箱守時子は恋をするには隙がなさ過ぎる
田辺屋敷
第1話. 箱守時子は持っていない
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
一言で表すならば、大和撫子。
それが我が校の二年『
背中まで流した黒髪は艶やかで、容顔は麗しい。大人の雰囲気をすでに持ち合わせており、性格は慎み深く、それでいて堅苦しさを感じさせない。
まさに俗世とは一線を画す女性と言えるだろう。
そんな人物を好きになったのは、入学式の図書委員挨拶の時だった。
しゃんと背を伸ばし、純粋な瞳で新入生に本の素晴らしさを語る彼女の姿は、読書に興味のない『
彼女とお近付きになりたい。
恥ずかしながら、これまで気になる人が出来ても、告白することなく早々に諦めてきた。しかしこの時ばかりは諦めることが出来なかった。
だから箱守先輩と同じ図書委員となり、近付こうと思った。
そうして幾月が経ち、それなりに会話も重ね、そこそこ互いを知るような仲になったところで、思い切って行動に出た。
それは図書委員の仕事を終えた放課後のことだ。
「あの、箱守先輩!」
図書室の鍵を閉め、帰ろうとするところを呼び止めた。
さらりと長い髪が、振り返る際にふわっと靡く。気のせいか、すこし良い匂いが漂ってきたようにさえ感じられた。
「どうしたの、小田くん。大きな声なんか出して」
「じつは、その……」
周りに人はいない。夕日の差し込む廊下には、先輩と自分の二人だけ。相手の息遣いすら聞こえてきそうなほどに物静か。すっかり環境は出来上がっていた。
行け。行ってしまえ。
自分を鼓舞するように言い聞かせ、ずっと胸に仕舞っていた言葉を放った。
「あの、先輩――」
「ん?」
「連絡先を教えてください!」
言った。遂に言ってしまった。
ずっと聞きたくて仕方がなかったことを思い切って聞いてしまった。
え、告白?
恋愛経験のないチキンに、そんな大それたマネが出来るわけがないだろ。好きな人の電話番号を聞くだけでも充分な進歩だと認めてくれ。
一方、箱守先輩は不思議そうに小首を傾げた。たったそれだけの所作なのに、妙に艶めかしく見えてしまうのは、惚れた者の欲目だろうか。
「私の連絡先?」
「はい」
「教えるのはいいけど……」
「いいんですか!」
思わず良しと拳を握る。
「ええ、いいわよ。けど、どうして?」
この問いに対し、焦りはなかった。事前に想定した中に含まれていたからだ。
「図書委員としての業務連絡をするのに、やっぱりお互いの連絡先を知っておいた方がいいと思うんですよ」
昨夜、寝る前に予行演習を繰り返した成果だろう。詰まることなく、すんなりと口から言葉は出てきた。
「確かにそのとおりだね。じゃあ電話番号を教えるね」
「本当ですか? ラインのIDを教えてもらえれば良かったんですけど」
これは予想外の収穫。とんだ儲けものだ。
「ライン? あ、知ってる知ってる。たしか文章のやり取りするやつでしょ」
「そうですけど……。もしかして先輩ってラインをしてないんですか?」
「うん、してないよ」
「そうなんですか」
珍しい人もいたものだ。まあ、ある意味で納得でもある。箱守先輩は浮世離れしたところがあり、流行とは無縁の世界で生きている節がある。
そんなことを考えている内に箱守先輩はメモ帳を取り出し、さらさらと電話番号を書き出した。その様子を見ている時に思いつく。
待てよ。これはチャンスなのではないのか。
「あの、先輩。この機会にやりませんか? 便利ですよ」
教える形でラインを始めさせ、その流れでIDもゲットする。まったく以て自然な上に、親切な人だと思われるだろう。疑いの余地など微塵もなく完璧な作戦である。
ゆえにほくそ笑んでしまうのも仕方がなかった。
しかし箱守先輩は複雑な顔をした。
「ごめんね、携帯電話は持ってないの」
「え?」
言っている意味がわからなかった。
電話番号は教えてくれるのに、ラインのIDを教えてくれないということか? ラインよりも電話番号の方が軽い存在なのか? え、そういうものなの? ごめん、わかんない。先輩の価値観がわかんない。それとも遠回しに拒否されたってこと? 意味がわかんない。
どのように解釈し、そのような感情を持てば良いのかわからずに混乱していると、箱守先輩は何かを察したようで誤解がないように説明してきた。
「あのね、本当に携帯電話を持ってないの」
「えっと……。本当にそのままの意味だと?」
「ええ。だからラインは出来ないの、ごめんね」
「あ、そうなんですか。……ん?」
ならば今しがたメモ帳に書いていた電話番号は、いったい何の番号なんだ?
「私の家の電話番号だよ」
「家電?」
「うん、家の電話」
「……」
つまり先輩の家に電話を掛けるということであり、つまり先輩の親が通話に出る可能性があるということであり、つまりその場合は親御さんに自己紹介をする必要があるということだ。
ひとえに、難易度高すぎ。
親が出たら怖くてそのまま通話を切ってしまいそうだ。
「はい、これがその電話番号ね」
「あ、ありがとうございます」
そうして渡されたメモには、確かに携帯電話の番号とは違う数字が並んでいた。
「いつでも気軽に連絡してね」
「はい」
出来るわけねえ~。
「じゃあね。また明日」
「あ、はい」
そう言って去っていく背中を見据え、徒労に終わった此度の勇気にため息が漏れた。
やはり自分には高嶺の花だったのだろう。
これまでのように諦めるべきなのだろう。
そんな弱気が顔を覗かせたとき。
「小田くん」
先輩が振り返って笑顔で言った。
「電話、待ってくるからね」
「はい!」
たったそれだけの言葉で、芽生え掛けた諦めの感情は消え去っていた。
だって先輩が自分のために電話を待ってくれると言ったのだ。つまりは少しくらいは期待しても良いということだろ。実際に電話を掛けられるかはわからないけど、諦めなくても良いということだろ。
ならば、もうちょっと頑張ってみようじゃないか。
一人になった廊下で、静かに決意するのであった。
ちなみに電話は出来なかった。
理由?
そこは察して頂きたい。
まあ、その内にするよ。いや、本当。ウソジャナイヨ。
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