第一章 (9) 詐欺

***


「詐欺だ」


 橘は唐突に言い放った。今は三時課、仕事の時間である。


 秘書部門のロンは事実上三善専属であるので、彼の仕事部屋で黙々と書類整理をしていた。ちなみにその部屋の主は奥で惰眠を貪っている。何のことはない、本来今日の三善は非番で、朝晩のミサに出席さえすれば何をしてもいい日なのである。

普段休みを返上してあちこち飛び回っている彼だからこそ、ロンにとっては今日のように大人しくしてくれる方が安心できる。


 橘が暇そうにしていたので、三善が散らかした本を棚に戻す手伝いをさせていたのだが、ふと彼が神妙な顔つきになった。そして冒頭の一言へと戻る。


 はじめ何のことか分からずにロンはきょとんとしていたが、すぐにそれが三善のことだと分かり大爆笑した。


「だって、さっきから片付けているこの本、全部知らない言語なんですけど。なんで少年漫画を抱えて寝ているような人がこういうことに長けているんですか。詐欺でしょう」

「ああ確かに、あれは詐欺だ!」


 腹を抱えひいひい言うロンも、かつて三善に対し「嘘だろ聞いてねえ」と言い放った一人である。そもそも思いつくだけでも、三善の素行は神父のそれではない。


「聖職者の癖に煙草は吸う、居眠りはする、脱走癖がある。挙句出したものは片付けないしね。あんなに不真面目なのに、祝詞をあげる度にぶっわーっと背中から気持ち悪いくらいに聖気を吐き出すんだよな。俺たちはもう慣れたけど、初めてならびっくりするねぇ、確かに」

「何者なんですか、あのひとは!」

「次に教皇になるひとだよ」


 ロンがすっぱりと言いきる。まるでさも当たり前のことのように。


「きょうこ……?」

「次期教皇」


 さすがに橘がたじろいだ。その反応を見て、そうかこういうこともよく分からないのか、とロンは理解した。

 今日はそこまで仕事が多い訳ではないし、こういう話をするのは教義を布教するという意味で損はない。どうせのちのち教えることになるのだから、合理的でもある。総合的に判断して、ロンは一旦その手を止めた。


「正確には大司教だね。あのひとはそうなるべくして生まれたようなものだから。タチバナ君、ちょっとうちの教団についてお勉強しようか」


 ロンは適当なざら紙を引っ張り出し、三善が普段使用している異様にでかい机にそれを広げる。


 まずは位階についてだ、と前置きし、紙に大きな三角形を書いた。


「この三角形の、一番下が“助祭deacon”。俺なんかがそうなんだけど。黄色い肩帯を下げた奴らはみんなこれ。その上にあるのが“司祭pastor”。紫色の肩帯を下げた奴らのこと」


 その三角形を三分割にし、下からDeacon、Pastorと書き込んでいく。


「助祭の仕事は主に、司祭の補佐をすることだ。司祭は各教会で説教をしたりする、まあ普通の神父ってとこだろうか。街中で見かける教会に勤務しているのは大抵この人たち。ここまではOK?」

「は、はい……。え、じゃあ司教ファーザーは?」

「その上」

 そして三角形の上に、ロンはBishopと書き加えた。「司教Bishopは、広義の『十二使徒』に匹敵する非常に徳の高い聖職者のこと。十二使徒くらいは分かるだろ?」

「え、まあ、はい」

「目が泳いでるよ、君」


 ホセや三善がこの司教にあたるわけだが、通常この位階を持つ者は迂闊に話しかけられないような立場にある。つまり、言いかえれば司教は大聖教においてはエリート中のエリート。高根の花もいいところなのである。だから先程例に挙げたホセ・三善のように、若くしてその位階を得ることは極めて困難。それが彼らの「化け物」たらしめる所以なのだった。


「さらにこれらを束ねる実質最高権力者が、大司教Archbishop。分かりやすく言うとThe Most Reverend Father in God、ってこと。ちなみに今この席は空席。ええと、聖戦のあたりだから――もう十年くらいかな」


 ふむ、と橘が首を傾げる。そのことならほんの少しだけ小耳にはさんだことがある。確か大司教は約十年前に聖都を中心に勃発した『聖戦』で殉職したはずだ。もっとも、十年前といえば橘自身はまだ七歳。これらの知識は後々学校の授業で習ったことである。


