第七章 その2 おっさん、軍と合流する
「ハイン殿、お久しぶりです」
見回りを追えて軍の詰所に帰って来た若き軍人ヴィルヘルムが、椅子に座っていたハインに声をかける。
「久しぶり、大聖堂の時以来だね」
「こんな風に再会したくはなかったのですが……」
ハインもヴィルヘルムもため息を交わす。ここは軍の詰所、会議室を一連の事件の捜査本部とし、多くの兵士や関係者が集まっていた。
鍛冶屋の兄妹は資料のことを軍に正直に話した。報せを受けた軍は即刻対応に当たり、ハインや鍛冶屋兄妹を詰所に招き入れたのだった。
王都警備の部隊と、アンドゥーラ男爵に従い反王政派を取り締まる部隊は管轄がまるで異なる。ゆえに情報の共有はなされておらず、魔術を介さない機械について聞かされた兵士たちは皆一様に驚き、中には興味津々といった様子で資料を読み込む者もいた。
一方、最も落ち込んでいたのはナディアだった。
「マリーナを巻き込んでしまったのは私のせい……あの時、無理言ってでも止めていれば」
時々ぶつぶつと呟く以外、部屋の隅の椅子にって俯いたままじっと動かない。普段のナディアを知る者からすれば、その豹変ぶりに驚くだろう。
結局マリーナは夕方になっても帰って来なかった。ナディアが自室を抜け出す際、代わりとなって追っ手の注意を引き付けたのは良かったが、それ以降ハインの仲間たちで彼女の行方を知る者は誰一人いなかった。
「ナディアが気にする必要は無い。こんなことをする犯人が悪いんだ、それだけだよ」
ハインはそう言って励ますものの、ナディアは余計に顔を伏せて黙り込んでしまった。
ちょうどその時、会議室の扉が勢いよく開かれる。
「マリーナは、マリーナはどこだ!?」
取り乱した男の声に、ナディアの身体がぴくりと跳ねる。
現れたのはマリーナの父モンテッソーリ男爵だった。遅れて軍事魔術師科教員のヘルバールも顔を出す。
捜査本部立ち上げとともに、マリーナ失踪の情報は真っ先に学園に伝えられた。理事会の一員でもあるモンテッソーリ男爵は途中の仕事をすべて放り出し、無我夢中で詰所へと駆けつけた。ちょうど手の空いていたヘルバールは平静を失った男爵ひとりでは不安に思い、一緒についてきたのだった。
「マリーナは……娘はどこにいるんだ!?」
すっかり青ざめた顔で近くの兵士に男爵は詰め寄る。目付きもどこを向いているのかあちこちへと泳いでいた。
その言い知れぬ迫力に兵士はおののき、ヘルバールが「男爵、落ち着いてください!」と引き剥がしてようやく落ち着いて椅子に座ることができたのだった。
「ヴィルヘルム、今のところマリーナについての情報は集まっているのか?」
ずんと沈んだ男爵に寄り添いながら、ヘルバールがかつての教え子に尋ねる。小柄なヴィルヘルムと屈強なヘルバールが並ぶとまるで大人と子供だが、ふたりの間には強い信頼関係があった。
「まだわかりません。王国軍がマリーナ様の行方を必死に捜索していますが、喫茶店『赤の魔術師の館』の裏口から逃げ出して以降、目撃情報はありません」
「そうか……」
ヘルバールは小さく舌打ちした。教え子をなんとか見つけ出したいのに、何もできないもどかしさに誰もが焦りといら立ちを覚えていた。
「モンテッソーリ男爵、本当に申し訳ありません!」
突如、ナディアが立ち上がった。そして床に額を擦り付けんばかりの勢いで頭を下げ、男爵に向かって涙ながらに謝罪をしたのだった。
「私が軽率なばかりにマリーナを……娘さんを巻き込んでしまって。許してくれとは言いません、いかなる罰でも受ける覚悟にございます! どうかお言いつけください!」
決壊したようにぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙。慌ただしい会議室が静まり返り、誰もがナディアと男爵に視線を注いでいた。
椅子に座った男爵はしばらくの間俯いて目頭を押さえていた。だが次に顔を上げた瞬間、その顔は威厳と知性に満ちた堂々たるものになっていた。
「キミが責任を感じる必要は無いよ」
先ほどの荒れ模様はどこへ消え去ったのか、幾分か申し訳なさそうに落ち着き払った様子で男爵は話す。
「話は聞いている、うちの無鉄砲なバカ娘がやらかしたことだ。それにもし何も無かったら、代わりにキミが同じ目に遭っていたかもしれない」
じっと聞き入り、それでもなお涙を溢れさせ続けるナディア。
ふたりの様子にハインは心底ほっとした。もしも男爵が取り乱してナディアに手をかけようものなら、すぐさま止めに入る準備をしていたのだが、杞憂だったようだ。男爵も内心思うところは様々だろうが、少なくとも感情に走り事を荒立てる人ではなくて本当に良かった。
「この件にはダン・トゥーンの一派が関わっていると踏んでよいでしょう」
室内の空気が重苦しくなってしまったのを案じてか、ヴィルヘルムがヘルバールに伝える。
「あのダン・トゥーンか……近隣諸国との関係も微妙なこの時期に、国内にもなんと不安な材料を抱えているものだな、この国は」
聞くなりヘルバールは吐き捨てた。軍人ではない今の身分だからこそ言える愚痴だろう。
「本当に、王国軍も舐められたものだ。このような横暴、軍人として許すわけにはいかない」
