7.大人の味、子どもの理屈

 翠子の遺体を見つけた翌日。

 太郎が学校に行っても、そこに佳恋の姿はなかった。


『あれだけ先生にナメた口をきいたんじゃあ、もう来られないよな』


 クラスメート達はそんなことを言っていた。

 太郎もそれは同感だったが、昨日警察を出た直後に現れた佳恋の言葉は気になっていた。


『私の方で処理しました』


 佳恋はそう言っていた。昨日の夜、ベッドの中で祖母とも話し合ったが、それは刑事の態度がいきなり豹変したことと関係があるのではないだろうか。

 刑事にかかってきた電話は警視総監からだったらしいが、もしもその電話をさせたのが佳恋だとしたら?

 しかし、警視総監にそんな電話をさせるなど可能だろうか。いくら色々と行動が規格外だとはいえ、佳恋も太郎と同い年の小学生である。


 佳恋に真相を聞きたいなと思うのだが、学校に来ないのではどうにもならない。


『あんまりあの子のことを気にしない方がいいんじゃないかい?』


 祖母に昨晩言われたが、そうもいかないだろう。


 なによりも、もしも佳恋に助けられたのだとしたら、ちゃんとお礼を言わなくてはならない。上から目線での言葉ばかりで、話していて気持ちのいい相手ではないが、困っているところを助けてもらったならそれが礼儀というものだろう。


 ……などということをずーっと考えていたので、授業中はぼーっとしていた。どのくらいぼーっとしていたかといえば、算数の授業中に国語の教科書を出しっ放しにして、野々村先生に怒られたくらいである。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ともあれ、放課後。

 学校から太郎の家までの間には人通りの少ない小道がある。

 太郎はいつもそこを通って帰っているのだが、その道に今日は人影があった。


「太郎くん、ごきげんよう」


 その人影は佳恋であった。


「こんにちは」


 太郎は戸惑いつつもそう答えた。


「少しお話がありますの。ついてきてくださいな」

「うん。僕も君に聞きたいことがあるから」


 太郎は佳恋についていく。


『大丈夫かい、あの子について行って』

「別に殺されはしないと思うし」


 祖母と小声でそんなことを話す。

 実際、佳恋の行く先は怪しい場所ではなく、駅前の商店街であった。

 この時間は人通りも多く、危険なことは何もないだろう。


 やがて佳恋は、商店街の中程にある2階建ての古ぼけたビルの前で立ち止まった。

 1階部分は書店になっているが、佳恋はビルの隅の階段を上っていく。

 太郎も慌てて後を追う。


 2階は年季の入った喫茶店だ。

 佳恋が入り口の扉を開けると、カウンターに店員さんが1人いる他は、人影も無かった。

 コーヒーのツーンとした香りが漂っている。


(大丈夫なのかな、小学生だけで入って)


 別に居酒屋とかではないので年齢制限はないだろうが、さりとて子どもやファミリー向けの店とも思えない。


「マスター、奥の席を使わせていただくわ」


 和服少女とランドセルを背負った少年の組み合わせにも動じることなく、マスターと呼ばれた店員は小さくこくりと頷いた。

 佳恋は優雅に奥の席に座った。太郎はといえば、なんだか緊張してしまい、こそこそとついていく。


 慣れた様子で席に着く佳恋。太郎も慌てて向かい側に座った。


「どうぞ」


 マスターが皮の表紙の本のような物を机に置いた。どうやらメニューらしい。


「何を飲みます?」

「え、えーっと」


 はっきりいって、こんな喫茶店に入ったことなど無い。

 普段、太郎が立ち入る飲食店など、せいぜいハンバーガー屋かファミリーレストランだ。もちろん、それも親と同伴で。


 場違いな思いをしながらメニューを見て、太郎は固まった。

 いくつかコーヒーの名前が書いてあるが、そのいずれも値段が900円を超えている。中には2000円近いものもあった。


(1杯2000円って、どんなコーヒーだよ!?)


