第二章 その6 おっさん、聖堂に潜入する
垂直に伸びるレンガの壁に足を貼り付け、鎖を握りしめて少しずつ昇るハイン。少し遅れて別の鎖を若き軍人ヴィルヘルムも慣れない動きながらもハインを真似て昇っていた。
「ヴィルヘルム、きついなら降りてもかまわないよ」
余裕のあるハインと違い、ヴィルヘルムは息を切らしながらも一歩一歩、懸命に壁を進む。サーベルは邪魔になるので外し、小型の魔動銃と短刀で装備を軽くしている。
「お気遣いありがとうございます。ですが私とて軍人の端くれ、学園の後輩が人質に取られている今こそ普段の鍛錬を発揮するべきです。それに私に下された命令はハイン殿を守ること、命を賭してでもお勤め申し上げます」
「そんなにホイホイ命を賭けるものじゃないよ、と僕が気付いたのも30超えてからだからなぁ。若い頃は名誉のためなら死んでもいいって思ってたのに、いつからか命が惜しくなってしまったんだよ」
「上官も似たようなことをおっしゃっていました。まだ私は若輩なのでそこまでは至っておりません。嫁でもいれば話は違っているのでしょうが」
長い長い壁昇り、こうやって話しながらでないと集中力が続かない。
ようやく上にたどり着くと、そこには鉄製の扉が待ち構えていた。外側から鍵がかけられているようで、扉と扉との隙間には栓のようなものが引っかかっているのが見えた。
向こうから人の話し声も聞こえる。立てこもり犯だろうか。
「ハイン殿、お離れください」
扉から飛び出した床のわずかな出っ張りに足を置き、片手で鎖を掴んだままヴィルヘルムは懐から細長い筒状の魔道具を取り出す。その形は魔動銃にも似ていた。
念じた途端、筒の先端からナイフのような青く激しい炎が噴き出し、ヴィルヘルムは扉の隙間に突っ込んだ。
これは小型の魔動バーナーで、超高温の炎を出すことができる。音を立てずに金属を切断できるため、潜入などによく使われている。
しばらくすると鍵が焼け落ち、隙間も大きくなって覗き込めば向こうの様子もうかがえるようになった。
覗き込んだ先は廊下の一角のようだった。その壁際の一人がけの椅子には、下着姿のナディアが座らされたまま縄で拘束されている。
その脇に茶色いズボンに白いシャツとそこらの町中をうろついていそうな平凡な服装の男が手にナイフを持って立ち、いやらしい目つきでナディアの恵まれたプロポーションを隈なく観察していた。
「お前に回復術師なんてもったいない、お前のその身体は酒場で男に見せてこそ価値がある。何なら俺が毎晩買ってやってもいいぞ」
「あらありがとう。じゃあ、もしも学園を辞めさせられたら酒場で働こうかしら。ただ、何があってもあなたのようなお客様のお相手はお断りしますけどね」
ナディアは男を鋭く睨み返す。その気迫に圧倒されてか男は指先一本触れることもなかった。
「ナディア……!」
ハインは沸々と起こる怒りを必死で抑え込み、拳を血が滲みそうなほど握りしめる。平静を保つため、ヴィルヘルムに小声で話しかける。
「向こうに扉が見えるだろ? たしかあれがテラスに続いていたはず。さっきはあそこから出て、また入って来たんだろう」
見た限りでは立てこもり犯はナディアの傍に立つ男しかいない。これなら強引にでも一気に突っ込めば負けることは無い。
つまりこの扉を開けるのは、今がチャンス!
