第二章 (5) 私の出番

「……みよさまが部屋から出てこない?」


 別件の作業をしていたロンは、その知らせを聞き思わず目を剥いた。


 翌朝の出来事である。橘はいつも通り三時半に起き、いつものように読書課をこなした。しかし、昨夜支部まで一緒に戻ってきた三善の姿が見えない。彼が出かけるときは必ず事前にメールなどで連絡してくるのだが、今日はなにもなかった。念のため着信履歴も検索したが、昨夜から携帯が鳴った形跡すらなかった。朝食にも姿を見せず、結局彼は突如行方不明の人となったのである。困りに困ってイヴに居場所を特定するよう要請すると、意外や意外、三善は自室の中に引きこもっていたのだった。


 三善の自室は扉の内側から閂をかけることができるようになっている。外からは開けられないので、中の様子を窺うこともできず。最終的に、橘は助けを呼びにロンの元へ向かうことにしたのである。


 そして現在に至る。


「あれだけ食べるのが好きなひとが、朝食も取らずに部屋にいるなんておかしいです!」


 それには同意したようで、ロンも頷きながら両手に抱えていた聖典を棚に戻した。


「うん、確かに。何があっても飯だけは食うもんな、あの人は」


 この支部にやってきた一番初めの冬に三善はインフルエンザに罹ったのだが、そのときですら彼は野菜カレーを大盛三杯たいらげている。その前科があるせいか、「姫良三善が食事を摂らない」という事実が全く信じられないのだ。

 ロンは暫し逡巡し、それからどこかに電話をかけ始めた。


***


「という訳で、私の出番ですか」


 すっかり呆れ果てた様子のリーナが男二人に目を向け、残念そうに肩をすくめた。


「確かに出てこないのは心配だわ。ご飯を食べさせないと、さすがの三善君も干からびるでしょ」


 リーナは己の銀十字を外し、『釈義』を展開させる。十字はその手の中で銀色の炎をまとい、次の瞬間には小型のピストルと化していた。


「面倒だから撃っちゃいましょう。今手元にスクリュードライバーもないし」


 そして彼女はためらいなくドアを撃ち抜いたのだった。

 爆音が三発、その場に轟いた。

 その潔さに目をひんむいた男二人、やはりこういうときは女が強いのだと再認識させられている。そしてこうも思う。決して彼女を怒らせてはいけない。怒らせた暁には、自分の命が危ない。


 リーナが扉を開けると、簡素なベッドの上に布団の塊が鎮座していた。毛布が何重にも重なり、まるで巨大な団子のようになっている。

 間違いない、これが部屋の主だ。


「三善君。いい加減起きなさい、今日は事務処理をするって言っていたでしょ」


 容赦なくリーナはその毛布の塊を解き、中から出てきた三善を起こそうと肩をゆすった。

 だが、彼はぴくりとも動かない。だらりと首が下がり、力という力が全て抜けたような状態だった。


 その様子を目の当たりにしたリーナはすぐに状況を理解した。彼女は膝立ちになり、三善と自分の額に手を当てる。

 彼女の手が少し冷えていたせいだろう、それにようやく反応して三善は体をぴくりと震わせた。


「……熱がある」

 リーナは振り返り、後ろの二人に声をかけた。「橘君、悪いんだけど水とタオルを持ってきてくれる? ロンはブラザー・帝都ていとを呼んできて。最悪の場合、本部からブラザー・ホセを呼ぶことも視野に入れておいて」

「はっはい」

「Got it.」


 手早く指示を出され、慌てて男二人は部屋から飛び出してゆく。それを見送った後、リーナは改めて布団をひっぺがし、横になる三善に丁寧にかけ直してやった。そして昏々と眠りにつく三善を見つめると、ゆっくりと息を吐き出す。


 彼が赴任してきたばかりの頃、一度だけ似たようなことがあった。

 三善が突然高熱を出したと思ったら、丸一週間ぐったりとしたまま目を覚まさなかった。支部で医務を担当している帝都牧師でさえもお手上げで、困り果てた末に本部に助けを求めたのだ。


 その時やってきたのが、かのブラザー・ホセである。彼は昏睡状態の三善を見て、すぐにその原因を察してくれた。その時彼が三善に対し何を施術したのかは分からない。人払いをされてしまったので、リーナやロンはおろか、他の神父一同誰も知る由がなかった。ただ、後に帝都牧師がホセに呼び出されていたので、彼はもしかしたら詳細を知っているのかもしれない。

 もしも、あの時のようなことが起こったら。

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