再燃

白夏緑自

第1話

それは唐突だった。細かいことは思い出せない。久しぶりに高校で同じ部活だった同期が集まり、キャンプ場でBBQを楽しんでいたときだ。

 細かいことは思い出せない。しかし、脈絡が無いわけでは無かったはずだ。話の流れで咲が一言。

「庄助となら結婚してもいいかも」

 その一言が全てを止めた。

 セミの鳴き声。

 肉の焼ける音。

 炭が爆ぜる音。

 空気の流れ。

 私たちの会話。 

 何もかもの全てが止まった。

 一瞬だ。一瞬でまた全ては動き出す。何事も無かったかのように、咲の発した一言などなかったかのように、また楽しい時間が動き出した。録画ビデオを十秒スキップしたみたいに。

 しかし、それこそが一言の存在を決定的に確実なものにした。

 誰も触れないということはその言葉の意味と重要性を理解しているから。

 結婚してもいいかも。

 意味は、好意を抱いている。

 重要性は、本気だということを示していること。

 社会人の私たちだ、結婚に憧れる行為は空想やおとぎ話の中で完結するものではない。人生に関わる、現実的に生きていくうえで必要な夢だ。

 誰と結婚するかで人生のあり方が決まる。

 王子さまはやってこないから、手頃な誰かを王子さまにしなくてはいけない。

 咲は、その王子さまを誰にするのかを公表した。ただのノリや冗談ならそれでいい。いいかどうかもさしてどうでもいい気がするが、そうはいかない。そのノリに誰もツッコマなかった。誰も、ここにいる少なくとも咲以外の全員はノリや冗談に聞こえていない。庄助でさえも、周りと同じように止まり、動き出した。無かったかのように。聞こえないふりというやつだ。何もないから、何もなく進む。

 これが夕方の出来事。九月に入ったと言うのにセミは叫び、オレンジの空の元私たちは暑さと戦っていた。

 しかし、夜はなかなか寒かった。

 九時には食器を片づけ、男女分かれて各ロッジに入ったのが十時ごろ。

 そこからはお互いの近況や(他人の)思い出話を捏造込みで語り合い、気づけば誰もかれもが眠りについていた。

 キャンプ場のロッジで寝るのはお世辞にも快適とは言えない。貸してくれるのはシーツ一枚と毛布が一人二枚ずつ。固い床の上に毛布を引いて、その上に半分折りを三回ほどして袋状になっているシーツを置く。寝るときはその袋に入って暖をとるというわけだ。クーラーを点けているとはいえ、蒸し暑さを感じた私はそれ以上のことをしなかった。余った毛布は折りたたんで枕にしていた。

 目が覚めたのは十二時ピッタリ。原因は私の見通しの甘さ。夜の森は例え残暑が残る九月だろうと冷えることを完全に失念していた。普段、アスファルトに囲まれた生活をしているから仕方が無い。そういうことにしておこう。

 枕にしていた毛布をできるだけ音をたてずに広げて、私を挟んだシーツの上にかける。首と頭が固い床に直に触れるが、これも仕方が無い。バッグを枕にすることも考えたが、若干離れた位置まで取りに行くのは気が引ける。

 思い出そう。振り返ろう。

 高校時代のことだ。

 あまり素敵とは言い難い制服を着ていると思っていたあの頃。

 今思えば、それなりに可愛らしいブレザーの制服。それでも私たちは何かといちゃもんを付けて文句を言いあっていた。毎日着る服が決められていることがどれだけ楽だったか。本当、見た目で仕事のやり易さが変わる。コーディネートは業務内容に入っていないのに。日給九百円ぐらい上がらないだろうか。話が逸れた。

 とにかく今思えば、いい時代だったあのころ。端的に言えば楽しかった。

 庄助や咲、他の今日ここにいるメンバーは同じ部活。運動系の部活ではなかったし、吹奏楽部のように大会に向けて練習を重ねるわけでもないからのほほんと活動日数を重ねていくタイプの部活。そんなんだから主な活動は駄弁るだけ。そういう意味では今こうして集まって、飯食って酒飲んでと出来る分、当時の活動からやれることが増えたということだろうか。よくよく考えなくてもヤリサーか私の高校時代の部活。いやいや、そんなことはない。大丈夫なはずだ。健全だ。KENZEN。中学生に毛が生えた程度の下世話な話……それは、修学旅行の夜に話したやつだ。昼間は適当に授業とか学校生活について駄弁っていた。恋バナもしたな、うん、した。アルコール入ってない分、勇気ある行為だ。