その時、再び会議室の扉が開かれる。だがそこに現れた人物はまるで凱旋するようにゆっくりと扉をくぐると、その姿を目にした兵士たちはあらゆる作業を中断して、たちまち敬礼のポーズを取ったのだった。
「ベ、ベーギンラート大佐!?」
立派な髭の将校を前にヘルバールは仰天し、自信も慌てて敬礼を取る。
「ヘルバール、キミはもう私の部下ではないだろう? そう畏まるな」
言われてヘルバールは「あ、そ、そうですね……」と顔を赤らめながらそそくさと手を下ろした。
「し、しかし、なぜあなたほどの方がここに!?」
「この事件は王政を根底から覆すほどの重大なものだと判断した。王国の安寧を守る軍人として、ダン・トゥーンの悪事を見過ごすことはできない」
強く言い切る髭の将校の話を、兵士たちは皆敬礼のまま聞いていた。口を開いてよいならば、皆声を揃えて「おお!」と呼応していただろう。
「ベーギンラート大佐……あ!」
兵士たちの中、どこかで聞いた名前だと引っかかっていたハインだったが、ようやく思い出す。あのヘルマンと同じ苗字、つまりこの人物こそヘルマンの父だったのかと。
ヘルマンの話を聞いた限りでは厳格で堅物なイメージを勝手に抱いていたが、見たところ寛大な人柄がにじみ出ている。厳しさの一方で息子の転学を認めるだけの度量を備えた人物であることは、一目見ただけで理解できた。
そんなベーギンラート大佐は手を前に出して「直れ」の指示を送る。兵士たちは一斉に敬礼をやめたもののいずれも直立不動のままなので、苦笑混じりに「手を動かしながら聞いてほしい」と小さく加えた。
「実は今、ダン・トゥーンとつながりのある者に聞き取りを行っているのだが、その者が言うには奴はいくつもの隠れ家を用意しているらしい。昔から相当な人たらしだったようで、その頃から築き上げた各所との関係は奴の仲間でも把握しきれない」
「組織の全容を知るのはダン・トゥーン本人だけ、ですか」
ヘルバールがぼそっと返す。
「そうだ、だからこそ奴の居場所の特定は難しい。だがそれは言い換えれば、ダン・トゥーンという一枚岩を抜き取れば組織は瓦解する、という意味でもある」
大佐は会議室の中央に置かれた机の前まで歩み出る。そして卓上に広げられた市街の地図を眺めると、裏通りのある一点を指でこつこつと叩いたのだった。
「今まで聞き出した情報によると、酒場『不死鳥の止まり木』の店主はダン・トゥーンの協力者だそうだ。そこを糸口に手掛かりがつかめるかもしれない。既に兵士を5人向かわせ、張り込ませている。すぐに何かしら成果を知らせてくれるだろう」
あまりの手の早さに兵士たちも「おおっ」と感心する。この決断の早さと行動力こそが、彼を大佐にまでのし上がらせた本質かもしれない。
「うまくいけばよいのですが……」
だが何かがひっかかる。ハインは不安に駆られながらも、誰にも聞こえないよう呟いたのだった。
一方その頃。おぼろ気ながら取り戻しつつある意識の中、マリーナはうっすらと目を開いた。
「まったく、偽物を用意するなんざ、うまいこと考えやがるぜ!」
まず見えたのは労働者風の男ふたりがマリーナに背を向けて話し合う姿だった。
ここはどこかの地下室だろうか。大小様々な木箱を積み上げられた狭い室内は、壁も天井もレンガで埋め尽くされ、どこからかしみ出した水がぴちょんぴちょんと音を立てて滴り落ちている。
身体を動かそうとしたら脚がひどく痺れて声を上げることもできなかった。どうやら手枷をはめられて壁に括り付けられていたようだ。ずっと壁にもたれかかって座り込んでいる姿勢だったため、四肢に負担がかかっていたのだろう。
「まあいい、この娘をダシに連中をぶっ殺す好機に恵まれたのだからな」
男たちは下品に笑いながら、大きな木箱のひとつを開いて覗き込む。
男たちの背中越しに目に飛び込んできた物を見て、マリーナは思わず声を上げてしまった。
「あれは……魔動兵器!?」
木箱の中に入っていたのは忘れもしない、かつて山賊たちが装備していた魔動機関銃だった。
共和国の最新技術を注いで作られた強力な兵器で、緩衝地帯の兵士たちがフレイと山賊たちに蹂躙されてしまった。
「お、貴族のお嬢ちゃん、ようやくお目覚めかい?」
男ふたりともに揃って振り返り、にかっと不気味に笑ってみせる。
動きづらい体勢ながらもマリーナはすぐさま意識を集中させ、護身用魔術を使おうとした。
だが不思議なことに、いくら意識を研ぎ澄ましてもうんともすんとも言わない。裏路地でダン・トゥーンと相対した時にはあれだけ使いこなせていたはずなのに。
「腕を見てみな」
焦った様子を浮かべていたのか、男はにやにやと笑いながらマリーナの手首を指差した。
マリーナはぎょっとした。なんと壁に鎖でつながれた手枷には、魔封じの紋様が施されていたのだった。
「ど、どうしてこんなものが!?」
魔封じの手錠は魔術師が投獄される際に使われるが、これの効果は魔術の使える者が念じながらはめなければ現れない。ダン・トゥーン一味は平民ばかりで、魔術をつかえないはずだと思っていたが、これはつまり一味の中に魔術の使える者がいることを意味していた。
「本当は話すのはよくないのだが、まあお嬢ちゃんにならいいだろう。この秋に捕まった同業者がいたんだが、そいつらが隠し持っていた魔道具だよ」
べらべらと喋る男の話を聞いて、マリーナははっと息をのんだ。
緩衝地帯をアジトにしていた、あのイヴァン一味のことか!
