも使って。ただ、一つの場所から取るのは一つのものだけにしてくれ。取り過ぎると悪魔に気付かれてしまうから」

「わかったわ」

 屈んで巻き貝を拾い――どうやって持ち歩こうかと考えた。ポケットに入れて置くと割れそうだし、声も聞き取りにくい。そこで、首に掛けていたペンダントを外し、鎖に巻き貝を通してみた。うん、これならなくすこともなさそうだ。

 ペンダントを掛け直して立ち上がり、壁際に向かう。

 まず、洋服箪笥を開けた。中に入っていたのは、マントと帽子と靴だった。

「……これ、何?」

「え? えっと、どこにあるもの?」

 巻き貝は目の前にあるのに、声の主には箪笥の中が見えていないらしい。ランプの精霊のように、貝殻の中に封じられているのだろうか。

「洋服箪笥の中身よ。真っ黒なマントと、ダイヤモンドみたいな石の付いた帽子と、木靴があるわ」

「身に着けて使用するアイテムだ。確か、マントを羽織っていると、好きな時に好きなものに姿を変えられる。帽子を被るとものを透かして見ることが出来る。靴を履いている時は、普段の十倍の速さで走れる」

「変身、透視、高速移動……か」

 考えながら、箪笥の中の物色を続ける。マントと帽子と靴以外、隠されているものもないようだ。

 この中で一番役に立ちそうなのはマントだろうか。人を探すなら帽子もいいかもしれない。靴は……マントを選べば、足の速い動物にも変身出来るから必要ないかな。うーん、迷う。後回しにして、他に何があるか見てから決めよう。

 ということで、次に宝石箱を開けた。

「宝石箱の中身は何に使うの?」

「宝石箱? そんなのあったかな。何が入ってる?」

「櫛と鍵と、ハンカチに包まれたたくさんの豆――これは何かの種?」

 巻き貝は大分悩んでいたが、やっと発した声には力がなかった。

「……ごめん。ちょっとわからない」

 また「わからない」か。

「んー……」

 この鍵はもしかして、王子様が閉じ込められている場所の鍵――だったりするのかな。だったらないと困るよね。豆といえば、巨大な木に育つあの豆くらいしか思い付かないけど……悪魔の根城が雲の上にあるとか? それと櫛……櫛って、髪をとかす以外に使い道なんてあるの?

 ――だめだ。とりあえず次に行こう。

 布袋の中身は武器だった。柄にドラゴンの装飾が施された長剣と、持ち手に蛇の刺繍がしてある鞭と……。

「振ると火を放つ剣と、触ったものを石に変えられる鞭だね。あと一つは?」

「この中には二つのものしか入ってないわ」

「え? そんなはずないけどな」

「本当よ。あとは底の方に棒切れが一本引っ掛かってるだけ」

「ああ、それだよ。敵が現れるとひとりでに飛んで行って殴り付けてくれる棍棒だ」

 ……うーん、何もしなくて済むのは楽だけど、間違って味方も殴っちゃいそうで嫌だな。蛇の鞭も、同じ理由で却下。残りは剣か……。火を出せるのは便利ね。野宿する時とか、マッチの代わりになるし。

 色々と考えた末、洋服箪笥からはマントを、宝石箱からは鍵を、布袋からはドラゴンの剣をもらって行くことにした。

 ベルトに剣を括り付けてマントを羽織り、マントのポケットに鍵を入れると、改めて周りを見た。

「用意出来た?」

「ええ」

「じゃあ、外に出よう」

「どこから出るの?」

「ドアがあるはずだけど……」

「あるけど……三つあるうちの、どのドアから出ればいいのかなって」

「えっ、三つ?」

 洋服箪笥があるのとは反対側の壁、天井のシャンデリアが照らす辺りに、確かに三つ、ドアは並んでいた。

「おかしいな……。本にはそんなこと書いてなかったのに」

「本?」

「どんなドア? 全部同じ?」

「違うわ」

 三つのドアにはそれぞれ違った模様が描かれている。左のドアにはハート、真ん中のドアにはダイヤ、右のドアにはクローバーの模様。

 それを説明しても、巻き貝からの声ははっきりしなかった。

「うーん……。まあ適当に、君の好きなドアを選んでくれていいよ」

「適当って言われても……」

 とりあえずドアに近付き、三つのドアを見比べる。

「どうやって開けるの?」

「普通にノブを回せば開くはずだよ」

「ノブも取っ手も付いてないわ」

「えー……ええと……そこらへんに落ちてないかな」

 巻き貝の声がどんどん頼りなくなる。

「そこらへんって言われても……」

 ため息をつきながらそこらへんを見回したが、何も……ん? 真ん中のドアの下に引き出しがあるようだ。開けてみると、ドアノブが三つ入っていた。一つは青く、もう一つは緑、最後の一つは鮮やかな虹の色をしていた。

「ああ、それならわかる。青は海、緑は森、虹色は空の上に出るんだ」

「緑に決定ね。海や空の上に出たら、落ちて死んじゃうし」

 マントを使って鳥か魚になるという手もあるが、試してみるまでは信用出来なかった。

 緑色のノブを拾い上げた時、不意に巻き貝の声が尋ねた。

「ところで、今更だけど、君は何者なんだ?」

 ――本当に今更だな。

「決まってるじゃない。私は勇者よ」

 何となく、そう答えていた。

「ユーシャ……? ユーシャか。いい名前だね」

「……」

 ――ま、いいけど。

「あなたの名前は何ていうの?」

「あ、ごめん。先に名乗るべきだったね。僕はトリル。何かあったら、いつでも僕の名前を呼んで」

 呼ぶと出て来るのか。ますますランプの精霊みたいだな。

 勇者のユーシャはドアに向かった。――さあ、冒険の始まりだ。

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