 そうだなあ。

 それなりにしたな私も。

 無条件に誰かを好きになれるのも学生の間だけで。同じ会社の人と恋愛とか後々のことを考えると近くにいることそれ自体がネックになってくる。同じ学年、同じクラスで恋愛来たのはやはり若さゆえか。別れた後とか考えなくていいし。というか別れるとかそんな選択肢すら意中の相手を目の前にすると出てこないのか。選択肢と言うか可能性。ずっと幸せな未来が続くとかそんな感じ。アホだ。私は頭がいいからそれに気づいていた。だからこそ、振り切ることが出来なかった。チャンスはいくらでもあったのに。キスとか普通に狙えた瞬間なんて両の指じゃ足りなりぐらい。一度だけ、してくれたこともあったけど。それきりだ。またお願いと、言えるだけの根性と可愛げが足りなかった。

「彼女とかいるのかな……」

 庄助のことだ。

 今までいたかどうかはさしてどうでもいい。そりゃあ、高校卒業してから四年間。大学と言う遊び呆けるための免罪符に所属していたのだ。彼女の一人や二人いたって、不思議ではない。童貞を卒業してても──してないほうがどうかしてる。カッコいいしな。うん、私だって処女は捨ててる。そんなもんだ人生。初恋が叶わなかったからって、目の前に餌が垂れ下がれば案外簡単に一線は越えられる。私の場合、酒の力も大きかったけど。

 だから、大事なのは今だ。

 今……。

 今……?

 あー、私なんでこんなこと考えてるんだ。

 庄助の今とかどうでもいいだろ。私の人生には無関係なことだ。

 彼がどこに就職しようが、どんな女と付き合おうが、誰と結婚し、子を産み育て、老後をどのように過ごそうがそこに私の人生が入り込む余地はない。

「……」

 庄助、どこに就職してたっけ?

 大手の広告とか言ってたっけか。私の会社と取引は……ないな。けど、結べないこともないか。結べたらかなり大きいぞ。

 どんな女が好みだっけ?

 昔、私みたいなって言ってくれたっけ。冗談だって流したけど嬉しかったな。今はどうだろ。髪、染めちゃってる。戻そうかな。

 彼と結婚したら、どうなるかな。庄助の会社、かなり飲み会とか付き合いとか多いらしいし。やっぱり、帰ってこないと寂しくなるのかな。冷めた料理を机に並べたまま、突っ伏して寝たりして。帰ってきた後毛布でもかけてくれたら許す。

