第四章 (6) 傲慢、再び

 図書館の書庫というものは、どうしてこうも低身長の人間に不親切なのだろうか。


「ぐっ……」


 届かない、と必死になって背伸びしている三善は、現在学院内の図書館にいる。


 この図書館、学院系列の図書館の中では最多の蔵書数を誇る。特に専門分野である神学関連の書籍に関しては、「これ以上のものは国内にないのではないか」とまことしやかに噂されるほどの代物である。


 三善がケファのもとを離れひとりでここを訪れたのは、多少の理由がある。授業で使いたい資料を探しに来た、というのが一点。それと、

「ちょっとくらい、自立しよう」

 と思ったのが一点。


 しかしながら、三善はすでに失敗したと思っている。身長一六一センチである三善は、残念ながら一番上の棚まで手が届かない。


 よりによって、欲しい資料が一番上にあるだなんて!


 もしケファを連れて来ていたら、多少「お前ちびっこだもんなぁ」とからかわれつつも取ってくれただろうに。せめて脚立があれば。司書がいてくれれば。


 運悪く脚立もなければ司書すらいない、衝撃的な状況に三善はすっかり参ってしまった。背伸びして、やっと棚の二段目に手が届く。あと一段分が届かない。背伸びする足にぷるぷると妙な震えが生じてきた――その時。


 唐突に真横から見知らぬ手が伸びてきた。そして、三善が探していた本をひょいと抜きとると、呆ける三善にそっと差し出されたのである。


「ほらよ。これだろ、探し物は」


 なんと親切な人がいたものだろう。

 あまりの嬉しさに、差し出されるその手の先をよく見ずに、三善は「ありがとうございます」と頭を下げた。


 そしてぱっと見上げる。


「……あ」


 赤毛の短髪に、黒の聖職衣のような上着。じゃらりと鎖が擦れる音が、静かな図書室に響いた。


 この男は!


 三善の脳裏に、昨日の出来事がよぎる。昨日、自分の目の前に突然現れたかと思えば、何故か理不尽に蹴飛ばし踏みつぶしてきた、あの男。正直、怖いもの以外の何者でもなかった。しかも無意識に自分が“解析トレース”なんてしてしまったものだから、気まずくてしょうがない。今のところ、できれば会いたくない人物のかなり上位にランクインしている。


 三善は自分の身を守ることを最優先にし、そろそろと後ずさりをした。


「おっと」


 もちろん、それを許す“傲慢Superbia”ではない。すぐに三善の両肩をひっ掴み、身動きが取れぬようがっちりとホールドをかけた。


「大人しくしていたら、何も悪いことはしないからさ。赤いお目目のわんちゃん」


 犬呼ばわりされるのは今に始まったことではないが、さすがに“七つの大罪DeadlySins”にまで言われるとなると話は別だ。三善は思わずむっとして、眉間に皺が寄った。


「僕、犬じゃないし」

「まぁまぁ、言葉のあやってやつだ。気にするな」


 それにしても、この男の目的が見えない。三善は両肩を掴まれたまま、その独特の赤い瞳を睨めつけた。自分の瞳は炎の色と表現されることが多いが、この男の場合はまた別の色のように見える。強いて言えば、血の色、だろうか。少しだけべたついた、黒みがかった濁りのある赤。


 もしも三善を始末する、という意図でやってきたのなら、もっと楽な方法があるはずである。それこそ、昨日のように一人になったところを一発仕留めればいい。今は確かに一人ではあるけれど、騒ぎ立てればすぐそこに職員がいる訳だし、逃げることも踏まえると立地的にかなり不利である。結論としては、「始末」以外の要件ではあるだろうが。


 分からない。

 それ以外の価値が己にあるかと問われれば、答えは「否」だ。


 その時、とん、と三善の背中に何か固いものが当たった。……本棚だ。身動きが取れないよう、“傲慢”はさりげなく彼を壁に追いやっていた。


 “傲慢”の張り付いた笑みが、すぐ近くにある。


「ちょっと教えてほしいことがあってさ。お兄さんとお話しよう?」

「僕からあなたに話すことは一切ありません」

「俺はあるんだってば」

 ため息混じりに“傲慢”は言う。「ああそうか、君たちプロフェットのルールがあったよな。なんだっけ、『物事は等価であること』?」


 そのフレーズに、三善がぴくんと反応した。そして、何かを思案するような表情を浮かべる。


 これは取引なのだと、三善はようやく理解したのである。


「僕があなたの質問に答えたならば、あなたはなにをしてくれるのですか」


 その言い草に、“傲慢”は口角を吊り上げた。そうだな、と勿体ぶるような口調で呟くと、彼はふとなにかを思いついたらしい。これならば三善が釣られるだろうと、絶対の自信があった。三善本人がそれを感じ取れるくらい、“傲慢”の様子は自信に満ち溢れている。


「土岐野雨と、手を切ってあげてもいい。勿論、お前さんの答え次第だけどね」


 突然出た土岐野の名前に、三善ははっと目を見開いた。

 それを見て、「やっぱり」と彼は満足そうに笑う。


「俺だって、そこまでケチじゃあないさ。あの娘なしでも、俺たち“七つの大罪DeadlySins”は充分に成立する。第一階層を嘗めるなよ、犬っころ?」


 これは、思わぬ展開になった。上手く事が運べば、土岐野をこの男から解放してやることができるかもしれない。


 三善は瞬時に脳内で「どうすれば自分に有利な状況になるか」を計算し、ものの数秒で結論を出した。


「――分かりました。その取引、乗りましょう」


 その答えに、“傲慢”はにこりと微笑んだ。


「そうこなくちゃ」

「ただし」

 そんな彼の言葉を遮るように、三善は続ける。「僕とあなたの質問の数は同数であること。この条件でなければ、僕は取引には応じません」

「君もなかなかに強欲だな」

「あなた方には劣ります」


 三善の言葉に、“傲慢”は肩を竦めながら短く首を縦に動かした。やれやれ、とでも言いたげに、彼は三善から手を離す。


「いいよ。場所を変えよう」

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