第二章 その4 おっさん、異変に気付く

「王都からはまだ出ていないはずだ、城門を閉じろ!」


 王都を囲む城塞の全ての門が閉鎖され、休憩中の兵士も総動員して城壁の警備が固められる。


 強盗や殺人も決して珍しくない王都だが、ここまでの警戒体制は滅多にない。それほどまでに解呪の腕輪の流出は重大問題だった。


 この王国は魔術の使用を制限することで統治を、つまりは支配層の権威を保っている。しかし解呪の腕輪があれば魔術師でない人間でも魔術を使用することができる。


 そうなれば国家の支配体制そのものをも揺るがしかねない魔術の行使権は武力にも等しい。万が一国家転覆を企む連中の手に腕輪が渡ってしまったなら、王族の暗殺やテロリズムに悪用されるのは確実だろう。


「まさかフレイ先輩が……」


 駆け回る兵士や軍事魔術師とすれ違いながら、ナディアら女子生徒たちは沈んだ様子で大通りを歩いていた。


 フレベル先生は通りがかった別の教員に発見され事なきを得たが、フレイはいずこかへと逃げてしまった。通信のオーブを用いて事件が通報されると、王都各地の兵士たちにはたちまち緊急警備体制の指示が出されたのだった。


 学園内にも役人が入り込んで捜査を行うために授業は中断、学生は持ち物検査でカバンの中身までひっくり返され、済んだ者から順に強制帰宅させられた。


 方向が同じ生徒たちは集団になって寄り道せずに直帰する。このナディア含む8人の集団の最後尾には一際大きなハインが控え、周囲に目を光らせていた。


「こんなの初めて、怖いわ」


「犯人が早く見つかれば安心なんだけど」


 ちょうど時刻を告げる鐘の鳴り渡る王都大聖堂広場に差し掛かった時だった。閑散とした広場を前に建物と建物に挟まれた細い路地の前でナディアが立ち止まる。


「じゃあ私の家、この先だから。またね」


「うん、今日は絶対に外出ちゃだめよ」


 そう告げてナディアはクラスメイト達と別れ、古く細い路地を進んだ。


 しばらく歩くと見えてくる古ぼけた4階建てのアパート。これがナディアの現在の住まい、故郷の村の病院や篤志家の貴族が出資し、優秀な彼女が学園生活に専念できるよう用意してくれた部屋だ。決して多くはないが生活できる分の仕送りもあるため、彼女は故郷の人々に心から感謝していた。


 2階の自室に戻るなり彼女は着ていたローブをベッドに放り投げ、コルセットを上から付けたシュミーズにズロースと下着だけの開放的な姿になる。その右肩には複雑に絡み合った幾何学模様の魔封の紋章が施されていた。


 また胸がきつくなった、新しいのを買い替えよう。そう思いコルセットの締め付けを緩める。


 その時、ミシミシと不自然に床がきしみ、反射的にナディアは身構えた。


「誰!?」


 この部屋の床には入居当時から傷みが激しく、踏んだ途端に音の鳴る箇所がある。つまり何者かが侵入しているのだ。


「いやいや、学園ではきわめて理知的なのに、生活は意外と大雑把なようだね」


 男の声だ。直後、空間が歪み、そこから人影が浮かび上がる。透明化魔術、軍事魔術師科でもごく一部の生徒しか会得できない高度な魔術だ。


 現れたのはフレイだった。彼は読みかけの本が積まれた部屋をぐるりと見回すと、最後に下着姿のナディアをじろじろと見ていやらしく笑った。 


 ナディアはとっさにベッドのシーツを引っ張って体を隠すと、机の上に置いていた果物ナイフを握ってフレイに突きつける。


「私がここで叫んだら、ここにいるのが外にばれてしまいますがよろしいのですか?」


「お好きにどうぞ。そうなる前に君の喉を魔術で切り裂くくらい、雑作もないけどね」


 中指と親指を擦り合わせ、指を鳴らす格好を取るフレイ。冗談めかして笑いながらも、その腕には解呪の腕輪がはめられている。


「目的は何です?」


 今の状況では相手の言うことを聞くのが一番利口であると即座に理解しながらも、弱みは見せてはいけないとナディアは逆に詰め寄るように尋ねた。


「君はこの国の制度がおかしいと、1度でも感じたことはないかい?」


 どことなく物憂げに訊き返すフレイ。


「どういうことか詳しく聞かせてくださりますか?」


 そんなことをどうして私に? フレイの真意を探るため、ナディアはさらに質問で返す。


「魔術は本来すべての人に生まれながら与えられた力だ。人は魔術の力を使う前提でこの世に生を受けている。だがこの国では魔術師として認められた者のみしか使用できない、天に与えられた摂理に反しているのはなぜか、考えたことはあるかな?」


 黙り込むナディア。だがしばらくするとフレイを睨みつけたまま、落ち着きながらも毅然とした口調で返す。


「魔術は使いこなせば大いに役立ちますが、同時に武器にもなります。無用な争いを防ぐためにも、武器の所持を禁じるのは十分意味があると思いますが」


 きわめて教科書的な回答だった。実際に学校ではこのように教わっているし、何よりもほとんどの学生はこの社会をより逞しく生き抜けるよう魔術師の資格を得るため、学校に通っている。


 聞くなりフレイは呆れたように首を振った。


「そうさ、魔術は武器であり、脅威でもある。だからこそ貴族たちは魔術の力を独占し、魔道具に溢れ魔術がなければろくな職にも就けない社会を作り上げた。魔術師の資格を得るために学校に通う者は知らず知らずの内に国に従属の意識を抱き、やがて王国を妄信する。そしてかつての自分と同じだった魔術を使えぬ平民を、人とも思わぬようになって支配する側に回るのだ」


