朝と音とコーヒーと

藍雨

朝と音とコーヒーと

冷めたコーヒーを飲み干そうとしたその時、隅の方の席から、タ、タンタン、タン、タンタ、タンタタン、と独特なリズムが聴こえてきて、僕は思わずその音の方へ振り返った。



とある春の朝。

結局冷えて本領を発揮できなかったコーヒーのことを忘れるほど、奏でられる軽快な音は僕の意識を奪って離さなかった。







音の主は、窓辺の席で、ひとり景色を眺めていた。

四人席を悠々と占領し、どことなく楽しげだった。

耳には大きなイヤリング、あれは……土星?


リングが目を惹く。――――――――いや、それよりも。



独特なリズムは、止まない。朝陽を吸い込み反射しているかのような、白く細長い指が、リズムを刻む。音の主の目の前にあるコーヒーは、もくもくと湯気を生み続けている。


タタン、タン、タ、タンッ、タンッ、タタンッ。


――――――――あぁ、気になる。


音に敏感な耳。

無意識のうちに、足はそのリズムを追う。


一方通行のセッションは、しかし、すぐに終わった。



「……っ」



目が合ってしまった。すぐに逸らす。でも、わかる。


音の主は、まだ僕を、みている。

音は止まない。呼ばれている。




――――――――プルルルルッ、プルルルルッ。



「っ、あ、電話……」


携帯の着信音で、いつの間にか彼女に支配されていた世界に、消えていた雑音が戻った。


「もしもし」

『おう、俺だ』

「……僕まだ二十歳なんで、すんません、詐欺は他をあたってください」

『なっ、てめ、わかって言ってんだろ!?』

「……この電話は、電波の届かない場所にあるか」

『あーあー悪かったよ、拓斗たくとだよ、あんぽんたん』

「なんだそれ。まあいいや、どうした?」

『暇人の相手をさせてやろうと思って』

「丁重にお断りする」

『ちょっ、おい、頼むよ、どうせお前も暇だろ?』

「決めつけるなよ……暇だけど」

「あっ、暇じゃない暇じゃない」


手からするり、携帯が離れる。


「もしもしこちら、土星、土星、この電話はあと五秒で切れます、要件をどうぞ!」


五秒も経たないうちに通話を切ったその人は――――――――








――――――――土星のイヤリングを揺らし、満面の笑顔を浮かべたその人は、あの音の主だった。







「お友達、怒ってるかな?」

「…………」


僕が座っていた二人席、目の前に、彼女が座っている。

まったく状況が掴めないでいる僕にはお構いなし、彼女は店員を呼び、新しいコーヒーを注文した。

自分の席から持ってきたコーヒーはまだ、ゆらり、小さく湯気を立てているのに。


「……飲まないんですか、それ」

「うん、飲まない」

「…………」


冒涜的だな……コーヒー好きの僕からすると、もったいなくてみていられないが、仕方ない、代金を支払うのは彼女だ、なにも言うまい。


「セッションしてたよね?」


気づいていたようだ。いや、そうだ、そうだよな、いや、そうか?

気づくだろうか……足で小さく、リズムを刻んでいただけ。大きな音は、立てていない。


「ふふん、残念だったな、忍びとしてはまだまだよ」

「誰が忍びですか!!」

「ふふ、会話会話」

「…………」


思うつぼだ。このままじゃ、負けだ。

出所のわからない闘志に押されるまま、反撃。


「あのわけのわからないリズムはなんなんですか?」

「オリジナルだよ。ザ・サターン、よろしくね!!」


とてつもなくダサい。


「どこの悪魔ですか」

「悪魔? いやいや、土星だよ、土星」

「ああ、サターン……って、そんなの、わかりませんよ」

「この土星が目に入らぬか!!」

「……バンドやってるんですか?」

「ん? そういうことはやる予定ないなあ」


じゃあなにをやらかす気なのか……考えてから、彼女のリズムに呑まれそうになっている自分に気づく。危なかった。


「土星から来たんだよ」

「…………」


もう巻き込まれるまい。というわけで、無視だ。


「聴いてる? わたし、土星から来た土星人なんだ、地球を案内してよ」

「……は?」


変わったひとだとは、思っていた。が、こんな突拍子のないことを言うとまでは、思っていなかった。頭が真っ白になる。なんだって? 土星人?