 子どもが彼に似たら、鼻筋のハッキリするのかな。私に似たら……。

 身体が熱くなってきた。

 さっきまであんなに寒かったのに。

 クーラーは切れているが理由はそれだけじゃない。

 音をたてないよう注意しながら起き上がり、外へ出る。

 私たちがロッジに入ったときよりも辺りは暗くなっていた。

 トイレに明かりはついているが反対に、他のロッジや広場へ続く道へは明かりがほとんどない。闇が奥へ奥へ伸びている。

「トイレ行こう」

 冷たい夜風が私をそうさせた。これ以上は言わせないでほしい。女だ。

 無事にたどり着き、個室に入って腰を下ろす。

 便座は暖かい。

「結構ハイテクなのね……」

 嬉しい現実感。キャンプ場なんて時代遅れのものしかないと思っていたけど、こういうところは現代的にするのね。

 といっても、やはりここは森の中だ。

 夜の森は静かで、子ども達の声も、大人たちのバカ騒ぎの声も聞こえてこない。

 聴こえてくるのは虫の鳴き声。木の葉が揺れる音。

 天井には微妙に隙間が空いてる。換気のためだろう。これは外と繋がっている。気にならないこともないが、仕方が無い。

 構造的に壁際の隙間は隣の障がい者用トイレに繋がっているのか。音とか漏れてしまいそうだ。

 うん、こんなところで一発おっぱじめなくても……。車とかいけよ……。

 絶賛聞こえてくるのは女性が己の嬌声を我慢する息づかい。よく、ここまで聞こえてくるものだ。近いところでヤッているのか。

 壁に手をついてみる。

 ひんやりとした感触が掌に広がる。

 当たり前だが、仮に体が向こう側の壁に接触していてもこちらに温度が伝道してくることは無い。

 だけど、女の勘かな、想像はつく。

 誰かと誰かは壁を挟んだすぐそこでイイことをヤッている。

 何となしに、壁を少しノックしてみる。大きくではなく、偶然ぶつかってしまった程度に。

 温度は伝道しなくても、音なら響くはずだ。これで静かになったら私の勘は正しいと証明することになる……

「──ッ……!ぁ……ッ!ン」

 いや、マジか。逆にでかくなったぞ。

 もう、声を我慢することを止めたのか何を話しているのか内容が聞き取れる。私の両手は太ももと太ももの間に収まった。

 気持ちいい?

 気持ちいいよ。

 こんなことして、彼女に怒られない?

 今は彼女いないから大丈夫。

 ねえ、キス。

 付き合っていない人とはしないことにしてる。

 いつから?

 生まれたときからずっと。

 そんな問答が続いて、やがて──。

 一際大きな声が響いた。

 いつの間にか虫たちは鳴き止んでいる。まるで、誰かと誰かのセックスを息するのも忘れて夢中で見ているみたいだ。私も私で夢中になっているので虫みたいなもの。いや、猿かな。

 息を潜めて、二人が出て行くのを待った。

 やがて、足音が遠ざかり完全に帰っていったのを確認してから私は個室を出る。

 手を入念に洗って、顔を上げれば鏡だ。

 そこに映るのは当たり前だが私の顔。

 目は泣きはらしたかのように赤く腫れていた。

 唇は若干血がにじんでいる。声の我慢比べは私が勝った。

 優越感を抱きながら、ロッジへ帰る。

 ロッジの前のテーブルに座る影が一人。

 小柄なその影は、

「咲」

「トイレ長かったね」

「咲もね」

「いいでしょ、別に」

「何食べてるの?」

「余ってた肉」

「太るよ?」

「運動してた後だからセーフ」

 隠そうともしないのか。潔い。

「どうやったの?」

「別に。トイレ行こうとしたら偶然一緒になったから体摺り寄せてその気にさせただけ。あ、言っとくけど前々から伏線張ってたから。一応、フォローしておくけど」

「はいはい。そういうとこ見習わないと」

「だけどね、」

「ん?」

 咲の持つ焼き肉のたれに波紋がいくつも広がり始める。

「キスは最後までしてくれなかった」

「悔しいの?」

「悲しいの」

「そうかそうか」

 一線を超える意味とか人それぞれ。咲の想定していた、相手の持つ意味はそうではなかったいうことだ。

 ましてや、一回抱かれている。そして、失敗に終わった。

 悔しいよりも悲しい。

 自分の体に魅力以上の価値を持っていなければ悔しいと言う感情を得ただろう。

 悲しみを得たのは、自分の体に体以上の魅力を何か見つけてもらえなかったからだろう。

咲の感情によるところだ。実際のところどうなのかわからない。

「これからどうするの?諦める?」

「嫌。諦めない。あんな優良物件簡単に見逃せない」

「女をヤリ捨てる男だよ?」

「でも、最後の最後は踏みとどまれるって知れた」

「そうだね。素敵だよね、ずっと変わらず」

 うん、と咲はまた肉を食いだした。肉食だねとはさすがに言えない。

 結局のところ、現実から目を背けているだけ。彼と言う人間の底は知れた。良い面も悪い面も。

 私たちはもう社会人だ。

 完璧な王子様に憧れている暇は無い。

 手頃な誰かを王子様にするしかない。

 だけど、私たちはどこまで行っても人間だ。理想を追い求めてしまう。

 いいじゃないかそれで。

「私も貰お」

「分ける気は無いから勝手に取って」

「恨みっこ無しでお願い。私も本気出すから」

 社会人になると恋愛は文字通り人生をかけた戦いだ。

 だけど、恋愛はどこまで行っても恋愛だ。盲目になりながら、心の火を燃やして欲しいものを手に入れる。

「肉かたっ。よくこんなのバクバク食べられるね」

「そうやってゆっくりしてる間に貰っていくから」

 ライバルはライバルで一筋縄ではいかなさそうだけど。

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