「そんな、私は村のみんなを病気や怪我から助けるために回復術師を目指しています。バゼドウ先生もおっしゃっていました、回復術師は困った人を助けるのが本分だと。支配するだなんて言い方、やめてください!」


「同じことだ。その先生の言うことも今の歪な社会の存在を前提とした、持たざる者を憐れむ上から目線の理論ではないか」


 ナディアは口を噤んでしまった。確かに、自分は回復術師として役に立ちたいとは考えていたが、自分の思い描く将来でも村の人々は魔術の使えないままのいわば支配される一方の存在のままだった。


 もしも自分以外のみんなも魔術が使えたなら、私は今このように学園に通っていただろうか? 回復術師になりたいと学園に入った時点で、この社会を無条件で受け入れているのでないのか?


 突きつけられた問いに心揺さぶられるナディア。そんな彼女にフレイは優しく笑いかける。


「しかし君はその歳にして、いや、濁りを知らぬ純粋な心を持っているからこそ、この社会の在り方が不条理であることを感じているはずだ。歴史の授業でフレベルにあんな質問をして、さらにあいつを激昂させた生徒は他に知らない。ああ、あの時僕は教室の外の廊下にいたんだ、君の話に聞き入ってしまったおかげで腕輪を盗み出すのが遅れてしまったよ」


 そしてゆっくりと前に出る。床が鳴り、手を伸ばせばナディアのナイフの先端に触れられる位置まで近付く。


「君は見所がある。どうだい、僕たちの仲間に入らないか? この腐り切った王国を、いっしょにぶち壊そうじゃないか」


「先輩のお考え、よくわかりました」


 ナディアはふっと微笑み返し、手に取ったナイフを足元に落とした。フレイはさらに口角を上げる。


「ですが私の夢は変わりません。回復術師になって家族や友達にずっと寄り添っていたい」


 言い切ると同時にナディアは机の上の果物籠を手に取り、投げつけた。洋梨やりんごが宙を舞い、目を点にしたフレイの身体を次々と打ち付ける。


「う!」


 怯むフレイ。ナディアはフレイを突き飛ばし、その隙に部屋の外に出んとドアノブに手をかける。


 だがドアノブを握った瞬間、ゴンという鈍い音とともにナディアの背中に丸太で殴られたような痛みが走った。無防備な背中への一撃に彼女は床に崩れ、手もドアノブから滑り落ちる。


「こざかしい真似を!」


 悶えるナディアに手を突きつけるフレイ。床には軍事魔術訓練用の、握り拳ほどの大きさの鉄球が転がっていた。




「ハインさん、ここがどうしてもわからないのですが。なぜ400年前の戦争を境に、急速に魔道具が発達したのですか?」


 学園にもほど近いコメニス書店。店番をしながら歴史の入門書を読んでいた書店の娘ハーマニー・コメニスは隣で生体魔術反応の本を読んでいたハインに尋ねる。


 ここの一室を借りているハインは暇があれば店主の14歳の娘の勉強を見ていた。


「戦争になると色々な兵器が発明される。この時、魔術を利用した兵器の開発に成功した。それまで使っていた剣や槍、砲弾よりもずっと効率が良い魔術兵器もたくさん生まれた。戦後、各国はその兵器の原理を応用し、今のような魔道具に流用していったんだよ」


「ふうーん……」


 ハインの教授にも今ひとつしっくりこない様子だ。来年には魔術師養成学園の受験を控えているのだが、残念ながら彼女は勉強面ではそこまで優秀とは言えない。


「魔道具に使うオーブがあるだろ? あれも魔術のエネルギーを効率よく運動や熱に変換するために……ん、何だ?」


 続けて話していたハインだが、店の前の大通りを兵士や魔術師が一斉に同じ方向へと走り出しているのを目にして立ち上がる。


「にぎやかですね」


 ただならぬ雰囲気にハインとハーマニーは店先まで出る。両親は本を卸しに今日は王立大学の図書館に出払っている。帰ってくるのはもっと遅い時間だ。


「もしかしたら腕輪を盗んだ犯人が見つかったのかもしれないね」


「ええ、それはすごい! 逮捕の瞬間を見てみたいです、私たちも行きましょう」


「おいおい、店はどうするんだい?」


「店長代理の権限で臨時休業です」


 店に鍵をかけ、ハインとハーマニーは兵士たちを追いかけた。彼らが向かっているのは大聖堂前広場の方向だった。


 壁に聖人や精霊の彫像が何十体も埋め込まれた重厚な造りの大聖堂を擁する巨大な広場。休日には市場や祭りで賑わうこの憩いの場だが、今は兵士や魔術師、それに野次馬が集まり張りつめた空気が漂っていた。


「犯人が教会に立てこもっているらしい。女の子を人質に取ってな」


「うわあ、ひどいことする奴もいたものですね」


 野次馬の会話を聞いてハーマニーが嫌悪も露に吐き捨てる。


 だがその時だった。


「皆さん、聞いてください!」


 王都を見下ろす大聖堂の頂、そこに設けられたテラスにシーツで身体を隠した少女が立ち、高らかに呼びかけていた。


 その少女の姿を見た瞬間、ハインは目をかっと見開き、大声で叫ぶ。


「ナディア!」


 なぜ同級生があんな所に!?


 だがそんな疑問よりも彼女は無事なのか、その一心で彼は声を張り上げた。


「え、ナディアさんってあの!?」


 ハーマニーも先日学園の図書館で出会ったばかりの少女との意外な再会に動揺していた。

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