第五章 (3) 『正義』とは

 マリアは鋼鉄の翼をはためかせ、三善を乗せた車を追っていた。はるか上空で、長い髪がまるでヴェールのようになびいてゆく。突如吹き付けた強風に時折動きを止めつつも、そのルビーの瞳は、じっと、車の動向を監視していた。


 マリアの位置情報は定期的にホセの元へと伝達されている。おそらく、既にホセは彼らがどこへ向かっているのか見当がついている頃だろう。


「――『八区を抜け、九区に突入』」


 すぐに攻撃してはならない、とホセから命じられていたので、マリアは淡々とそれを守っていた。


 本当は、自ら飛び込んでいきたかった。こんなに近くで、もうその居場所すら突きとめているのに。

 マリアは無意識にそう思っていたが、はっとして、すぐにかぶりを振った。


 そもそも、A-Pである自分が主観で物事を考えるということ自体おかしいのだ。

 薄々感じてはいた。あの一件――“嫉妬”と対峙したとき以降、やはり自分はどこか壊れてしまっているのではないかと。勿論、主人マスターに再会できたのは嬉しかったのだが、心のどこかで、また彼を傷つけてしまうのではないかと思っていた。


 単純に「こわかった」。


 それでも、今自分が追いかけている救世主メシアそのひとは、「それではいけない」と身を持って教えてくれた。できる限り一緒にいようとしてくれた。そして、己と主人とを再び結び付けてくれた。


 だからこそ思うのだ。主人マスターが大切にしているあの人のことは、自分が守るべきなのだと。そして現状の最善策は、主人マスターの言うとおり、今は手を出さないことだ。


 車はそのまま古い建物の前に停車する。ややあって、運転席の扉が開いた。

 マリアはその現場を目の当たりにし、堪えるように胸に手を置く。


 今の自分の使命は、あの人の居場所を正確に伝えること。それだけだ。


***


 ホセはおもむろに懐から携帯電話を取り出すと、その液晶画面に目を向けた。しばらくその画面を眺めたのち、運転手の名を呼ぶ。


「ケファ。次の交差点を左に曲がって、高速に入ってください。降りる場所は御厨みくり町です」


 ケファはその地名に何か思い当たる節があったのだろう。深くは追求せず、ただ一言、


「第九区、か」


 ぽつりと呟いた。


 車は高速道路のゲートを潜り、さらに加速してゆく。流れる景色が安定した頃、ため息交じりにケファが口を開いた。


「おそらく、あの場所なんだろうな」

「御厨町は『あのひと』が住んでいた場所ですものね」


 ホセもそれに対し淡々と返答する。

 先ほどマリアが携帯に送信してくれた情報によると、彼らは御厨町のはずれにある寂れた教会に降り立ったとのことだ。その場所をホセは非常によく知っていた。むしろ『十二使徒』ならば知らない者はいないだろう。ケファも第九区という時点で何かを察したらしく、ホセと同じ場所を連想しているようだ。


「なあ、ホセ」


 アクセルを踏みつつ、ケファが声をかけた。


「俺たちは、これで正しかったのかな」


 ホセは口を閉ざしたまま、ケファの言葉に耳を傾けている。続きを促しているのだとすぐに悟ったケファは、じっと前を見据えながらさらに口を開いた。

 その声色ににじみ出るのは、微かな迷いと後悔だった。


「今まであいつのためと思ってやってきたけど、いよいよそれが真に正しい行為だったのか分からなくなってきた」

「……、あなたが真に何を考えているのか、私には分かりかねますが」


 彼が投げかけた問いに、ホセは少し頭を悩ませたようだ。なるべく真摯に答えようと、慎重に言葉を選んでいる様子がその姿を見ずとも伝わってくる。


 しばらく悩みに悩み、ホセはようやくひとつの答えにたどり着いたらしい。


「自分の立場や宗教、その他あらゆるしがらみを抜きにして言います。我々は、たぶん、正しくない」

「正しくない」

「ええ。そこで言う真偽とは何か、というところは省きます。たぶんあなたは聡いから、細かいことを言わなくても分かるでしょう。我々は……、違うな。と、は、ですね。私とあなたは、『釈義』という共通の概念により考え方をある程度『均一に』させられている。そういう生まれをしています。客観的に見て、思考パターンがかなり偏っているでしょう。これが大前提です」


「ああ。心得ている」

「あなたが今言っている『正しさ』というものは、別の言葉に置き換えると『正義』というやつです。もっと細かく言うと、メタ法価値論に該当します。しかしながら、その正しさを判定する基準は、私とあなたの中には『大聖教』という便利な呪文しか存在しない」

 ホセは続けた。「だからこそ、正しくないと思う。我々は聖職者ですから、本来は科学的方法と法律的方法により正しさを慎重に吟味すべきです。しかしながら、ヒメ君という事象に関してはそこから一歩離れたところから検討するのがよいかと思います」


 ケファは三秒ほど押し黙り、ホセが言わんとしていることが何かを十分に検討した。それから、半分笑いながら言ってやった。


「お前は随分と難しい言い方をする」

「あなたほどではありませんよ。……でもね、これだけは正しかったと言えます。二年前、偶然ヒメ君の存在を知り、地上へ連れ出したこと。彼の隣にあなたを据えたこと。私は胸を張って言えます。あなたを選んでよかった。それは本当に正しいことでした」

「……、」

「答えになりましたか」


 ケファはしばらく口を閉ざし、――唐突にやたら長ったらしい息を吐いた。


「あー、お前はどうしてそういうことを平然と言うんだ。恥ずかしい奴」

「それもあなたほどではないですね。三日前の長々とした……」

「あーあーあー! それはもう忘れろ! いや、忘れなくていいからわざわざ言うな!」


 運転中でなければ一発拳が飛ぶところだった。

 横でくすくすと笑っているホセは「やっぱりあなたはからかいがいがありますね」とさらに怒られそうなことを口走っている。


 その態度にケファはさらに吠えるかと思いきや、どうやらその感情は腹の奥底にしまい込むことにしたらしい。


 真面目な顔に戻り、彼の名を呼ぶ。


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