「ということは……」
マリーナは積み上げられた木箱をじっと眺める。
「そう、お察しの通り。これ、全部魔動兵器や解呪の腕輪なんだ。ここまでこつこつと集めるの、大変だったんだぜ」
「うちのボスとその組織のボスが顔見知りでな。もしもしくじったときには互いに兵器やメンバーをもらい受ける、という約束を交わしていたんだ」
確かに、軍によって回収された兵器はほんの一部だったと聞いている。イヴァン一味が壊滅した後、隠し持っていた兵器はいつの間にかダン・トゥーン一味の手に渡ってしまっていたのだ。
「情報によると『不死鳥の止まり木』に見慣れない5人の男が来ているらしい。たぶん軍の連中だろう。バカめ、こっちが何の対策もしていないと思ったか?」
「客は全員仲間で固めている。早速あいつらを蜂の巣にしてやろう。ほれ、せっかくだから」
そう言って男は懐から小さな水晶を取り出し、マリーナの目の前に突き出した。映像投影用の通信魔道具だ。そんな男の腕にも、魔術の使用が可能となる解呪の腕輪がはめられていた。
不慣れながらも男が「むん」と念じると、透明な水晶に色がついて遠くの様子が映し出される。それは古ぼけながらも多くの人で賑わう酒場だった。各々席に着いた客が酒を飲んで笑い合っている。
そんな酒場の机のひとつに、5人の男が集まっている。酒を飲んで楽しそうにしているが、注意深く見てみると時たまちらちらと店内の様子をつぶさにうかがっていた。
そんな彼らの席に、料理を載せた盆を片手に女が近付く。一見すればただの店員だが、その後ろ手に回した腕には解呪の腕輪がはめられ、しっかりと魔動銃が握られていた。
席に着く男たちからは完全に死角になっており、誰も気付かない。
「逃げてええええええ!」
叫ぶマリーナ。だが水晶越しにその声が聞こえるはずもない。
女は盆を落とし、素早く銃を構えた。同時に、周りの客も全員が銃を取り出す。男たちは何が何が起こったのか理解する暇も与えられなかった。
そして一斉に射撃を開始する。
「あ、ああ……」
映し出されるあまりに凄惨な光景に、マリーナは震えながら口を押さえた。瞳からもポロポロと涙がこぼれ落ちる。
あらゆる方向から銃弾を受け、真っ赤に染まった男たちは次々と床に崩れる。それでもなお射撃は続けられ、彼らの身体は不自然に床の上を跳ね続けた。
ようやく銃撃が止んだ頃には、5人の男たちは全員血だまりの中動かなくなってしまっていた。
「ひゃっほーう、一丁上がりぃ!」
手にした水晶を高々と掲げ、歓喜に沸くふたりの男。
「この人でなし!」
怒りと悲しみに、泣き顔のまま怒鳴りつけるマリーナだが、男たちは相変わらず笑い続けている。
「ふん、どの口が言えたもんだ。お前たち貴族は誰のおかげで生きていると思ってる」
「俺たちを虐げてきたお前たちの方が、よっぽど人でなしというもんだよ」
そしてわざと5人の死体を映し出した水晶を目の前に押し付ける。
吐きそうになるほどの光景に目を背けたいのが本心だった。だが、マリーナは逆にじっと食い入るように水晶を凝視した。
こんな非道な行いを決して忘れまい、何よりも儚くも殺されてしまった兵士たちに申し訳が立たないと、彼女なりの今できる精一杯の抵抗だった。
その鬼気迫る顔に、男たちは気後れして「うおっ」と漏らした。
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