Di immortals.

 帰りの車の中で、じっと押し黙っている三善をホセは横目で見ていた。彼はようやく落ち着いたらしく、今はいつも通りの穏やかな表情に戻っている。それを見て、ホセはようやく安堵した。


 しかし、『これ』を話したら彼はまた動揺するかもしれない。だからといって、『これ』を黙っているわけにもいかない。一体どうしたものか。


 散々悩んだ結果、ホセはためらいがちに彼に声をかけた。


「……ヒメ君。ちょっといいですか」


 三善がきょとんとしてホセの横顔を見た。そして首を傾げる。


「なに?」

「ケファのことなんですが。落ち着いて聞いてくださいね」


 やはり彼の『聖痕』については話すべきだと思った。そして、それを理解した上で彼の帰りを待ってもらいたい。先程のふたりを見て、ホセはそう思ったのだ。

 本来ならば互いに嘘をつき続けた状態であることが望ましいのだろう。その方が互いに傷が浅い。分かってはいるが、そのまま放っておくことが、三善にとって最善ではないということにホセは気づいていた。


 だから、あの人には悪いとは思うけれど真実を話すことにしたのだ。


 ホセは言葉を慎重に選びつつ、やっとの思いでその事実を告げる。


「ケファは――実は、大分前から背中に『聖痕』が現れていまして。本当はその治療のために異動になったんです」


 三善はうつむいた。取り乱すかと思ったが、どうやらそれも違うらしい。何かを考えているようにも見える。そしてようやく、彼もかなり慎重に言葉を選んでいるのだと理解した。


「……知ってたよ」

「え?」

「ケファは何も言ってくれなかったけど。『聖痕』があること自体は、何となく気づいていた。多分、リバウンドが起きたのは“嫉妬”戦のあたりじゃないかな。それを僕に気づかれないよう、必死に痛いのを堪えていることも。夜に外出していたのも。僕は全部気づいていた。きっと治療に行っているんだと、そう思っていた。だから僕は全部知っていた。知っていたけれど、知らないふりをしていた」


 どうして、というホセの問いに、すぐ三善は答えた。


「ケファは優しいから。僕が気づいていると知ったら、今以上に無理をするに決まっている。それに、……いつかケファがちゃんと説明してくれると思って。僕はそれまで待つつもりだった」


 結局それについてはなにも言ってくれなかったけど、と三善は苦笑した。


「勿論これからもそうするつもり。僕は待つよ、ケファが正直に話してくれるまで」


 とことんあのふたりは、互いに嘘をつき続けるつもりだった。そしてこれからも。それでいいと本人たちが暗黙のうちに了解し、絶対に表に出そうとはしない。それで納得しているのだった。


 ホセはそれを知り、胸が苦しくなって思わず目を細めた。


 予想外にあの二人の絆が歪んだものであると気付かされたからである。否、結束が強い分そういうところにしわ寄せが生じているのかもしれない。


 その歪んだ絆に潰されないといいが。


 そう思った時だった。

 三善の携帯電話が、着信を訴えて震えだした。先日帯刀から送付されてきたものだ。電話の相手は勿論決まっていた。


「ゆき君? どうしたんだろ」


 あれ以来、彼らは互いに全く連絡を取っていなかった。それに、トマスが言っていた慶馬の怪我の件もある。三善は少し気を遣って、あまり連絡を取らないようにしていたのだ。


 何か困ったことがあったのだろうか。


 そう思いながら、三善は通話ボタンを押下した。


『みよちゃん!』


 電話の向こうで、帯刀が随分と慌てた様子でいる。一体どうしたのだろう。彼には珍しく、ひどく動揺しているようにも思えた。あの浅木市の件ですら、冷静沈着でいた彼だ。よほどのことがあったに違いない。


「どうしたの?」


 尋ねると、帯刀は早口でまくしたてるように言った。


『今どこにいる! 本部か!』

「え? ええと、……ホセ、ここどこ?」


 平和島へいわじまのあたりです、とホセが横で答えた。そう問いかけた声が、帯刀の耳に届いたのだろう。ひとまず三善が今ひとりではないということを知り、微かに安堵の声を洩らした。


『今ブラザーと一緒か。運転中?』

「うん。空港からの帰りだけど……平和島のあたりだって言ってるよ」


 はっと、息を飲む音が聞こえた。きょとんとして、三善は首を傾げている。


『エクレシアの公用車ならカーナビが付いていたはず。今すぐテレビ機能に切り替えて、どこでもいいからチャンネルを合わせろ。今ならどこの局でも同じ報道をしているから』


 三善は言われるがままにカーナビを操作し、適当にチャンネルを合わせた。


 臨時ニュースが放送されていた。画面に映る報道ステーションは大変に混乱しており、女性キャスターの背後を慌ただしく職員が走り回っている。


 そのニュースに耳を傾ける。女性キャスターはその事実だけを淡々と伝えていた。冷静を装ってはいるが、彼女も相当焦っているように思われた。


 彼女の口から伝えられる情報を要約すると、どうやらつい先程大規模な飛行機事故が発生したらしい。


「飛行機事故……?」


 なぜか嫌な予感がした。胸の奥で警鐘が鳴り響く。

 路肩に車を停車させ、ホセもその速報に目を向ける。隣にいる三善がホセの袖を掴んで離さない。


『落ち着いて聞くんだ。いいか。……みよちゃん? 聞こえる?』


 電話の声が耳に入らない。理解することができない。


 テレビには飛行機が妙なところで高度を下げ、海に墜落してゆく映像が流れている。ところどころノイズがかかって非常に見難い。墜落してゆく際、機体が妙な煙を上げているのに気がついた。


 しばらく真剣な面持ちでそれを見つめ、ホセは不安そうにしている三善の肩をゆっくりと抱いた。血の気が下がったのか、彼の肩は思いの外冷たかった。


 報道によると、この事故で機体は海に不時着したという。いきなり冬の海に放り出された乗客および乗組員は、そのどちらも生存は絶望的であるという。海水に深く深く沈んでいった機体はすぐには引き上げることができないくらいに激しい損傷を受けており、その中に閉じ込められた者も少なからずいるのではないかとのことだ。


 三善が完全に使いものにならなくなったため、ホセはそっと彼の手から携帯電話を抜き取った。


「ブラザー・ユキ。ヒメ君の代わりに私が聞きます。この便はまさか」


 その事故映像が何度か流された後、ようやく報道センターに情報が入ったらしい。間もなく墜落した飛行機の便が発表される。


『そのまさかだ。十三時ちょうど発、ドイツ直行、エクレシア指定便』


 どうしてこんなにも心臓が高鳴るのだろう。どうしてこんなに、嫌な予感がするのだろう。三善は何度も頭の中で最悪の事態を繰り返し想定していた。そんなの、ただの妄想だ。妄想に過ぎないのだ、「まさか」そんなことが起こるはずない。


 彼は自分と約束したのだ。


 自分よりも先に司教になると。そしていつか、そのイヤー・カフを返すように、と。


 彼が約束を破るはずがない。三善はその「まさか」が起こらないよう、必死で祈りながらカーナビの画面を見つめた。


『名簿の中に名前を見つけた。残念だが――』





 ――その日以降、ケファ・ストルメントからの連絡は途絶えた。


(第一部 終)

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