リーガル・キラー、勉強と仕事に行き詰まる。

(注意・この小説に出てくる名前はフィクションです。実在の書籍に似た名前があっても一切関係ありません。)


 私はノリコ。表の顔は弁護士の夫が経営する法律事務所にパートタイムで働きつつ、士業の資格を取るために勉強中の主婦。

 裏の顔は小六法を主な凶器とする殺し屋『リーガル・キラー』

 今日は日曜日。事務所はもちろんお休み。夫は裁判のために北海道まで出張中。前泊して裁判所に行かないとならないらしいから、弁護士も大変だ。お土産には蟹がいいと言ったら『遊びに行く訳じゃないんだよ』と苦笑された。

 私はといえば、家や事務所では勉強が気乗りしないからと駅前のカフェで本を広げて勉強している。

 弁護士はさすがに無理でも、司法書士か行政書士の資格を取らないとさすがに法律事務所夫の事務所で働いている手前、ばつが悪い。

 そりゃ、パートタイムだからお茶くみに徹して法律なんてわかりませんって顔しててもいいけど、補助者のヤマダ君達が裏でこそこそ私のことを言っているのは知っている。

 そりゃ、いつも違った小六法ばかり私のデスクに置いてあれば飽きっぽい人とか本を粗末にする人と勘違いされるよね。ある意味当たってはいるが、少しは皆の足を引っ張らないように法律の知識を仕入れないと。

「さて、次は判例集の『月刊 リーガルジュリスト』かしら」

 でも、これって民法の親族・相続編なんてワイドショーや昼ドラ顔負けの内容が書いてあって別の意味で読み耽るのよね。例えば、奥さんが潔癖症過ぎて嫌気がさして別居を始め、そこで他の女性と付き合いだした夫からの離婚請求は認められるか否かとか。そりゃあ、確かに旦那の浮気だろうけど奥さんもアレよね。旦那が畳に寝転ぶ時は新聞紙を敷けと命令して忘れると罵倒するなんて、だから浮気されるんだよ。でも旦那さんも、きちんと離婚してからじゃなきゃ……いかん、こんなゲスな視点で読んでいたら法の知識なんて学べない。はあ、勉強が進まない。


 おや?


 ふと、カフェの隅に見覚えのある顔が目に入った。確か、あれは組織の資料にあったD案件の人だ。

 殺しの担当はまだ決まってなく、都合の付いた人がってよいという緩い案件だったからまさにパートタイマー向きの案件だ。確か、動物虐待や殺害動画を度々上げては逮捕され、不起訴になっては再犯を繰り返す。やはりどっかのお偉いさんの親族とかでなかなか実刑に至らないとかなんとか。

 ……実は私は猫好きなのだ。虐待された動画には猫の物も多数あったと聞く。資料を見ようと思えば見られるが、とてもじゃないが見たくない。

 ここで会ったが百年目、猫の敵を取るためにも私が殺るしかない。

 とはいえ、今日は小六法は持ってきていない。あるのは初心者向けの民法の本。作者の名前から通称『内山民法』と呼ばれてる。ハードカバーで五百ページあるから充分仕留められるだろうが、書き込みが多いからなるべくなら使いたくない。現場に置くにはリスキーだし、血にまみれた本では勉強できない。

 あとはさっきまで読んでいた判例が載ってる「リーガルジュリスト」。だがB5サイズのソフトカバーの雑誌だから凶器エモノとしては今一つ。もう一冊「基本法コンメンタール」があるが、リーガルジュリストと同じようなものだ。

 うーむ、ターゲットが会計に向かっているから、とりあえず跡を付けながら考えるか。午後四時とまだ日は暮れていないが、雨が降りそうな曇天だから薄暗いし、殺る場所や凶器エモノはなんとかなるだろう。

