第三章その4 峠の山賊

「八幡の商人だな。うむ、通って良し!」


 翌朝、旅籠を発った俺たちは土山の宿場町の関所を抜けた。


 俺たちが役人に見せた通行手形は八幡の商人に与えられるものだ。


 当時、八幡は幕府の直轄地、いわゆる天領であり、葵の御紋が描かれたこの手形は関所を越える際に大いに優遇された。現代で言えばビザ無しで世界中全ての国に渡航できるパスポートのようなものだ。


 登りである土山側は傾斜もなだらかで、茶畑の間をすいすいと進むことができ、意外とあっけなく峠まで到達することができた。現代で言えばちょうど滋賀県から三重県に入ったところだ。


 だが問題はここからだった。坂下宿のある西側はこれまでと違い、鬱蒼と木々の茂った急峻で入り組んだ山道をひたすら歩くのだ。


 気を抜けば足を取られてそのまま転がり落ちそうな傾斜に、背中の荷物の重みの二重苦で疲れも倍増する。


「ここには昔、立烏帽子たてえぼしと呼ばれる女山賊がいたそうです。それを坂上田村麻呂が改心させ、妻に娶ったと言われています」


 軽い足取りで先を歩く宗仁さんが話すのを、俺はぜえぜえと息を荒げて聞いていた。


 まるで漫画みたいな展開だな。まあでも日本は大昔から寓話や笑い話が転がっているから、サブカルチャー文化の育つ土壌は形成されていたのかもしれないな。


 そんなことを考えながら山道を下りつづける。


 突如、宗仁さんが足を止めた。そしてキョロキョロとしきりに辺りを見回すのだ。


「どうしました?」


 そう尋ねると「しっ」と指を立てて忠告する。俺は息を止めた。


 鳥の声と、風に木々が揺れる音。何もおかしなところは無いようだが。


「風の音? いや、違う。妙な気配を感じます」


 宗仁さんが呟いたその時だった。街道脇の木々や岩陰から、何体もの人影が飛び出したのだ。


 人影はたちまち戸惑う俺たちの前後を塞ぐ。


 前後にそれぞれ2人ずつ、ほとんど裸に近いぼろぼろの服を着た男たちが俺たちを挟み込んだ。


「山賊か!?」


 俺がたまげて腰を抜かす中、宗仁さんが懐から脇差を抜き、白い刃を突き出した。


 だが山賊たちは下品に笑いながら、じりじりとにじり寄ってくる。


「へっへっへ、有り金全部とその荷物、置いて行きな!」


 山賊は錆びかけの刀を見せつける。切れ味は悪いだろうが、殺傷には問題ない。


 21世紀の日本でのほほんと暮らしてきた俺には刺激が強すぎた。心臓がバクバクと跳ね上がり、足ががくがくと震え、動きたくても一歩も動けない。


「栄三郎さん、ここは相手の言うことに従いましょう。下手に振る舞うと殺されます」


 宗仁さんは脇差を握って山賊たちを睨みつけたまま言う。その声からは普段の穏やかさは失せ、鬼気迫るものがあった。


 言われるなり俺は荷物を降ろし、両手を挙げた。宗仁さんも脇差をちらつかせながら、背中の荷物を地面に置く。


 その時だった。風も無いのに頭上の木々が揺れ、そこから人影が飛び降りたのだ。


「よくやったよお前たち!」


 俺も宗仁さんも心底驚いた。


 街道に降り立ったのは女だった。しかもまだ幼い。白石屋の湖春ちゃんと同い年、いやそれよりも下の年齢にさえ見える。


 元禄時代にも立烏帽子はいたのか、などと感心している場合ではない!


「姫様、褒めてくだせえ!」


「今日は酒盛りじゃあ!」


 喜ぶ山賊たちの間をつかつかと歩くこの姫様と呼ばれた少女は、山賊だと言うのに花の描かれた赤地の着物を着て、肩よりやや長く伸ばした髪もきれいに整えられていた。


「いやあ悪いねぇ。こちらもこれが仕事なんでね」


 姫君はにかっと笑って言うが、冗談じゃない。こっちは店の命運がかかっているんだぞ。


 山賊が荷物を持ち上げる。だがそれを見た瞬間、姫の目が大きく見開いた。


「ん? この屋号は……白石屋じゃないか!」


 え、知ってるの?


 きょとんとする俺の顔を見た姫はすぐに手を叩き、山賊たちに呼びかけた。


「やめだやめだ、こいつらを襲うのはやめよう。ほらあんたたち、撤収よ撤収」


 突然の指示に首を傾げる山賊たちだが、「まあ姫様の命令なら」と持っていた荷物を降ろし、あっという間に森の中へと消えていったのだった。


 結局何も盗まれず、残された俺と宗仁さんは目を見合わせた。


「何だったんだろう?」


「さあ……何でしょうね? ですが助かりましたね」


 再び俺たちは歩き始め、山を下ったのだった。


 ……あれ、俺すっごくカッコ悪くない?




 坂下宿は山肌迫る谷間に家々の建ち並んだ宿場町で、川の流れる音も聞こえてくる。


 そこの旅籠でも土山と同様の取引を持ち掛け残りの艾もぐさを売りつけた。


 これで持っていた艾はすべて売り、この旅で銭6000貫文、つまり銀1両25匁の売上を得た。宗仁さんに支払う代金と旅費を引けば減ってしまう上に120両の借金返済にはまだまだ遠いが、新しい商売の出だしは上々だろう。


 その夜、旅籠の夕食で伊勢湾から生きたまま運ばれてきた新鮮なアサリの汁物をすすっていた時だった。


「白石屋さん、ちょっといいですかい?」


 旅籠の主人が俺たちに声をかけたのだ。


「あなた方に会いたいと言う人がおられまして、ちょいと来てくださいませんか?」


「かまいませんけれども、どなたですか?」


「会えばわかると、そうおっしゃってます」


 主人に案内されるがまま、俺たちは旅籠を出て別の建物に連れて行かれる。


「ここって……」


「茶屋、ですね」


 待合茶屋。客に部屋を貸し、そこで料理を振る舞ったり、遊女を連れ込んだりと目的は様々だ。


 出迎えた随分と体格の良い男に、俺たちは二階の座敷へと通された。


「誰でしょうね、会いたい人って」


「さあ、心当たりがありませんな」


 ほのかな行燈の明かりに包まれながら、俺たちは出された煎茶を飲んでいた。


 しばらく経った後だった。


 ようやくふすまがガラッと開けられると同時に、俺と宗仁さんは飲んでいた茶を盛大に噴き出した。


「やあ、あの旅籠の汁物は最高であったろう?」


 そりゃ当り前だ。目の前にいたのはなんと鈴鹿峠で出会ったあの山賊の姫様だったのだ。


「驚かせたね、あたいは若葉わかば。白石屋の番頭、いや、元番頭の権六の妹さ」


 真ん丸な目玉を小悪魔的に笑わせながら深々と頭を下げた。

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