第十一章 その3 おっさん、屋敷に引きこもる

「進級試験は学園内講義室にて行われる。遅刻者の入室は不可。また退室後は再入室を認めない」


 カフェ『赤の魔術師の館』にて、学則のまとめられた冊子を眺めるのはマリーナ、ナディア、そしてイヴとハーマニーの4人の少女だ。この冊子は入学後すぐに全生徒に配られており、それをイヴが家に帰って取ってきたのだ。


「学則は絶対よ、変更のためには理事会の承認が必要で、今日明日でどうにかなる問題じゃない」


 マリーナがため息交じりに項垂れる。


 こういった規則は法律と同じく不遡及の原則がはたらく。つまり新しく成文化された規則の設けられる以前の出来事に、その規則は適用されない。


「つまりハインさんは時間通り入室して、試験を受けなくてはならないわけですか」


 ハーマニーはミルクで苦味を薄めたコーヒーを片手に文面をじっと見つめる。まだ年少の彼女でも、学則に反した行為はできないことくらい承知している。


「進級試験は原則再試験を認めない、か。知り合いでちょうど進級試験の日にすごい風邪ひいた人いたけど、それでも試験だけは受けに行ってた人がいたわ。この日を逃すともうダメなのね」


「学校側の都合ならともかく、ハインさん個人の都合じゃ難しいでしょうね」


 頭を抱えるイヴにナディアが頭を掻きながら答える。


「誰かがハインさんの試験を妨害してくるなんて、本当に何故かしら」


 マリーナがほとんど減っていないコーヒーにようやく口を付ける。彼女たちはまだハインの出生にまつわる事実を知らない。


 その時、学則をパラパラとめくっていたイヴが何かに気付いたように「でも待って」と声を上げた。


「学校は関係者以外立ち入り禁止よ。試験ともなれば警備も厳しくなるはずだから、敷地にさえ入ればなんとかなるかもしれない」


「とりあえずハインさんを学校まで入れることができればいいわけね」


「なるほど、試験会場まで送り届けることができれば邪魔されることは無いと」


 一陣の光明に沸き立つ少女たち。ようやく糸口がつかめたようだが、すぐさま次の難題にぶつかる。


 では、どうやってはハインを学園まで連れて行こうか?


「警備軍に通報でもする?」


「私人の警護は軍の役割ではないわ。特にハインさんは平民だし。用心棒でも雇うなら別だけど」


「いっそのこと魔動車でも用意して、ずっとその中に入れておくのはどうでしょう?」


 ハーマニーの発言にナディアがぴくりと身を起こす。


「いいアイデアね。だけど、誰が運転する?」


 全員の視線がマリーナに注がれる。家族で魔術が使える人物がいるのは彼女だけだ。


 だが当のマリーナは苦々しく首を横に振った。


「私は運転できないし、お父さんも学園の理事だから無理よ。試験日に役員が生徒に接触するのは規約違反だから」


 魔動車の運転には特別な講習を経ての資格取得が必要だ。


 全員が落胆する中、「そういえば」とまたしてもイヴが切り出す。


「ハインさんの今いる屋敷って、たしか伯爵家の別荘よね。てことは魔動車の運転手くらいならいるはずだから、こう……」


 イヴは学則の余白に、さらさらとペンを走らせる。描いたのは四角形と円を組み合わせた図だった。


「魔動車の中。ハインさんを真ん中にして私たちで取り囲むように座る。そうすれば相手だって容易には動けないわ」


 ナディアとマリーナが「おお!」と声を挙げて賛同する。クラスでも利発なふたりを納得させ、イヴは少しばかり照れ笑いしてしまった。


 だがハーマニーは言葉に詰まり、恐る恐る尋ねる。


「でもそれって……危なくないですか?」


 狙われているのはハインだ。だがもしも、相手が手段を選ばない性格だったら?


 車ごと爆破するような人だった場合、同乗する少女たちも無事では済まされない。


「それくらい平気よ」


 だが回復術師科の女子生徒たちはそんなこと気にするかとでも言いたげにハーマニーの頭をそっと撫でる。今までハインから受けてきた恩義に比べれば、これくらい造作でもない。