ハインとヴィルヘルムは互いに顔を合わせ無言で頷き合うと、力の限り扉を蹴り開けた。
勢い良く開かれる金属扉。身のこなしの軽いヴィルヘルムは素早く鎖を離して部屋に飛び込むなり魔動銃を構えた。
「動くな、その子を解放しろ!」
唐突な奇襲に男は目を点にし、ナディアにナイフを突きつけて威嚇することも忘れて固まってしまう。
「ハ、ハインさん!?」
「助けに来たよ!」
ハインも鎖を手放し、床を踏む。だがナディアの顔が一気に青ざめる。
「ここは危ない、逃げて!」
「う!」
ナディアが叫んだ直後だった。銃を構えるヴィルヘルムの脇腹が、突如おびただしい量の血を噴き出したのだ。
「き、きゃあああ!」
ナディアの絶叫。脇に立つ男ははっと我に返ると、「うるさい!」とナディアの頬を平手で叩いた。
ぼとぼとと鮮血が床にこぼれ、白い石畳が赤く染まり、その上にヴィルヘルムが崩れる。
ハインは鎖を慌てて掴み、再びエレベーターの中へと引っ込んだ。さらに奥の別の鎖も手繰り寄せてそちらへと逃れる。直感だが、こうしなくてはヴィルヘルムの二の舞になると思ったのだ。
「透明化魔術……ハイン殿、お逃げくださ、うぐ!」
床に倒れたヴィルヘルムが跳ね上がり、転がる。腹に蹴りを入れられたのだろう、ゴホゴホと苦しそうに咳き込む。
ハインは髭の隊長から預かった短刀を抜いた。片手で鎖をつかんだまま、もう片方の手で短刀を突き出す。
「ハインさん、そこから動いちゃダメ!」
「おっと、人質は人質らしく黙っていてもらおうか!」
エレベーターの中のハインにナディアは必死に叫ぶが、男にナイフを首筋に当てられさすがに声を失う
ここなら安全とは、どういうことだ?
ぶら下がりながらハインは推理する。透明化魔術はかなり高度な魔術であり、使いこなしているなら敵はかなりの腕前だろう。
しかしそれならば自分もまとめてさっさと魔術で始末すればよいのに、そうしなかったのはきっと魔術を同時に2つは使えないからだ。
熟練の回復術師でも回復術を唱えている間は意識を集中させるため、周囲の状況を察知するのも難しくなるという。透明化魔術も同じ、身体を見えなくするのに注力して別の魔術も同時に発動させる余裕はないはずだ。だからこそヴィルヘルムを魔術ではなく、手に持った刃物で刺したのだ。
ゆえにここにぶら下がっていれば、相手が透明化を維持している限り魔術や魔道具で攻撃することはできない。手にした刃物を投げらたりすれば別だが。
その時、ハインはふと気付く。床に流れ出たヴィルヘルムの血液。それとは別に、不自然に血が点々と石畳の上に付着している。
そしてすぐに理解する。相手がヴィルヘルムを蹴りつけた時に付いた血が、一歩一歩、歩くたびに靴のつま先の形に赤い血の足跡が残っているのだ。
そこだ!