 歴史学は人の争いの歴史を学ぶものだ、と言う者もいるが、まさしくその通りだと橘は思う。

 さて、とロンは手を叩いた。


「ここからはみよさま自身の話になる。本人いわく、彼は大司教の御子息なんだそうだ。これに関しては物理的証拠もあるから事実だろう。そのせいという訳ではないけれど、大聖教の中においてのみよさまは次期教皇という風に見られている。でもね、それを頑なに阻止する人物がいる」


 どういう人だと思う? と尋ねられたので、橘は少し考えた。そしてすぐに口を開く。


「……大司教就任は世襲制でないんですよね」

「その通りだ。通常、枢機卿団による選挙で決まる」

「それなら、センセが現れる前から大司教の右腕として働いていた人が一番嫌な思いをするんじゃないかな。大司教の右腕、ということは、それ相応の徳を持ち合わせた人物になるだろうし」

「正解。君、結構賢いね」


 ロンは先程書きこんだArchbishopの文字にニア・イコールを並べ、さらに『James』と書き込んだ。


 ジェームズ? と橘は首を傾げる。


「『十二使徒』のヤコブと綴りが同じだけど、それじゃないからね。君の言うその右腕にあたる人物が、枢機卿団のトップであるジェームズ・シェーファー。現在のエクレシアの実権を握っているのはこの人だ」


 へえ、と橘が呆けていると、さらにロンは付け加えた。


「困ったことに、このお方はみよさまのことをかなり嫌っている。色々と要因はあるんだけど、今の対立状態が明確になったのが今から六年前、みよさまが十五歳の時だ。このとき、教義の解釈の違いからみよさまは枢機卿に真正面から喧嘩を売り、挙句『自分が次の教皇になる』と宣言してしまった。このときからうちの教団は派閥化してしまったという訳。このあたりの経緯が分からないと、多分君はこの先生きていくのが非常にしんどくなると思う。どちらにつくかは、まあ、個人の自由だけど」


 そしてへらっと笑う。


 橘は現実離れしたその話に呆気に取られてしまったのか、口をぽっかーんと開け放っていた。教会とは名ばかり、実際はどろどろとした人間関係が濃縮されたとんでもない場所だということに、彼はようやく気が付いたようだ。

 その呆けた頭でようやく絞り出された言葉は、


「何その、議席を獲得するために奮闘する政党みたいな話は」


 情けないことにこれだけだった。


政党Partyか。なかなかいい表現だ。そうだね、箱館支部に勤務する聖職者は基本的にみよさまに恩がある人たちばかりだから、よほどのことがない限り彼の味方をするだろう」


 そんな人があんなにちゃらちゃらしていていいのだろうか、とは言えない橘である。


 この時点で橘は相当な衝撃を受けているようだが、実はまだこれは序の口である。もしかしたら話すタイミングが早すぎるかもしれないが、まあいいかと軽い気持ちでロンは続けた。


 それだけじゃないよ、と。


「あの人、経歴が他とは比べ物にならないくらい派手だから」


 ロン曰く。

 姫良三善司教、彼はエクレシア史上最年少司教である。当然司教試験を受けて合格した末の位階だが、その内訳がまた突拍子もない。なんと、実技試験満点。筆記は不合格寸前のギリギリ通過だったようだが、それを実技であっさりカバーしてしまっていた。


 ちなみにその実技試験中に何が起こったのかというと、当時の試験官曰く、「天使祝詞ワンセットを唱えただけで、被験者のみならずその場にいた試験官、他に控えていた受験生の邪念すらもまとめて一緒に祓ってしまった」のだそうだ。それもほんの一瞬で。これを満点と言わずどう評価しろというのだろうか。さすがにこの結果にはかの枢機卿・ジェームズも目を剥いたと聞く。


「それと、彼は助祭の段階で、大司教のみが扱えるはずの『秘蹟』の能力を行使できた」

「ひせき?」

「分類上『ゆるしの秘跡』というやつらしいけど、平たく言うと“七つの大罪”を根底の部分から浄化してしまう秘術だね。プロフェットが使う『釈義』とも、“七つの大罪”が使う術にも属さない、それこそ奇跡の御業だそうだ。その力を以て、彼は十五歳の時に“傲慢”“嫉妬”第一階層を浄化してしまっている。既成事実だけ積み上げられた結果、あんな化け物が出来上がってしまった」


 そして締めといわんばかりに、ロンは満面の笑みを浮かべた。


「君の先生はそういう、かなり特殊な人だ。それをよーく、覚えておくんだよ」

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