第十章その2 大江戸食べ物事情

「ええ、川辺屋の江戸支店がすぐ近くにありまして、諸々の用事で訪ねていたのです。1年の半分以上、八幡に帰れないこともありますよ」


 俺は茶屋の店先で棟弥さんとすっかり話し込んでいた。


 白石屋店主が無くなった時、彼は行商に出たばかりだったので出会うのは数ヶ月ぶりだ。棟弥さんは最初に「お悔やみ申し上げます」と弔いの言葉を贈ると、それからは商売の話にふけっていた。


「川辺屋はいくつも支店を持っているのですか?」


「はい、江戸、尾張、大阪、それから仙台。将来的には九州にも出店する計画も父は練っているようです」


 本当は商売敵に店の内情をべらべらと喋るものではないが、父親に愛想を尽かしているこの息子は遠慮なくひけらかす。


「白石屋も遠方まで商品を卸しているのですから、支店を出してみてはいかがです? 商売の拠点になりますし、情報収集も容易になりますよ」


「支店か……そうですね、良い考えですね」


 確かに、人員にも資金にも余裕が出てきたので白石屋も八幡だけでなく全国に支店を置いても良いかもしれない。


 かつて南蛮貿易の盛んだった時代、白石屋は海外にも拠点を構えていたそうだ。元禄時代に海外進出は不可能でも、日本各地に支店を置くことでより規模の大きな商売に手を出すのは当然といえる。


「ですが支店の運営も大変ですよ、私も三日後には仙台へ向かいますので。年越しは故郷では無理です」


 棟弥さんが苦笑いする。ずっと忙しいのか、頬も以前よりやつれているようだった。


「ではそろそろお暇させていただきます。では、また」


 仕事の合間のほんのわずかな息抜きだったのだろう、饅頭を食べ終えると彼は小走りで人混みの中へと消えていった。


「支店かあ……」


 俺は腕を組んで考え込む。


 白石屋の名を広める良い機会だ。日野椀で江戸への足掛かりを築いたのだから、経営規模拡大のチャンスかもしれない。




 翌日、江戸の各地を営業で回る最中、俺は支店にふさわしい場所を探すべくそこら中を歩き回っていた。


「しっかし良さげな空き家はなかなか無いもんだな」


 俺はつくづく江戸の町が400年余りで様変わりしていることに驚いていた。


 世界一の大都市へと発展しつつある江戸も、幕府の置かれた当初は東国の湿地に囲まれた平野に過ぎなかった。


 それが江戸幕府成立からの100年足らずの間で周辺の湿地が埋め立てられ、次々と家屋が建てられている。だがそれでも人口の増大には追い付かず、今なお江戸は拡大を続けていた。


 人口が急増しつつある江戸はどこもかしこも人だらけだ。長屋の空き部屋を探すのも難しい。


「それに……支店以外にも心配事がねえ」


 番頭になったものの、うちは対外的には店主不在の状態が続いている。湖春ちゃんは実の子とはいえ女の子、店主として担ぎ上げるにはこの時代でなくともいささか無理がある。


 彼女らを置いて江戸に来たのも正直かなり不安だった。店には手代や丁稚の男手がいるとは言え、彼らもまだ10代の少年がほとんどで店を任せるには若すぎる。


 そもそも俺は雇われ人のトップである番頭、今最終的な決定権を持っているのは俺ではなく、当座の店主である湖春ちゃんだ。やはり彼女の意向が無くては決定はくだせない。


 支店の出店はまだまだ先の話になりそうだ。


 この日野椀の売り込みが終わったら、大晦日までには八幡に帰って翌年からの経営方針を確立したい。場合によっては店主として相応しい人を招き入れることになるかもしれない。


 午前中、そんなこんなであちこちを歩き回ったおかげでかなり疲れた。ちょうど長屋の一角で飯屋が開かれていたので、俺は炊き立てのお米のにおいにつられて暖簾のれんをくぐった。