ハインは足跡をたどり、短刀を投げつけた。回転した刃が空を切り裂く。
「うげ!」
直後、何も無い空間で短刀が静止し、同時に血の飛沫が飛散する。やがて色が付き、短刀が左肩に深々と刺した男が現れ、そして床に倒れた。
傷みで顔をひどく歪ませているが、授業で見かけたフレイその人だった。手にしていたナイフもこぼれ石畳の上を弾む。
ハインは素早く床に飛び移り、レスリングの固め技の要領で短刀の刺さっていないフレイの右腕を掴むと強引に解呪の腕輪を外す。
「ぐああああ!」
痛みに抵抗するフレイだが、ハインの腕力に敵うはずもない。
「こ、この女がどうなってもいいのかよぉ!?」
ナディアにナイフを突き立てていた男が錯乱し、腕を振り上げたその時だった。ナイフを握った男の右手がはじけ飛び、肉片と血をまき散らして粉砕される。
倒れていたヴィルヘルムが魔動銃を放ったのだ。血まみれになりながらも、突きつけた銃口から煙を上げてにやっと微笑む。だがその顔面は蒼白で、このままでは本当に危ない。
何があったのか理解が追いつかず、男は吹き飛んだ自分の手をぼうっと見つめる。数秒後、ようやく状況を呑み込むと同時にあまりのショックに思考がストップしたのか、ばったりと倒れてしまった。
ハインは縄を無力化したフレイを縛り上げる。そしてヴィルヘルムの血が着いたフレイのナイフを拾い上げてナディアに駆け寄り、椅子に彼女の身体を縛り付けている縄を切り始めた。
「ナディア、怪我は無いかい?」
「ハ、ハインさん……? どうして?」
男の返り血が着いたナディアの顔。彼女はまるで怯えるような目で震えながらハインに尋ねた。
「当り前じゃないか。助けに来たんだよ」
ハインがようやく全ての縄を切る。途端、彼女の瞳からどっと涙が溢れ出す。
「ハインさぁーん!」
縄を落とし、ナディアはハインに飛び込んだ。ハインの胸に顔を埋め、幼い子供のように泣きじゃくる。
「怖かった、怖かったよぅ!」
「よく頑張ったよナディア、君は本当に強い子だ」
ハインはナディアの背に手を回し優しく頭を撫でる。たったひとりで立てこもり犯と過ごしてきたのだ、想像を絶する極限状態だったろう。
そしてしばらく泣き叫んでいる内にようやく自分が下着姿であることを思い出し、ナディアは顔を赤らめて身体を縮めたのだった。
「ナディア、犯人は何人かな?」
ヴィルヘルムの止血に当たりながらハインが尋ねる。
「5人です。下にいるふたりはフレイ先輩が持ってきた解呪の腕輪を着けて、僧侶たちを見張っているはずです。もし僧侶が何か抵抗の動きを見せたら、通信魔道具ですぐにフレイ先輩に連絡を入れて、私を殺すって」
「通信魔道具? まさか!」
そう言ってハインは縄で拘束され、ぐったりとしたフレイの懐を探ると、すぐに通信用のオーブが見つかった。
「本当だ、すごく高価なのに。だがこれでからくりはわかった。ナディアという人質を失った今、僧侶たちが黙っている必要は無い」
そう言ってハインはフレイの着ている服をびりびりとちぎる。フレイは身体をよじらせて抵抗するも、無意味だった。
「ヴィルヘルム、すまないね」
ハインは床に流れ出たヴィルヘルムの血を指先につけると、ちぎったばかりの布にさらさらと字を書き始める。
フレイともう一人を倒しナディアを救出したこと、ヴィルヘルムが負傷したこと、そしてすぐに突入しても問題無いこと。
それをハインは丸めてエレベーターに放り込んだ。布は煙突のような高い高い空間を落下する。あとは下にいる兵士が拾い上げて読んでくれるはずだ。
「これで後は部隊が突入して、残る犯人も捕まえてくれる」
「ハインさん、ありがとう。ヴィルヘルムさん、もうすぐで助かりますよ」
ナディアが傷口を上に向けて床に寝かせたヴィルヘルムの脇腹に布を当てて圧迫する。ハインのやっていた方法をそのまま真似しているのだが、出血はいくらかましになった。
しばらくすると階下から騒がしい声や物音が聞こえ始める。ハインの血文字を読んだ兵士たちが聖堂に突入したようだ。
同時に魔動エレベーターも動き出し、例の金属の擦れるような大音響が下から込み上がってくる。時期に迎えも来るだろう。すぐにヴィルヘルムを回復術師に診せ、フレイたちを引き渡そう。
「……これで勝ったと思うなよ」
肩に刺さったままの短刀の痛みに大量の汗を滴らせながら、フレイが言葉を絞り出す。
負け惜しみか?
ハインが口を開きかけたまさにその時だった。
誰もいないはずのテラスに続く扉が突如、すさまじい爆音とともに吹き飛ばされたのだった。
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