「あの音は、土星オリジナル、交信暗号だよ」

「からかわないでください」

「からかってないよ? 試しに、なにか地球のことについて質問してよ。きっと、答えられない」


大真面目な表情でほらを吹く。やめろと言ってもやめそうにないので、冗談に付き合うことにする。


「人間が地に足をつけて立つことが出来ているのは、なんで?」

「重力があるから! 重力は土星にだってあるよ、駄目だなあ」

「悪かったですね……。世界中ほとんどの国が加盟している国際的な組織は?」

「土星共同体……だからつまり、地球共同体?」


よくこの一瞬でそんなこと考えたな……用意していたのかもしれないが。


「国際連合。……ところで、なんの証明にもなりませんよ、これ」


もうネタ切れだった。我ながら情けないが、仕方ない、打ち切りだ。


「知ってる! でも、そっか、国際連合っていう組織が、地球のトップなの?」

「……いや、トップっていうか、加盟していない国もありますから、そう言い切ることはできませんよ。知ってるでしょう?」

「だから、知らないんだって。あっ、待って」


タタタ、タン、タタタンッ、タン、タンタ、タタンッ、タン、タンタ、タン。


またあのリズムを刻み始める。全神経を鷲掴みにされる、音。

もしほんとうに地球外生命体のものなのだとしたら、地球侵略を企んでやってくると大体相場が決まっている宇宙人とも、友好的な関係が築けそうだ。


「その、国際連合? と、交渉したいことがあるの。案内してくれない?」

「……は?」

「って、なに、あはっ、冗談だよ~」


わかってた、わかってたよ……。

ネタバレ、早すぎだよ……。


「でも、土星共同体が、地球に興味を持っていることは確かなの。覚えておいてね」


もう、信じない。信じない……。


「そうだ、君、名前なんて言うの?」


いまさら過ぎる質問が投げられる。剛速球だ。


「あなた、地球人じゃないんでしょう? 興味ありますか? 一介の地球人に」

「あるよ。君は、この音に反応した。初めてだよ。わたし、地球に来て、実はもう一か月経つんだけどね、君が初めてなんだよ、こんな風に会話するの」


……反応に困るようなことを、言わないでほしい。

そして、どこから突っ込めばいいのかわからない。


「……僕が初めて、ですか。友好的すぎて、そんな風には思えません」

「そう? 土星じゃこのテンションが普通だよ。もちろん、個体差はあるけどね」


個体差。個人差、でなく、個体差。

端々が気になる。音を刻んでいない彼女にだって、引っかかる要素はたくさんあるようだ。


「……羽柴です。羽柴宏太朗はしばこうたろうです」

「羽柴宏太朗! わたしは、キヨノメっていうの。うん、やっぱり、名乗ることは大事だよね」


トトンッ、指で二度、カップを弾く。リングが揺れる。笑顔が、溢れる。


なんて眩しいひとだ。


「キヨノメ、さん、ですか。土星じゃ苗字はないんですね」

「苗字? なにそれ」

「僕の名前でいうと、羽柴が苗字にあたります。宏太朗は、名前」

「へえ、それぞれに別な呼び名があるんだ、複雑だね。地球は大変そうだ」


地球は大変そう。他人事だ。


「土星は単純なんですか」

「うん、なにも考えなくていい、静かで、空っぽの惑星だよ。地球みたいに、国だとか、政府だとか、そういう細かい枠がないの」

「土星共同体は?」

「そりゃ、土星はでっかいからね、一応、惑星管理組織として、存在するだけ。観測するのは、天気と星と、そうだな。ひとの生き死に、くらいだよ」

「ひとの、生き死に」

「うん、観測できちゃうんだな、土星人の生命は」

「……ところで、政府とか、知ってるんですね」

「ああ、ほら、この喫茶店、ラジオ流れてるじゃない? 一か月もいれば、いろいろ学ぶよ」


