第一章 (2) つかの間の日常

 車を途中のパーキングエリアに停め、遅い朝食を購入した。基本的に二人は四本足の動物は食べないので、それ以外のものを探した結果、無難にオニギリとなった。それから、なぜかプリン。


 パーキングエリア内に設置されているベンチに腰かけ、それらをもしゃもしゃと食べながら、三善はのんびりと言った。


「きれいだね」

「ん? 何が」

「空があんなに遠いところにある。車の音がうるさいけれど、自然にあふれている。本部も山の中にあるけど、こことはまた違うよね。こっちのほうが好きだなぁ」

「あー、そういうこと」


 そうね、とケファは頷いた。


 やや反応が淡泊だったためさほど外に興味がなかったのかと思っていたが、まったくそんなことはなかったという訳だ。確かに、あの山奥からでは外に出辛いのは本当のことだ。もう少し移動手段があれば、ひとりでも出歩けるのだが……。


 そこでふと、ケファは思いついたことを尋ねた。


「三善、お前自転車って乗れるっけ?」

「自転車? まぁ、一応」


 ケファが赴任する直前に、少しでも体力をつけようとホセが練習させたのだ。意外と呑み込みが早かったらしく、ケファが正式に本部勤務になった頃にはスムーズに乗れるようになったが、いかんせん本部内の限られた場所でしか乗らない上三善の行動範囲が妙に狭かったため、完全に宝の持ち腐れとなったのである。


 なんでそんなことを? と三善が首を傾げたので、ケファは続ける。


「いや……、買えばいいんじゃねぇの。自転車」

「え?」

「今よりは行動範囲が広まるだろ。帰りに荷台に余裕があれば買ってやるけど、どうする」

「ほ、本当?」


 予想外に三善が食いついてきたので、ケファはつい苦笑する。こうしていれば、普通の少年なのだ。鳥かごに閉じ込めておいても、いいことなんか何一つない。だからもう少し、せめて三善の傍にいてやれる間だけは、もっともっと普通のことを教えてやりたい。


「ただし、危ないところに行くのはだめだ。それと、体調が悪い時も。それが約束できるならいいよ」

「約束する」

「了解。じゃあ、帰りに見て行こう」


 やったー、と盛り上がる三善を尻目に、ケファはペットボトルの緑茶を口にする。


 少しだけ、昔のことを思い出したのだ。


 初めて三善にあった日のこと。それから正式に本部勤務になり、三善に付いて洗礼の儀に向け準備したこと。プロフェットとして訓練に付き合い、共に“七つの大罪”と戦ったこと。昔はこんな風に笑うことも少なかったように思うし、口数だって相当少なかった。多少自分にべったりしすぎている気もするが、今の方が断然いいと思う。


 こんなことをしんみりと考えるくらいには、自分も年を食ったものだ。ケファは「我ながら親ばか……」と思いつつ、長時間の運転で凝り固まった首をごきりと鳴らす。


「ほら、そろそろ行くぞ」


 三善はまだプリンに手を付けていなかったが、それは社内で食べてもらうことにした。再び車に乗り込み、アクセルを踏む。


 しばらく似たような景色の中を走ると、高速道路を下りた。ここからは街中を走っていく。


 途中で約束通り、靴を買ってやった。普通の十五歳の少年が履くような、普通のスニーカーである。自分の持ち物が極端に少ない三善はへにゃんと柔らかく笑い、「ありがとう」と礼を言っていた。彼は嬉しいとき、よくこういう顔をしている。買ってやった甲斐があったとケファも笑う。


 時間が予想外に余ったため、せっかくなので水族館にも寄ってみた。


 魚が泳ぐ姿を、三善はずっと眺めていた。……一つの箇所につき、約二十分。「次!」と言われない限り、そこを動こうとしなかった。「あれは?」「これは?」という質問はよくしていたが、それ以外はずっと黙っていた。特に気に入っていたのはマグロの水槽で、勢いよく流れていく大群をずっと、飽きもせず眺めていた。


「疲れないのかな?」


 ようやく口を開いた三善は、隣であくびをかみ殺していたケファを仰ぐ。


「こいつらは回遊魚だから、ずっと泳がねぇと、生きていけないんだよ。だから止まれない」

「どういうこと?」

「ええと。お前が酸素を取り込むには、息を吸うだろう? マグロは海水を飲み込んで、その中の酸素を得て生きている。だから泳いで、泳ぎまくって水を飲まねえと生きていけない」

「ふうん。なんとなく分かった」


 そしてまた大きなガラスにへばりつく。よくもまあ飽きないな、と呆れを通り越して感心してしまうケファである。大水槽の前にベンチがあったので、そこで座りながら三善の背中を眺めていることにした。


 ふと携帯電話を見やると、そろそろこの場所を出る時間になっていた。


 ボタンを操作し、二日前に届いたメールに目を通す。反芻するようにその内容を読み返すと、ため息交じりに画面を二つ折りにする。


「おい、そろそろ出るぞ」


 名残惜しそうにする三善を半ば強引に引きずり、車に乗り込んだ。

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