 祖母のへそくりは持ってきていない。というか、何も考えずにお店に入ってしまったが、今持ち合わせは1円もない。学校には特別な事情がない限りお金を持っていってはいけない規則なのだ。


「心配しなくても、代金はわたくしが持ちますわよ」

「で、でも……」

「遠慮は無用ですわ」

「だけど、こういうお店初めてで……」


 はっきりいって、メニューのほとんどがよくわからない。

 コーヒーは飲めないので、紅茶を頼もうにもダージリンだのアッサムだのいわれても意味がわからない。


(っていうか、紅茶やコーヒーって色々な種類があるの!?)


 太郎の常識では紅茶と言えばティーパック、コーヒーと言えばインスタントである。


 太郎は困惑しながら、メニューを細部まで見ていく。

 ようやく自分にもわかる物があった。


「じゃあ、オレンジジュースで」


 さすがにオレンジジュースならわかる。種類も1つしか無いし。

 もっとも、値段は恐ろしいことに1300円と書かれている。缶ジュースの何倍だろうと思わず頭の中で計算してしまった。


「わかりましたわ。マスター、アメリカンのアイスとオレンジジュースをお願い。ミルクとシロップはなしで」


 佳恋にいわれて、マスターはコクリと頷くとドリンクの準備を始めた。


「さてと、それじゃあ本題に入りましょうか」


 佳恋が太郎に向き直って言った。


「昨日のことであなたも少しは理解したのでは無いかしら? ただの子供が霊感などをもってもろくな事にならないと」

「昨日のことって、どこまで知っているんだよ」

「全部ですわ。あなたのことは式神を飛ばして監視していましたから」

「シキガミ?」

「まあ、精霊みたいなものと言えばわかりやすいでしょうか」


 全然わかりやすくない。


「ともあれ、あなたの昨日の行動は全部わかっていますわ。色々あきれかえりましたわ。死体を見たくらいで情けなく嘔吐したあたりは笑わせていただきましたけど」


 佳恋はクスクスと笑ってみせる。

 なんだか凄くむかつく。


「ずっと監視って、僕にもプライバシーとかあるんだけど」

「まあ、ただの小学生がプライバシーだのなんだのとおおげさな」

「おまえなぁ、ただの、ただのって……」

「あなたに、おまえ呼ばわりされるいわれはありませんわ」


 だんだんいらついてきた。なんで、こうもこの少女はこうも人の神経に障る言い方をするのだろう。


「あっそう、じゃあなんて呼べばいいの?」

「あのお犬さんのように佳恋様とでも呼んでいただければ」

「絶対嫌だよ。朝倉さん・・・・


 太郎はそう答えた。


「まあ、それならそれでもいいですわ。本題はそこではありませんし。

 もう一度申し上げますが、素人の子どもが下手に霊感などを持つとどういうことになるか、少しは思い知ったのではなくて?」

「それって、警察のこと?」

「それだけではありませんが、まあそれも1つの例ですわね」

「昨日、いきなり警察から解放されたのは、朝倉さんがなにかしてくれたの?」

「ええ、そうですわ。わたくしの方から警視総監にお願いしました」


 さらっと言う佳恋。

 そんなことが小学生にできるわけがないと思うが、これまでの展開を見ているとそれ以外に説明が付かないのも事実だった。


「いったい、何をどうしたら警視総監にお願いなんてできるんだよ」

「そんなことをあなたにお教えする理由はありませんわ」


 と。

 お店のマスターがコーヒーとオレンジジュースを持ってやってきた。


「あら、太郎くん、飲まないんですか?」


 太郎が口をつけるのを躊躇していると佳恋がたずねた。

 もっとも、彼女もコーヒーに口をつけようとしていないのだが。


「の、飲むよ」


 太郎はオレンジジュースをすすった。


(これ一口いくらだろう?)


 そんなことを思いながらオレンジジュースを口に入れると……


「な、なにこれ……」

「あら、どうしましたの?」

「い、いや、すごいおいしいなって」


 これまで飲んでいたオレンジジュースは何だったんだろうというくらい、濃厚で甘みがあり、それでいてしつこくない。ほどよい酸味も心地よく、9月の暑さで汗をかいていた体に染み渡る。