「すみません、ごはんをお願いします」


「はいよ、ちょっと待ってな」


 まだ時間が早いのか、人の入りはちらほらしたものだがそれなりに広く掃除も行き届いた店内。席に着くなり注文すると、店主は手際よく大きな茶碗にご飯をついだ。


 山盛りの白ご飯。ほくほくと湯気を上げるみずみずしい白米を前に、俺は危うく涎を垂らしかけた。この時代に来て、白米がいかに美味しいかを痛感している。


 地方とは違い、江戸では精米された白ご飯が主に食されていた。だが精米によって栄養豊富なぬかや胚芽が落とされることで、結果として江戸の住民は慢性的な栄養不足に陥っていたのだった。


 ビタミンB1不足で起こる脚気かっけが『江戸わずらい』と呼ばれたのも、江戸に来ている間は玄米でなく白米が主食になるせいで一時的に栄養が偏り、地元に帰ると元の食生活に戻るため、たちまち治ったことに由来している。


 まあそんなことはどうだっていい、美味い白米はさっさと腹に入れるに限る!


「はい、こちらもどうぞ」


「待ってましたぁ!」


 遅れて店主の持ってきた小鉢に、俺は狂喜乱舞した。


 小鉢の中には粘りを持った小さな豆、そう、納豆が入っていた。


「いただきます」


 俺は手を合わせて一礼するなり、勢いよく箸で納豆を胃に流し込む。そして口にまだ納豆の感触を残したまま、あつあつの白ご飯をかき込んだ。


 うん、これぞ絶品。江戸人と納豆は切っても切れない関係にある。


 納豆の一大生産地と言えば水戸が有名だが、これは鉄道の敷かれた明治以降のことであり、この当時は東北地方を中心に広く製造されていた。南下した納豆文化は関東にも広がり、江戸では毎朝納豆売りが歩いていたという。


 しかし現代でもそうだが、納豆は好き嫌い、さらには地域間での消費量の差が大きな食品で、当時の西日本ではいわゆる糸引き納豆はあまり普及していなかった。京都ではからからに乾燥させ、麹菌で発酵させたものを納豆と呼んでいたほどだ。


 八幡の街でも納豆を食す機会は全く無かった。便利な道具は商人がいればすぐに普及するが、味覚は驚くほど長い時間をかけねば広がらない。


「あー……江戸で納豆を買い込んで、八幡でも売ろうかな」


 俺はぼそっと呟いた。


 以前同じことを言って手代たちから猛反対されたことがあるので実行には移さないが、ひどく残念だった。


 みんなあの鮒寿司は美味しそうにパクパク食べているくせに、どうして納豆はダメなんだよ!


「納豆もう一杯!」


 せめて今だけでも腹いっぱい納豆を食っておかないと。


 俺は空っぽになった小鉢を突き出すと、店主はすぐに次の小鉢を用意した。




 宿に帰る途中、食料品店に立ち寄った俺は並べられた魚の干物を手に取ってしげしげと眺める。内陸部の八幡では海の魚は珍しく、お土産に喜ばれるのだ。


棒鱈ぼうだらかぁ、八幡じゃ滅多に見かけなかったな」


 ここ江戸は地理的な要因で東北地方の産物が多く集まっていた。聞けば出羽の国、現在の山形県の酒田から出航し、津軽海峡を経て太平洋を南下する廻船のおかげで、北日本の産物が江戸に多くもたらされるそうだ。


 鎖国体制下で遠洋まで航行できるだけの船が造れない時代、沿岸部を通りながら航路を開拓したのは偉大なる功績と言えよう。


 タラを天日でかちかちに乾燥させたこの棒鱈も元は北方の保存食だったが、江戸時代の航路開拓のおかげで全国へと広まっていった。現代では京料理にも使われている。


 納豆は絶対に猛反対されるけれど、これならお土産にも良いだろう。


 俺は棒鱈を何本か購入した。商人でも今は消費者、廻船問屋の恩恵を俺たちも享受しようではないか。


 年越しを八幡で、と考えるならば、もうそろそろ江戸を発つべきだしな。

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