第三章 (4) 図書館

 肩にタオルをかけたまま、適当にぶつ切りにされた切り株に腰掛ける。湯気を立ち昇らせている紅茶と、正体の分からない謎の固形物。三善はきょとんとしてその固形物を見つめ、一応尋ねてみた。


「……これは、食べてもいい材料でできているのですか?」

「携帯食料で悪かったな。この雪じゃあ、キャンプから何かとってくることもできやしない」


 『けいたいしょくりょう』とは一体なんだろう、とは思ったが、まあ文句は言わず口にすることにする。噛みついてみると、なんとも言えない食感と味が口いっぱいに広がった。なんだか粘土みたいだった。


 いつも自分はとてもおいしいものを食べているんだなあ、とぼんやり考えると、紅茶を一口。舌にざらりとした違和感があった。


「……もしかして、ティー・バッグを泳がせました?」

「あ? ああ」

「泳がせるなとあれほど言っているじゃないですか。人の話を聞いてないんですね、相変わらず」

「うるせえよ、これだからイギリス人は! 文句があるなら飲むんじゃねぇ」

「いいえ、別に文句はありません」


 まるで本人のようなコメントが自然に口を突いて出たことに、三善は内心よくやったとガッツポーズを決めている。伊達に長いこと近くにいた訳ではない。我ながら会心の出来だと満足げに微笑んだ。


 あまりおいしくない紅茶をすすりながら、目の前で不機嫌そうにしている男へ目を向ける。


 そういえば、目の前のこの人物はどんな理由で殉教したのだったか。不自然にならない程度に目を閉じ思考を巡らせるも、その答えは頭に浮かんではこなかった。


 そのとき、ことん、とトマスはカップを置いた。


「――お前が、俺を殺したんだろう」


 心臓が跳ねた。

 はじめはそのショッキングな内容に。次に、その一言が自分の疑問に対する答えであることに。まるで心を見透かされたのではないかと思うほどだ。


 三善は無表情のまま、彼をじっとねめつける。対して、彼は唇に笑みを湛え三善の黒く濡れた髪にそっと触れた。


 独特の花の香りがした。


「ああ、愛しい子。あなたがここにいるならば、今回はうまくいくかもしれない」


 不可解な言動に眉を顰めつつ、三善は鋭い口調で尋ねる。


「僕がホセ・カークランドではないと、いつから?」


 アイボリーの瞳がじっと、トマスの深い青を見つめる。じっと射抜くような目は確かにホセのものとよく似ていたが、微妙にそれとは異なっていた。


「初めから。ちなみに私もトマス・レイモンではありません。おあいこですね」


 優しく笑う男はゆっくりと三善から離れ、人差し指を唇の前に立てる。


「覚えていませんか? ここはエクレシア本部資料室閉架第十三階。あなたは鍵を開け、たったひとりで入ってきた」


 それで三善はようやく思い出した。そうだ、どうして思い出せなかったのだろう。自分は「あること」を調べるためにここへやってきたのだ。


 唐突に、三善は帯刀が言っていたことを思い出す。


 ――彼女は今も本部に隔離されている。彼女が存在する部屋は『釈義』により解放され、『釈義』を展開している間だけ彼女に会える。


「……随分な演出じゃないですか」


 三善が苦笑しながら言うと、目の前の男は一度だけゆっくりと、頷いたのだった。


「ならば、あなたが誰かを僕は知っている」


 三善は一瞬ためらったが、ゆっくりと、嚙みしめるように言った。


「『白髪の聖女』。いや……おかあ、さん」


 そう言った刹那、景色が突然溶け出した。どろどろに溶け出した絵の具のような世界に、三善は思わず息を飲んだ。あらゆる色という色が溶け合い、混ざり合い、そして最終的に霧散する。


 気づくと三善は図書館の中にいた。本部の図書館と非常によく似た間取りのその部屋は、等間隔に並ぶダウン・ライトにより柔らかく照らされている。


 三善が思わず己の手を見つめると、それはいつもの乳白色をした手だった。


「……久しぶり。やっと会えた」


 目の前にいるのは、自分と背格好が似た女性だった。白く長い髪は胸元でゆるやかに巻かれ、同色のシンプルなドレスに身を包んでいる。瞳はどこかで見たことがある、紅蓮の炎を連想する深い赤。モノクロコピーの写真で見た時よりもずっと、自分の姿と印象が似ていると三善は思った。


「ひとりにしてごめんなさい。でも、こうするしかなかったから」

「おかあ、さん」


 絞り出すような声色で、三善はその名を口にする。微かに目を細め、締め付けられる胸を落ち着けようと呼吸を整える。


「あなたは――ずっとひとりで、ここにいたの」


 三善の問いに対し、彼女はただ静かに微笑むだけで何も答えようとはしなかった。眩しげに目を細めた彼女は、その事実を噛みしめるように、ゆっくりと唇を動かす。


「ここは図書館」


 三善は怪訝そうな表情を浮かべ、「何?」と尋ねた。


「何千、何万と繰り返された歴史をあなたに伝える場所。それだけのために存在する場所。私はそのためにあなたを待っていた」

「ただ、それだけのために?」


 彼女は頷く。

 それを否定したくて、三善は首を横に振った。


「あり得ない」

「この場所にあり得ないなんてことはない。あなたの存在がある限り、それは誰にも否定されることがない。定義といってもいいのでしょうね」

「定義……」

「そう、定義」

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