「相手は若い女で、ハインさん以外には危害を加える様子は無かった、そうよねハーマニー?」


 詰め寄るようなイヴに、圧倒され、ハーマニーはついにこくりと頷く。


「じゃあこの方法でいきましょう」


 イヴがバタンと本を閉じる。


 少女たちは残ったコーヒーをすぐに飲み干し、同時に椅子から立ち上がった。




「ハイン、朝食を持って来たわ」


 パンとスープ、お茶を載せたワゴンを押した乳母を連れて伯爵夫人が部屋をノックする。


 だが返事は無かった。昨日の夜からずっと、どれだけ呼んでもハインはドアを開けるどころか返答さえしてくれないのだ。


「寝ているのかしら……」


 乳母がドアノブに手をかけたところ、エレンが「待って!」と制する。


 自分の衝撃的な出生の事実を知り、どれほどのショックだろう。心身ともに強靱なハインと言えどひとりの人間、ふさぎ込んでしまうのは仕方がない。今は誰とも会いたくない気分なのだろう。


 そんな伯爵夫人の考えを思い量ったのか、乳母は皺の寄った顔をふっと微笑ませる。


「エレン、あなたは本当にお優しいのですね。ですが情けと逃避、決して混同してはいけませんよ」


 乳母はそう言って元来た廊下をワゴンを押しながら戻った。伯爵夫人であるエレンに本音で忠告できるのは、実質彼女だけだ。


「奥様、奥様!」


 そんなエレンの元に駆けつけてきたのは奉公人の少年だった。


「ゼファーソン様のお屋敷に行って参りましたが、生憎留守でした」


「そう、使用人は何て?」


「王城のお勤めに行ったとしか。あとそれから、屋敷の前をコメニス書店のハーマニーが他の女の人たちと一緒にいるのも見かけました」


「女の人? ハインと同じ回復術師科の生徒かしら」


 明日は試験なのに、あの子たちは何を考えているのだろう。


 その時、別のメイドが「奥様!」と呼びながら足音も立てず現れる。


「奥様、回復術師科の生徒だと名乗る方々がお見えです」


 やはりそうだったか。


「すぐに通して!」


 伯爵夫人はそう言いながら、自分から廊下を駆け出していた。


 自ら玄関の取っ手を引いた伯爵夫人の目に飛び込んできたのは、ここまで走ってきたのか息切れさせた4人の少女が自分を見るなり面食らったように驚く様だった。


「伯爵夫人、お久しぶりです」


 ナディアとマリーナがスカートの裾を掴んで頭を下げる。再会は以前伯爵領に訪ねてきた時以来だ。


「久しぶりね。そちらの方は初めてかしら?」


「はい、イヴ・セドリウスと申します。お目にかかれて光栄に存じます」


 イヴも慌てて通例に従った挨拶をこなす。彼女も魔術師を目指す身分として、幼い頃より社交マナーを叩き込まれている。


「そんなに堅苦しくならないで。すぐにお茶を用意するからゆっくりしていって……というわけにもいかないわね、明日は肝心の進級試験なのだから」


「では率直に用件をお伝えします。ハインさんが明日の試験を無事に受けられるよう、どうかご協力いただけませんか?」


 伯爵夫人の言葉に自分たちの訪ねてきた目的が看破されていると心得、マリーナが切り出した。


「私たちはハインさんと一緒にこれからも回復術師としての勉学を続けたいと思っています。詳しくはわかりませんが、試験を妨害されるならこちらはハインさんを守り通すまで。今まで受けてきた恩、報いるためにもどうかよろしくお願いします」


 ナディアが続いて一歩前に出る。


「私もです、ハインさんにはいつも勉強見てくれたりとお世話になってますので」


「ええ、ハインさんはこんな私にも親切にしてくださいますから」


 ハーマニーとイヴも続く。


 熱くたぎる4人の視線を一身に受け、伯爵夫人はじわりと目に熱いものがこみ上げるのを感じた。


「みんな、ありがとう」


 そして目頭を押さえ、溢れ出そうになる涙を堪える。本当に、ハインは良き学友を持ったものだ。


 すぐさま伯爵夫人は4人を屋敷に入れ、ハインのいる部屋の前まで彼女たちを案内する。


「ハイン、回復術師科の皆さんが来たわよ」


 そしてドアをノックしながら今日一番明るく呼びかける。


「ハインさん、一緒に試験を受けましょう!」


「そうですよ、これからも楽しく学校に通いましょうよ!」


 少女たちも口々にドアの向こうのハインを呼ぶ。


 だが返ってきたのは鬱々と重苦しい、低く弱った声だった。


「僕がいると……君たちに迷惑がかかる」


 絶句する一同。しばらく彼女たちが言葉に詰まるっていると、さらに追い打ちをかけるようにハインは続けたのだった。


「君たちの好意はありがたいけど……申し訳ないが帰ってくれ」

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