第十一章 その2 おっさん、出自を知る

「まさか……こんな時に冗談はよしてくれよ」


 わざとらしく笑うハイン。だがベッド脇に座る伯爵夫人はゆっくりと首を横に振ると、「いいえ」と重苦しそうに返したのだった。


「冗談ならこんな事態になっていないわ」


 そして布団の上のハインの硬い皮膚に覆われた大きな手をそっと両手で持ち上げると、まるで顔からめを逸らすようにその甲を見つめる。


「聞いてしまったのよ。国王陛下の側近のゼファーソンさんが話しているのを」


「ゼファーソンって……あ!」


 聞き覚えのある名に、ハインの記憶がありありと蘇る。先日、本を届けに行ったあの豪邸。老執事の出迎えてくれたあの屋敷の主は、たしかゼファーソンだった。


 あの家があんなに立派なのは、なるほどそんな要職を務める人物の所有だかたか。そう納得するも束の間、エレンはハインの手を強く握り予想外の出来事に上の空だったハインを引き戻した。


「ゼファーソンさんはあなたに回復術師になってもらいたくないと考えている。だからあなたを襲って、進級試験を受けられないようにしたのよ」


「な、一体なんでそんなことに!?」


 驚くと同時に珍しく激昂して声を荒げる。7年以上かけて積み上げてきたこれまでの苦労を、そんな自分の知らないところで踏みにじられては我慢ならない。


「それは……魔術師養成学園の卒業式には国王陛下も参列なされるから」


 今までほとんど見たことの無かった怒りを露わにするハインの姿に身を縮ませながらも、伯爵夫人はハインの手を握り続けていた。


「この前ね、国王陛下と謁見したの。お顔はあまり見えなかったのだけど……背格好も声も、雰囲気はハイン、あなたと同じだった」


「嘘……だよね?」


 静かに尋ね返すハイン。だが伯爵夫人は黙り込んだまま視線を落とすばかりだった。


 その様子に絶句したハインは、ついに背中の痛みも忘れて上半身を乗り出す。


「嘘だって言ってくれよ! 僕はただの孤児だ、孤児院の前に捨てられていたのをぺスタロット司祭に育てられたんだ!」


 まくし立てるハインからは普段の平静はすっかり消え去っていた。


「その証拠にほら、魔封じの紋章だってある。個人識別番号も――」


「それじゃあ、あなたの生みの親は誰? 平民の子だとでも言い切れる確証はあるの!?」


 口を閉ざしていた伯爵夫人の鋭い声が部屋を切り裂いた。その際ほんの一瞬だけ見せたすさまじい剣幕に、ハインはすっかり固まり口ごもってしまった。


 だがエレンはなおもハインの手を優しくつかんだまま、今度は子供をなだめるように話しかけたのだった。


「聞いているわ、あなた魔術実践の成績が良いのですって。幼い頃から魔術を使い慣れている貴族の家の子に次いでクラスでも2番目に上手だって。その理由はおそらくあなたの血統のおかげ」


 古来、魔術の才能に長けた者が支配者階層、後の貴族になったと言われている。そういった優れた魔術師である貴族同士が結婚を繰り返してきたことで、平民と貴族とでは潜在的な魔術の能力に大きな差が開いてしまっているのが今のこの世界だ。


 例えば同じ回復術師科のマリーナは貴族の生まれだが、その爵位は元は平民だった父親の代から与えられたものであり、その妻も平民上がりの回復術師だ。つまり血統としてはそこらの平民と何ら変わらず、先天的に受け継がれる才能自体はハインの方がはるかに優れていると考えてよい。


「卒業式でもしも国王陛下とあなたが対面するようなことがあったら、勘の良い人なら絶対に血縁者であると気付く。現にゼファーソンさんは気付いているのだから。周辺国との関係も複雑で、反王政派の事件も立て続けに起こっているこの時期、王政への不満は募るばかり。そんな時にあなたのような王家の血を引く者が新たに現れたら、王家にとっては不都合でしかない」


 自分の言葉に茫然と聞き入るハインを見つめる内に、エレンの両目からは知らぬ間に涙が零れ落ちていた。


 この男に最初から感じていた妙な親しみは、公爵家と王家、互いに遠戚であることも関係しているのかもしれない。つまり伯爵夫人と国王がそうであるように、エレンとハインもまた親戚なのだ。


「平民は無理でも、魔術師になれば官僚として政治に参加することもできる。反王政派に担ぎ上げられれば現体制の転覆だって起こり得る。ゼファーソンさんはそれを見越して、あなたを魔術師にさせたくなかった……いえ、国王陛下には近付けたくなかったのよ」


