同じ空、違う雪

 

同じ空、違う雪

クリスマスの夜。

彼は、彼女からのメールを待っていた。

 

両親の仕事の都合で、遠い土地へと住まいを変えて半年。

彼女とは、離れても気持ちはいっしょと誓いあった。

メールの頻度こそ少なくなってきていたが、彼女からのメールが絶えることはなかった。

いつか学校を卒業したら、またあの街へ帰る。

そうすれば、またいっしょに過ごせる。

そんな気持ちを綴ったメールを送り、部屋でひとり、返信が届くのを待っていた。

 

窓の外を見ると、早くからの雪が、降る量を増してきていた。

同じ雪を、彼女も見ているだろうか。


メールの返事は、まだ来なかった。




彼女は確かに、彼のことが大好きだった。

その思いは確かなもののはずだった。

だが、時の経過は、彼女の心に隙間を作っていた。

(寂しい)

その感情を抱いたことに気づいた時から、彼と離れて過ごすことに、彼女は耐えられなくなった。

メールだけでは満たされない。

声を聞くだけでは切ない。

その寂しさは、近くにいる男性の温もりで埋めるより、他なかった。


「ホワイトクリスマスだな」

その男の胸に顔を埋めながら、彼女はその言葉を聞いた。

雪を見上げながら、彼女は一瞬、彼のことを思い浮かべた。

だか、それは手のひらに落ちて溶けてしまう雪のように、儚く消え去った。


やがて、メールが来たことを伝える振動が、ささやかに彼女を揺さぶった。だか、男に抱かれる彼女には、その振動を感じとることはできなかった。




時が流れた。

彼は、あの街を訪れていた。

ちょうどクリスマスの夜。彼は、彼女とよく過ごした公園に来ていた。

約束などはない。

彼女はもう、自分に心を寄せていない。

そのことを知ったクリスマスから、何回のこの日が過ぎたかわからない。

それでも彼は、この街に帰ってきた。


公園のベンチに腰かけると、彼女との思い出がよみがえってくる。

ただいっしょにいられるだけで良かった、あの頃は。

あの頃はもう、帰らない。

なのに、なぜ…。


そんなことを考えていると、公園の向こうから、ベンチへ近寄る人影が見えた。

コートに身を包んだその人影は、彼へとまっすぐに歩を進めてきた。

輪郭がはっきりするころには、その人影が彼女であることがわかった。


「隣、空いてますか」

ベンチの前に立ち止まった彼女は、抑揚のない言葉づかいでそう言った。

彼は黙ってうなずき、ベンチの端へ寄った。空いたベンチの端と端に、二人は黙って腰かけていた。

しばらく、沈黙が続いた。その時間で二人の距離を縮めようとするかのように、二人はうつむいたまま、じっと座っていた。



「来年から、仕事を始めるんです」

彼はひとりごとのように呟いた。

「地元の企業で。小さな会社ですが、雰囲気はのどかだし、俺には合ってるかな、って」

彼女はうつむいたまま、彼の言葉を聞いていた。

「でもその前に、一度だけこの街へ……来たかった」

「どうしてですか?」

はじめて、彼女が口を挟んだ。彼は特に意に介さず、普通に言葉を続けた。

「なんでかな。よい思い出が残ってるから?」

「ほんとうに、よい思い出なのですか…」

少し、沈黙があった。

彼はそっとささやくように、声を出した。

「はい。今となっては……大切な思い出です」

そういった後も、彼は真正面を見据えるだけだったが、横で彼女がうなずいたような気配を感じた。

「わたしの話も、聞いていただけますか?」

彼は沈黙で答えた。

しばし間を空けてから、彼女はぽつりぽつりと語り出した。

「わたしは……好きな人の気持ちを、裏切ったことがあるんです」

言葉は一度、そこで途切れた。

彼の表情は変わらなかった。

「でも、その裏切りがずっと心に引っかかってて、どんな人とお付き合いしても、ダメなんです」

彼女は携帯を取りだし、視線をそれに落とした。

「はじめての裏切りの日もクリスマスでした。雪の降った日、彼からのメールにも気づかなくて……」

彼女はそう言うと、涙をこらえるかのように空を見上げた。

「メールには、雪のことが書いてありました。そちらも雪が降っていますか、って」

そう言うと、彼女は言葉を切った。代わりに、頬を一筋の涙が伝わった。

「もう、同じ雪を見ることは、できない…でしょうね」

彼女は泣き笑いを浮かべた。

「空は同じなのに、落ちてくる雪は違うのでしょうか」

しばらく、彼女の言葉に耳を傾けていた彼が、今度はひとりごとではなく、明確に彼女に向けて、そう言った。

「空はどこへも繋がっています。だとしたら、観る雪が違うということが、あるでしょうか」

その言葉を聞く彼女の涙は、さらに増したように見えた。



「ホテルに戻らないと……」

彼は立ち上がった。その姿には、ためらいは微塵もなかった。歩を進める前に、彼は彼女に向かって、こう言った。

「いつかまた、雪が降ったとき、空を見てはどうでしょう」

彼女はうなずいた。それを見届けると、彼もまた頭を下げ、公園を立ち去った。

出口のところで、彼はもう一度振り返った。

ベンチの前にたたずむ彼女に、彼はまた、深く頭を下げた。

やがて、公園から彼女の姿がなくなり、夜の公園は静寂に包まれた。





『こちらは雪が降っています。そちらはどうですか?』

返信されることのなかった一通のメール。

数年の後、その沈黙が破られることを、まだ彼は知らなかった。

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