「ふふふ、本当にお子様ですのね」


 いちいちトゲのある言い方をする佳恋に、グウの音もも出ない太郎。


「まあ、飲み物の味はさておき、いい加減本題に入りますわ。太郎くん、今度こそ霊感を封印する決心がついたのではありませんか?」

「な、なんでだよ」

「霊感を持っていれば、昨日のようなトラブルに巻き込まれることは往々にしてあることでしょう。普通の生活を送りたければ……」

「僕は普通なんてイヤだ!」


 太郎は店内に響き渡るような大声を出してしまった。

 だが、佳恋は動じない。

 マスターも特にこちらを見る様子も無くお皿を拭いている。

 祖母は横で少し驚いた表情をしているが、特に口は挟まなかった。


「あらあら、困りましたわね。それじゃあ、お婆さまにお聞きしましょうか」


 佳恋はそういうと、太郎の祖母に向き直った。


「トモさん、でしたわよね。太郎くんがこれ以上トラブルに巻き込まれないように霊感を封じたいと思うのですけど、いかがですか?」

『やっぱり、あなたは私が見えるんだね?』

「ええ、もちろんですわ。霊感など霊能力の初歩ですから。で、お答えは?」

『それは私が決めることじゃないよ。決めるのは太郎だろう?』

「確かに、それはそうですわね。で、太郎くんは霊能力を封印するつもりはないと」

「ああ。僕はこの力を使って世の中の役に立ちたいんだ」

「まったく、霊感を手に入れてヒーロー気取りですか。本当に、どうしょうもない子ですわね」


 佳恋は「ふぅ」っとため息をつく。


「ヒーロー気取りで悪いかよ」

「私としては『悪い』というより、『滑稽』と表現したいですわね」

「コッケイ?」


 言葉の意味がわからず問い返す。


「あとで国語辞典でもひきなさいな。まあいいですわ。今日のところはこれ以上話しても無駄なようですし」


 佳恋はそういって立ち上がった。


「飲み物代は払っておきますから、ごゆっくりどうぞ」


 佳恋はそう言うと頼んだコーヒーには手をつけないまま立ち去ろうとした。


「ちょ、ちょっと待てよ」

「なんですの?」

「その、昨日はありがとう。それと、オレンジジュースごちそうさま」

「まあ、あなたみたいなお子様でも、人並みにお礼はいえるんですね」


 心底驚いたようにいう佳恋。

 その態度がまた鼻につく。


「では、ごきげんよう」


 佳恋はそう言い残すと会計を終えて立ち去った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「なんなんだよ、あいつ」


