第七章 その3 おっさん、反王政派に潜り込む
「そうか、既にバレていたか……」
会議室の中、机の上に置かれた音声通信水晶で報告を聞く大佐。近くに張り込ませた別の兵士からも酒場の中で何が起こったかは把握しきれないものの、作戦が失敗に終わったことだけはわかったらしい。
一通りの報告を聞き終え、途端大佐は握り拳で机を叩き付ける。
血が滲み震える拳。部下たちは皆黙り込んだまま、歯を食いしばって仲間の死を耐えていた。
「ダン・トゥーンという男、今まで私の戦ってきた中でも最も用心深く最も頭の切れる敵のようだ」
やがて大佐が口を開く。そしてすぐさま部屋を見回すと、「指示を出す!」とよく通る声で部下たちを奮い立たせた。
「第一班、今一度潜入のための計画を練り直せ。第二班、どんな繋がりでもいい、関係者の取り調べをさらに強化しろ。そして第三班」
今までよりひとつ声のトーンが落ちる。部下たちはごくりと唾を飲み込んだ。
「もしもの時にはキミたちが頼りだ。総攻撃の準備を進めろ、手加減は一切するな」
突入による解決、それは最後の手段だった。
常識的に考えれば、正規の王国軍と反王政組織とが真っ向にぶつかって軍が負けるはずはない。だが、相手はマリーナという最強のカードを持っており、首謀者ダン・トゥーンも次の逃げ道を用意しているだろう。
マリーナが無事で、かつダン・トゥーンを捕まえられる保証はどこにも無い。むしろそんな可能性は限りなくゼロだ。
そのいずれもが達成できないのは実質のところ、王国軍の敗北と同義だった。
「ヴィルヘルム、お前は?」
にわかに慌ただしくなる会議室の中、ヘルバール先生が教え子のヴィルヘルムに尋ねる。
「私は第一班です。これから次の潜入計画の会議を行います」
「そんな、また同じ目に遭うかもしれないのに……」
ナディアが不安げに漏らすも、ヴィルヘルムは優しく微笑むような顔で胸を張って答えたのだった。
「それは覚悟の上、何せ私たちは軍人ですから。自らの命を賭してでも、市民の命を救うのが我々の意地であり誇りです」
そう言い切るヴィルヘルムの姿には、不屈の心が宿っていた。
近くの兵士たちも全員が同じような顔をしている。自分の命に代えてでも守るべきものがある男たちの、それは気持ちの良い表情だった。
そんな彼らを見てか、ずっと黙っていたハインはベーギンラート大佐にすっと近付いて行ったのだった。
ヘルバールが「ハイン、どうした?」と手を伸ばすも、彼は飲み仲間の声も振り払い大佐と向かい合った。
「ベーギンラート大佐、どうか私を、潜入役にお使いください」
そして自らの胸に手を当て、跪いたのだった。
「何を言うんだ、ハイン!」
慌ててヘルバールが肩を掴んで引きずろうとする。だが、彼の腕力でもハインの巨体はびくともしなかった。
「軍人の皆様は既に魔封じの紋章を消失されているため、もしものとき、有無を言わさず殺害されるでしょう。ですが私は平民、腕輪が無ければ魔術は使えませんし、仲間として紛れ込んでも不審には思われないでしょう。どうか私も、この作戦に協力させてください」
たしかに、軍人は既に魔封じの紋章を消失しているため、平民であるハインの方が敵意を持たれず近づけるかもしれない。
だが大佐はじっとハインの瞳を見返したまま、宥めるように言ったのだった。
「キミの好意は確かに嬉しい。だが、一般人を危険な目に遭わせることはできない」
「ですが、マリーナは私の大切な級友です。級友の命が危ない時、放っておくことはどうしてもできません」
食い下がるハインに、大佐はふと目を大きく開く。
「級友……? まさか、貴方があのハイン・ぺスタロット殿かな?」
「はい、いかにも」
「そうでしたか」
ハインのフルネームを知り、少し目を手で覆う。そして手を離した時、大佐の顔は軍人の顔ではなくひとりの優しい父親のものになっていた。
「息子ヘルマンは貴方のおかげで生まれ変わった。父親として礼を述べたい。ありがとう」
「いえ、出過ぎた真似をお許しください」
深々と頭を下げるハイン。そんな彼を見ながら、大佐は改めて部屋の中を慌ただしく動き回る部下たちを見回した。
「皆、よく聞け。指揮官権限で特例措置を行う!」