 私は慌てて勉強道具をしまい、会計を済ませて跡を付けることにした。


 十分ほどあとを付けていると駅前から閑静な住宅街へ入り込んだが、まだ男は歩くようだ。尾行もあまり人気がないと気づかれる。さじ加減が難しいものだ、尾行って。

 そして、ある路地に入った時猫の微かな鳴き声がした。なんだか、捨て猫っぽい鳴き方だ。

 猫の保護を先にすべきか迷っていたら、ターゲットも猫の声がする方向へ歩き出した。まずい、新たな犠牲ネコを出すかもしれない。その前に殺らないと。慌ててピッチを上げて追いかける。

 角を曲がった先に箱があり、やはり子猫が捨てられていた。男はそのネコを抱え上げる。急がねば、このまま男の住まいに連れ込まれたら子猫の命はない。小六法凶器が無いなら即席で作るしかない。私は素早くリーガルジュリストを丸め、ターゲットの頭めがけて直角に叩き込む。

『ガコォッ!』

 男にヒットしたが、致命傷には至らなかったようだ。子猫を手放したが、こちらを振り向いて睨み付けてくる。やはり、直角でもソフトカバーの雑誌ではダメだったか。ちっ、書き込みしてあるからもったいないがこのハードカバーの『内山民法』を使うか。

 しかし、カバンから出す間に男がナイフをかざして襲いかかってきた。まずい!

『ガッ!』

 咄嗟にナイフを内山民法で受け止める。ハードカバーだから充分に盾になりうるが、この体勢からどう巻き返すか……!

 ……変だ、反撃が無い。受け止めていた内山民法に加わる力が弱まっていき、男はそのまま倒れた。首筋にはいつの間に裂傷ができており、それが致命傷になったようだ。

「危なかったわね、“リーガル・キラー”さん」

 そこには手にハンガーを持っ女性がいた。と、言うことは凶器エモノからして、この人は同業者、コードネーム“ランドリー・キラー”なのか。

「助かったわ、ありがとう。ランドリー・キラーさん」

 私は体勢を立て直し、泥を払いながらお礼を言った。

「全く、凶器エモノ持たずに仕留めようなんて無茶なのよ。私が跡を付けていなかったら今頃あなたが三面記事よ。凶器エモノは常に携帯よ」

「は、はい。ところでランドリー・キラーさんもこの人を狙って?」

「ええ、うちも動物好きでね。だから、これはうちから遠いけど、必ず仕留めると決めて下調べのために跡を付けてたの。まさか同業者がいて修羅場ってるとは思わなかったけどね」

 そうだったのか、私のにわかな決意がこの人の足を引っ張ってしまったか。そして、子猫も危険に晒すことになってしまった。

「ごめんなさい、確かに浅はかだったわ」

「まあ、いいのよ。結果的には仕留めたし、さ、撤収しましょ」

 確かに早く引き上げないとまずい。でも気がかりが一つある。

「この子猫はどうしようかしら?」

「うちが引き取るわ。娘が猫を飼いたがっていたから。昔、猫を飼っていたけど近所の悪ガキに虐待ころされてしまってね……」

 そうだったのか、なんだか悪いことを聞いてしまった。

「だから、悪ガキソイツには数日後に謎の死を遂げてもらったわ。それがきっかけでこの仕事殺し屋に就くことになったのだけど」

 やはり、同業者。そこは抜かりない。

「じゃあ、猫を頼みます。時間差でここを離れましょう」

「ええ、またどこかでね。“リーガル・キラー”さん。」


「やあ、留守は守ってるかい? お土産の蟹だけど、今日は市場が休みだから明日頼んでみるよ」

「明日ね、わかったわ」

 夫からの電話。蟹と聞いて嬉しいはずなのだが、昼間の出来事が頭に引っかかってしまう。

「ノリコさん? 元気ないようだけど、どうしたの?」

「あなた、お土産はやはり小六法でいいわ」

「はあ⁈」

 やはり、いつどんな時でも凶器エモノは持ち歩かないとね。私は固く誓ったのであった。





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