雨の香り

みりん

第1話  後姿は桜色


―― 今思えばそうだった。


なんでもない日、家のベランダから見えた、夕暮れの写真を彼に見せたとき、その「美しい」を共有できなくなった瞬間に、きっと私たちは終わっていた。


「あなた」のいいところを誰かに伝えるとして、それを言葉にするのはもったいない。

強いてそれを言葉にするなら、景色の美しさに気付いてくれる、料理の隠し味に気付いてくれる、そういうところがすごく好きだった。同じ感性を持っていること、私の生き方を肯定してくれることがうれしくてたまらなかった。




【 1. 後姿は桜色 】


飲みかけのキャラメルラテから染み出た水滴がスカートを濡らす。

助手席の私の窓から見える景色に、幸せそうな恋人同士が映っている。


あぁ、早く大人になりたい。というか、大人びた恋愛がしたい。

「ねえ母さん、私16歳からお見合いはじめちゃダメかな。」

そんな私の希望も、大人からするとわがまま同類、それ以下のものに捉えられてしまう。

「あのね、今平成よ。そんな大正みたいな話…」

年号で恋愛観をまとめてしまうなんて、ばからしい。

相槌だけ打って、もう一度窓を見る。

ついたため息は白く窓ガラスに張り付いて、私の心の濁りを映しているようだ。そんな憂いを押し込めようと、キャラメルラテを一気に流し込む。

溶け残りのシロップが甘ったるい。でも、喉に張り付いたその甘みは、どこか苦みも感じた。



私の恋愛はとても辛辣だ。数か月前に彼氏に別れを告げられた。

体感的には十分な時間が経っているはずなのだが、それに心が伴わない。

時間が失恋の薬、なんてそんなの嘘だったのだ。忘れたくても忘れられないものが私にはある。

これが、学生恋愛にありがちな形だけの恋人なら、私はきっとすぐに忘れられたんだと思う。でも、そうもいかない。

私は彼に人生を大きく変えられた。それを思い出すと感謝と同時に怒りもこみ上げる。

私に生きる意味を、喜びを教えてくれた彼、私に失う辛さや死すら望むほどの現実を与えた彼。二人とも同じ「彼」なのだ。


だんだん、息が苦しくなる。私をまとう空気すべてに彼の匂いがこすりつけられているみたいで、そう思い込んでしまう自分がただ辛かった

彼と付き合いはじめる前から窓の外の景色はたいしてかわっていないはずなのに、今は目に映る1つ1つにいちいち理由をつけては、私の方が幸せだと思い込んでいる。


ずっと、ずっとだ。

「早く忘れちゃいなよ。」「絶対ほかにいい人いる。」

そんな慰めを何度も受けて、その度に少しだけこの辛さから解放されたような気もした。

でも、それは一時的な特効薬でしかなく、結局悲しい、辛い、寂しい、そんな思いの数々は心の奥に蓄積されるだけだ。そうしてそれがあふれかえったとき、私はまた彼のことを好きになってしまう。

ある日ふと思った。これは愛情なのか、ただの依存心なのではないかと。私は彼と過ごした9か月という時間にしがみついて、それを手放せないだけなのではないか、と。

自分の中でもとうに気付いていたのだ。これが透き通った「恋愛感情」なんてものではないことを。

中学生には似つくわない考え方だろうか。

私だけが本気だったんだろう、今となってはそう思える。

私は大人で子供なんだ。だから「大人びた恋愛」なんてものを望む。

子供みたいに相手の言うことを全部信じてしまう。自分に都合のいい解釈をしては、それがすべてだと信じ込む。

大人びた恋愛というのは、体の関係だとかお金の話とかじゃない。

ただ、報われる恋愛がしたいだけなのだ。

例えば、彼と付き合っているときに婚姻届けでも出したらどうだったんだろうか。

法律という鎖に繋がれた2人は、現実の中で幸せに結ばれる。

そんな、離れられない関係を世間が「大人の恋愛」と呼ぶなら、

私は早く大人になりたい。

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雨の香り みりん @noa_abc72712

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