一声で部屋の時間が止まる。書類を読んでいた兵士も話し合いをしていた兵士も、皆の視線が大佐に集まる。
「本件に関し、外部の人間であるハイン・ぺスタロット殿の協力を仰ぐ。第一班は早急にハイン殿を中心とした、潜入捜査の体勢を整えよ!」
月夜の下、防寒着を何重にも着込んだハインは雪の積もった王都の街を練り歩いていた。
向かうは貧民街スラムにある酒場『不死鳥の止まり木』。そう、複数あるというダン・トゥーンのアジトのひとつだ。
「ちょっと歩きづらいな……」
まさか腕輪だけではなく、
正式に作戦に参加することとなったハインには、特例で解呪の腕輪ではなくアンクレットが貸し出された。こういった潜入捜査を想定して作られたのか、手首にはめて目立つ腕輪ではなく、足首にはめてズボンや靴で隠しておける形状だ。
これで普段は魔術の使えないハインも、魔術師と同じように行使が可能となった。学園で魔術実践系の授業は真面目に受けているので、魔術の扱いも以前に比べれば十分ものになっている。
だがこのアンクレットは装飾用のチェーンなどとは違い、腕輪を少しばかり薄くした程度の金属環であるため、足首を曲げるとどうも違和感がある。
さらに他にも通信用の超小型魔道具など、いくつか潜入に便利な物を持たされている。
「たしか、次の角を曲がったところだったな」
酒場『不死鳥の止まり木』は裏通りの入り組んだ場所にあり、地図が無ければ初めて来た人間がたどり着くことはできない。ゆえに一見いちげんの客はほとんどおらず、5人の兵士が潜入した時にはすぐにばれてしまったのだろう。
「おい、おっさん」
古いレンガ壁に挟まれた細い道を歩いていると、突如声をかけられる。
厳寒の中、壁に同化するように浮浪者の男が古い毛布を巻いて座り込んでいたのだ。
「ここから先はただの貧民街スラムだ。見ねえ顔だが、何の用だい?」
ハインは直感した。これは見張りだと。
「ダン・トゥーンに会いに来た。俺は大聖堂近くのアジトに所属している。まあ、場所は聞かないでくれ」
「伝言なら俺が聞いてやるが?」
男はじろりと睨みつけながら尋ねた。仲間内とはいえ、部外者を無闇にアジトには近付けたくないのだろう。
ダン・トゥーンは確かに王都中にネットワークを築いている。だがそれはダン・トゥーンを中心として網の目状に広がっており、その末端同士は顔を合わせたことも無いほどつながりが薄い。
ハインたちはそこに勝機を見出した。別の所属から派遣された同朋だと思わせることで、連中に接近するのだ。
「いや、とても重要な報告だ。詳しくは控えるが、仲間のひとりが軍に捕まった件について」
「何だと!?」
男の毛布がはらりと落ちる。ボロボロの衣服だが、その手にはしっかりとナイフが握られているのが一瞬だけ見えた。男はすぐに毛布をかぶり直した。
「わかった、店に入ったら右奥のカウンター席に座れ。そしたら店主が注文を訊いてくるから、『いつものに、軽く胡椒を入れて』と答えるんだ」
「ああ、すまない」
ハインは軽く手を上げて通り過ぎる。
角を曲がると言われた通り、狭く埃っぽい裏通りにもかかわらず、酒場からは灯りと笑い声が漏れていた。
呼吸を整え、酒場のドアを開く。
店内は思ったよりも小奇麗で、こんな立地でもカウンター席以外はほとんどが埋まっていた。だがハインが入店した途端、店の客が全員こちらを一瞬だけ見たような気もする。
大丈夫だ、尋問した兵士からの情報は一通り頭に入れた、大丈夫だ、大丈夫だと自らに言い聞かせ、一歩一歩板張りの床を雪の付いたブーツで踏む。
そして言われた通り、カウンターの右奥の席に着いた。
早速、空のジョッキを持った白髪の店主がにこやかな顔で近付く。
「お客様、ご注文は何にされますか?」
たしかに、言われた通りだ。
「いつものに、軽く胡椒を入れて」
高鳴る心臓を押さえながらも、静かに言う。
途端、店主の顔つきが変わった。営業用のスマイルから任務中の兵士のような真顔を向け、ハインの顔をじっと覗き込む。
そして小さく頷くと、「よし、ついてきてくれ」とハインをカウンターの裏へと招き入れたのだった。
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