「そんな……」


 ハインはそう呟くと、人生に絶望したような顔のままゆっくりとベッドに倒れ込む。そしてやがて頭まで布団をかぶると、そのまま丸まってしまったのだった。


 エレンは思った。かつて息子を失った時、世界が終わったかのようだった。きっとハインも今同じような心境のはずだと。


 せめてハインには、彼の思った通りの夢を叶えてもらいたい。


「ハイン、でも安心して、絶対に私が――」


 エレンは精一杯の明るい声でハインのかぶった布団を掴む。


 だが布団から伸び出たのは、太く逞しいハインの腕だけだった。その手の平が弱々しく、静かにしてくれとでも言いたげに広げられている。


「少し……一人にさせてくれないか?」


 呟くような小さな声だった。完全に消沈した男の声に、伯爵夫人は言葉が続かなかった。




 翌朝、回復術師科次席のイヴ・セドリウスは学園附属の図書館に向かっていた。


 明日はいよいよ進級試験だ。彼女が普段の実力を発揮できれば落第するようなことはまず無い。だが念には念を、備えあれば患いなし。万全の状態で挑めるよう、しっかりと最後の追い込みをかける。


 そして今回こそ主席の座に輝くのだ。


 そんな決意を秘めながらも、古ぼけた人形のような無表情で道を歩き続けていたイヴは道の両脇に並ぶ巨大な貴族の屋敷に目を移した。玄関に入るためにぐるっと一周するだけで疲れてしまいそうな大きな敷地だ。


 こんな屋敷、大きすぎて逆に不便じゃないかしら。まあ、見栄を張るためならそんなこと気にしないのかもしれないけど。


 通学で見慣れた景色だが、やはり一介の一般魔術師家庭でしかない自分の家と比べるとつい僻んでしまう。


「ん?」


 ふとイヴは足を止める。前方の曲がり角、屋敷を取り囲む植え込みの裏側から、誰かがこちらをうかがっている。不審に思ったイヴがじっと目を細めると、その人影はこちらに気付いたのかさっと首を引っ込めた。


「物々しいわね」


 どっかの貴族が浮気の現場でも押さえようとしているのかしら。まあ、自分には関係ないか。


 そんな風に思っていた時だった。後ろからドタドタと誰か複数の人間が走ってくるような音が聞こえ、彼女は無意識に振り返る。そしてその一団を目するなり、つい「あっ」と声を漏らしたのだった。


「ナディア?」


 見間違えるはずがない。クラスメイトであり、自分にとって越えなくてはならない最大の壁。学科首席であるナディアが、どういうわけか血相を変えて道を全力で走ってきている。その後ろからはこれまた回復術師科のマリーナ、それに彼女たちと一緒に『赤の魔術師の館』で勉強していた小柄な少女も、同じようにスカートの裾をつまみながら全力で追いかけていた。


「イヴ!?」


 意外な出会いに走っていたナディアとマリーナがそろって立ち止まる。ぜえぜえと荒い息を吐くふたりに、年下だろう小柄な少女が「お知合いですか?」と息切れも起こさず訊いていた。


「ねえ、明日は試験なのに、こんな所で何してるのよ?」


 こんな時に何余計な無駄な体力を使っているのだと、イヴは呆れてナディアに尋ねる。


「うん、このままだとね、ハインさんがね、試験を受けられなくなるから」


 息を切らしながら答えるナディアに、イヴは「どういうこと?」と首を傾げた。どうしてここでハインの名が出てくるのだ。


「私も詳しくは聞かされていないんだけど……要するにハインさんが進級試験を受けるのを邪魔する人がいるみたいなの。今、ハインさんはこの建物の中にいるけど、試験は学校でないと受けられないから、私たちでどうにかならないかって」


 息を整えたマリーナがじっと前に聳える屋敷を見上げる。マリーナがハインにゾッコンなことは回復術師科なら誰もが知っている。最近は以前ほどの積極性はなりを潜めてしまったものの、きっと今でも彼には全幅の信頼を寄せており、何かが起これば真っ先に駆けつけるはずだ。


 イヴは直感した。さっき顔を覗かせていた妙な人影、マリーナの言うことが正しいのだとすれば、あれはきっとハインの妨害を企む連中なのだと。


 これはかなり面倒なことが起こっている。自分がひとり勉強に打ち込んでいる間に、回復術師科のクラスメイトはどうも入り組んだ事件に巻き込まれていたようだ。


「で、あなたたちはどうするの?」


「わからない」


 不意にイヴの放った質問に、ナディアは強く即答した。


「何ができるかわからない。でも……ハインさんが私たちと一緒に進級できないのは嫌。だからこうやって集まって、何かできないか考えてるの」


 ここまで焦ったナディアは見たことが無い。藁にもすがりそうなナディアを見てイヴは、彼女でもこうなればまだ解決策は浮かばないのかと少し安心を覚えたほどだった。


 まあ、自分には関係ないか。それにハインはああ見えて入学試験3位の実力、むしろライバルが一人減るのは自分にとって好都合。


 でも……そんな風にして良い成績をとったとしても、それは本当に私にとって良いのだろうか。級友のため必死になって走り回るナディアたちと、そんなことは我関せずの自分。例え明日の試験で首席を取れたとしても、それはフェアと呼べるのだろうか。


 何よりもハインは……クラスで浮がちな自分にも親切に振る舞ってくれる数少ない人だ。


「待って!」


 屋敷の玄関を探して走り出そうとするナディア達を呼び止める。


 同じクラスの仲間として、あの優しいハインを見捨てることなど良心が、プライドが許さない。そしてやはり、ナディアには真に実力で勝ちたいから。


「こんな所じゃ目立つわ、他に場所を移しましょう」

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