第三章 (3) 作戦決行
「意外と早かったね」
三善が別行動していたケファを見つけた頃には、既に彼は車を出す準備を終えていた。息を弾ませながら助手席に転がりこむようにして乗り込むと、三善は慌てながらもシートベルトをしっかりと締めた。
「さすが帯刀。完璧に読んでやがる」
世界を牛耳る情報屋という二つ名は伊達じゃないということが証明された瞬間でもあった。本職の彼らに対して言うことではないかもしれないが、それでもやはり彼らを相手に情報戦を挑もうなど烏滸がましいとしか言いようがない。
しかし、彼の予測が正しかったと言うことは。ケファの脳裏にひとつの可能性が過る。
もしかしたら、“嫉妬”と対峙することで『契約の箱』について何か情報が得られるかもしれない。しかし、そんな下心を持って臨むような状況ではないことは理解していた。まず何よりも優先すべきは、“嫉妬”を捉えること。それだけだ。
雑念を振り払うようにチェンジレバーを動かし、ケファは車を発進した。相変わらず乱暴な運転で、まるで遊園地の絶叫マシンにも似た荒々しさと恐怖をたった一台の車で再現しているようにも思える。しかし三善にはこれに対しての耐性が十分に備わっていたので、臆することなく淡々と話しかけている。慣れとはある意味恐ろしいものだ。
「ケファ。状況はどんな感じか聞いている?」
「いいや、よく分からん。帯刀が監視しているはずだ、連絡取ってくれ」
ケファは右手でポケットから携帯電話を取り出すと、三善に渡した。
三善はアドレス帳の中から帯刀の番号を探し、通話ボタンを押す。数回のコールの後、帯刀は妙にのんびりとした声でそれに出た。
『ブラザー?』
「あ、もしもし。ゆき君?」
『ああ、みよちゃんだったか。そんなに大きい声出さなくても聞こえるよ。今どのあたり?』
本部を出たばかり、と三善が告げると、うん、と帯刀が短く返事した。声の調子は全く変わらない。まるでこの事態を予測していたような、しんとした落ち着きを感じる。
「今、そっちはどんな感じ?」
『うーん、ちょっとまずいかな』
本当にまずいと感じているのかさっぱり分からない悠長すぎる口調だった。今にもくだらない雑談を始めそうなほどにゆったりまったりした調子はそのままに、彼の口からはとんでもない事態が告げられる。
『今の浅木市は、ほとんど壊滅状態と言っていいと思う。“嫉妬”の弾丸が雨みたいに降ってくるし。場所は合っていたけど、これは本当に聖所を狙っていたのか疑問だな。殲滅戦に持ち込もうとしていると考えたほうがまだ理解できる』
何とかそこまで聞き取れたが、ところどころ音声が途切れつつある。
それは、ゆったりまったりと話す内容ではないのでは。
色々と言いたいことはあったが、まだ何とか電話がつながっているうちに、と三善は今後どうすればよいのか単刀直入に尋ねた。
『先にブラザーがマリアと応戦しているはず。ある程度囮にはなってくれているみたいだ。みよちゃん、可能ならなるべく急いでくれないか。俺もそろそろ加勢するつもりで――あっ』
何かが崩れる音がして、それと同時に電話が切れた。
「ゆっ、ゆき君?」
三善はしばらく携帯電話に呼びかけてみたが、応答はなかった。ただ無機質な電子音が通話終了の旨を告げているだけだ。諦めて三善は携帯電話を二つ折りにし、ケファに返却する。
「帯刀はなんだって?」
「なんか、不穏なところで電話が切れた」
とにかく、大変なことになっているということは分かった。こちらも急がなくては、“嫉妬”第一階層を生け捕りにするどころか全滅して終わりだ。その旨を告げると、
「りょー、かい」
返事もそこそこに、ケファがより強くアクセルを踏み込んだ。
激しいモーター音と風の抵抗による甲高い悲鳴が耳を劈く。これだけスピードを出していればすぐに浅木市まで着いてしまうだろう。その前に、ある程度対価を支払ってしまうべきだ。三善は先日の“嫉妬”戦のときの反省を活かし、あらかじめ持っていたプラスチックなどの対価を黙々と灰に転換し始める。
対価が『釈義』として三善へ取り込まれていくと、みるみるうちに灰が零れ落ち、三善の膝に降り積もった。その粉っぽさに思わずくしゃみをすると、その勢いで車内が灰まみれになる。
「ちょ、お前。それはやめてくれ。掃除大変だから」
「仕方ないでしょ、多分今浅木市に行ったら僕の対価は何もないんだから」
「公用車でそれをやられると、あとで俺が怒られるんだけど……」
「ごめんね。僕のために怒られてちょうだい」
ケファは泣きたいのをぐっとこらえ、浅木市へ向かってひたすらに車を走らせる。
二十分ほど走っただろうか。あと少しで浅木市内に到着するというところで、突如大きな地響きが耳に飛び込んできた。少しの間をおいて、激しい揺れが車を襲う。
ケファは慌ててブレーキを踏みこんだが、少し遅かった。車体は軽やかにスピンし、半回転した状態でようやく停止する。さすがに酔ったらしい三善は、口元を手で押さえ何とも言えない表情を浮かべている。
その頃には既に外の揺れは収まっていた。あまりに短時間だったので、ただの地震というよりは、何か巨大なものが落下したと考える方が自然だろう。
ケファが窓から顔を覗かせると、見るも無残な光景が一面に広がっていた。
コンクリートが隆起し、浅木市に向かうための道が完全に封鎖されてしまっている。現在地から浅木市に向かう道は、あいにくこの一本しかない。迂回しようとすると今来た道を一旦戻る必要があり、そんなことをしていたら到着までに相当な時間がかかるだろう。カーナビを起動して交通情報を確認したが、ここだけではなく別の道もいくつか閉鎖されているようだ。浅木市だけが孤立した状態。これは実に厄介だ。
二人は車を降りると、空を仰ぐ。とてもいい天気で、地上の惨事が想像もできないくらいに穏やかな夕暮れだ。それを見た二人の考えは大方一致していた。
三善が口を開く。
「ねえ、空飛んだ方が早いと思わない?」
「同意する」
今は一刻を争う事態なのだ。あまり『釈義』の使い込みはしたくないが、明らかに空から行った方が早そうだ。三善は先程対価を支払っていたし、ケファはケファで酷使しすぎなければ後から対価を支払えば十分に足りる。念のため、とケファは聖職衣のポケットから岩塩を取り出し、いくつか口に放り込んだ。
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