言われて初めて、気づく。

実は今日、僕はこの喫茶店に初めて来た。

だからラジオの音になんて、まったく、気づいていなかった。


無理もない。


彼女が奏でる音に、全神経、囚われていた。


「ずっとここにいるんですか? お金は?」

「……えへへ、内緒」


リングが揺れる。すこし顔を傾け、肩までの黒髪の奥から、なにかが覗く。



ケーブルだ。

黒い、ケーブル。

どこへつながっているのか。

どこかへつながっているはずなのに、その先は、どこにもつながっていなかった。

みえない。

先のない、ケーブル。



「あ、みたな、エッチ!」

「小学生みたいなこと言わないでくださいよ……」

「小学生? ああ、なんか、小さい子たちのこと?」

「小さい子、いるんですか? 土星」

「いるよ。あ、地球では、どうやって生命が繁栄してるの?」

「え、まあ、生殖行動が、はい、ありますけど」

「どんなの?」

「自分で調べてください」

「ケチだなあ。まあいいや。土星ではね、砂から生まれるんだよ」

「……砂?」

「そう、砂。土星って、大気が地球みたいに濃くないから、生命力はすごく弱いんだけど、地球人のように、不慮の事故で死んだりはしない。車もないから、まあ、そうそうそんな事故起こらないんだけどね。どうしてだと思う?」

「……砂から生まれるんだから、体を構成しているのが、砂、だから、とか」

「正解!! 衝撃を受けると体が散り散りになるけどね、元に戻ることができる。だから、死なない」

「死、という概念はあるんですね」

「なければ、きっと、生命という概念自体、存在しないと思うなあ」


……彼女が土星人である証拠はどこにもない。

なんでこんな会話をすらすらしているのか、自分が謎だ。

でも不思議さじゃ、彼女には勝てない。

それに、僕が地球人である証拠だって、どこにもない。


思い込みで、生きている。

彼女も僕も。


「そのケーブル、なんなんです?」

「内緒」

「隠し事が多いですね」

「そうでしょう、多いついでに、ひとつ、頼み事」

「……できる範囲のことなら」

「わたしと会ったこと、話したこと、土星のこと、全部、全部、内緒にしてね?」


なんて自分勝手。

なんて押し付け。


なんて、不思議で、心惹かれる。


「わかりました」

「大体、土星人と会った! なんて言ったら、君が気味悪がられるからね、利害は一致してるよね」

「……まったくですよ」


隠し事。内緒。

彼女の正体なんて、もう、どうでもよくなっていた。


「あ、でもそんなにいろいろ守っているのに、どうして音のことは素直に教えてくれたんですか?」

「え? そんなの、簡単だよ」

「?」

「セッションが、楽しかったから。……地球人って、苗字? と、名前? だっけ、どっちで相手のことを呼ぶの?」

「いろいろですけど、親しければ名前、親しくなければ苗字、という認識でいいと思います」

「そっか、じゃあ、宏太朗!」

「はっ、はい?」

「いい朝だった。ありがとう」

「……どういたしまして」







次の朝、同じ時間に、僕は喫茶店を訪れた。

彼女は居なかった。


タタンッ、音だけが、彼女が居た空間に、静かに反響している。


タン、タンタンッ、指でテーブルを、叩いてみる。




タンタ、タタン、タンタタンッ、彼女のリズムが、聴こえたような気がした。




Fin.


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朝と音とコーヒーと 藍雨 @haru_unknown

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