 太郎はオレンジジュースの残りを一気に飲み干すとつぶやいた。


「あいつ、やっぱり霊感もっているんだな」

『霊感だけじゃない、もっと恐ろしいモノを持っているように感じるよ』

「うん、それは僕もそう思う」


 太郎はオレンジジュースを飲み干しながら答える。

 たぶん、今後の人生でこんなおいしいジュースを飲むことは2度とないんじゃないかと思いながら。


『それはそれとして、太郎』

「なに?」

『太郎はヒーローになりたいのかい?』

「……ヒーローなんてこの世にいないよ」


 太郎は少しうつむいて言った。


『でも、昔太郎はヒーロー物のドラマとかアニメとか好きだったよね』

「小さいころの話だろ」

『それはそうだけど……』


 太郎は天井を見上げた。茶色い天井に大きな扇風機が付いている。


「小学2年生の時、お母さんと一緒にデパートのヒーローショーに行ったんだ」


 太郎は祖母に3年前のことを話し始めた。


「あのころは僕も馬鹿だったからさ、ショーの舞台裏を見たいなぁなんて思って、こっそり裏側に忍び込んだんだよ」


 たぶん、佳恋に聞かれたら『今も十分馬鹿だと思いますけど』などと言われるのだろうが。


『それは初耳だね』

「あの時はおばあちゃんついてこなかったんだ」

『まあ、そのころはまだ、私も霊として安定していなかったからねぇ』

「ふーん、まあいいや。でさ、そこで見ちゃったんだよね」

『何を?』


 祖母の問いに、太郎は「ふぅ」っとため息。


「ヒーローのマスクを取ったら中からバーコード頭のおっさんが出てきたんだよ。子供の夢みたいなのが一瞬でぶっ壊れちゃった」

『太郎は、本当のヒーローだと思っていたんだね?』

「まさか。本物のヒーローがデパートの屋上に来るわけがないことくらいは2年生にだってわかるよ。

 でもテレビの俳優さんと同じ人が演じているものだと思っていたんだ。そしたら、実際は40過ぎのバーコード頭のオジサンで、マスクを取るなりタバコを吸いだしたんだよ。

 小学2年生にはショックだって」


 今でも思い出す。

 あの瞬間、太郎の中にあった、ヒーローへのあこがれは消えて無くなった。二度とヒーロー番組を見なくなったし、ヒーローなんてこの世にはいないんだと思うようになった。

 それと同時に、どこか世の中がつまらなく感じ始め、自分も一生、平凡でつまらない人生を送るんだろうなぁと思うようになった。


「だけどさ、霊感を手に入れて、僕は変わった気がするんだ。この力があれば、平凡じゃない人生を送れるんじゃないかって」

『……太郎』

「そりゃあ、昨日みたいなのはもうごめんだよ。だけど、昨日の僕の行動のおかげで、あのお姉さんの死体が見つかったことは事実なんだ。世の中の役に立てたんだ。そうだろう、おばあちゃん?」

『そう、そうだね、太郎。うん、そうだよ』

「だから、僕はこの力を封印したりなんてしない。もっともっと役に立つ方法を考えるんだ」


 太郎はそう言うと、佳恋の残したコーヒーを見る。

 確か、あのコーヒーもオレンジジュースと同じくらいの値段だった。


(コーヒーは苦手だけど、この店のだったらおいしいのかな?)


『飲みたきゃ飲んでもいいんじゃないのかい?』


 そんな太郎の様子に、祖母が言った。


「でも、人の飲み物飲んだらマズくない?」

『どうせ、残しておいても捨てるだけだろ』


 それはそうかもしれない。

 太郎は佳恋の残したアイスコーヒーを手に取り、ストローをすすった。


 で。


「ゲホッ、ゲホッ」


 咳き込む太郎。


(やっぱり苦いよぉ)


『大丈夫かい、太郎?』

「う、うん」


 強がりつつも、太郎はそれ以上コーヒーには口をつけず、店から立ち去ったのだった。


 ◆◇◆


 その日の夜。

 太郎が自分のベッドの中で眠りに入った後。太郎の祖母トモは、再び神主のようなかっこうをした霊と話していた。


『ふぉふぉふぉ、太郎くんも苦労しておるようだな』

『ええ、確かに昨日……もう一昨日ですけど、警察では私もどうなることかと思いました。

 あなたは死体が見つかることをご存じだったのですよね?』

『まあな。その後の展開もだいたい予想通りだ。佳恋の行動以外はな。トモさん、孫を傷つけられたと怒っているか?』

『少しだけ。ですが私も長い時間を生きていますので、あなたの意図も理解できます。

 霊感をもつことの辛さや難しさをあの子に教えてくださろうとしたのでしょう?』

『まあ、そうじゃな。今後さらに霊感が強まれば、次は死体よりもおそろしい幽霊や妖怪を見ることになるかもしれんからの』

『私は太郎に普通の子として幸せになって欲しいと願っています。私の人生は特別なことなんてありませんでしたが、平凡だからこその幸せをたくさん味わいましたから』

『だが、太郎くんは自分の能力を受け入れて、役立てようとしているか。動機は少々幼稚にも思えるが、純粋とも言える』

『正直、私はどうしたらいいのかわからないのです。太郎にとって、この能力がいい物なのか悪いものなのか……』

『トモさん、どんな能力にもいい点悪い点がある。それが世の常というもの。足の速い子は運動会のたびに期待されて、それに押しつぶされそうになるかもしれん。勉強のできる子は望まぬ受験戦争に参入させられるかもしれん。霊感も本質的にはそういった能力と変わらん』

『はい。ですが……』

『孫が心配か』

『はい、私があのこと一緒にいられるのは長くても半年なのでしょう? その後、あの子がどうなってしまうのか……』

『心配せんでも、子どもというのはどんどん成長していくものよ……あの佳恋以外はな』

『佳恋ちゃん、あの子はいったい?』

『あの子は大人になれない不幸な子だよ』

『大人になれない? 十分に大人びているように感じましたが』

『あの子はな……』


 男の霊が説明をはじめ、トモの目は驚愕に開くのであった。

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