第32話 うちは夕陽さんと私だけですから

そうして黒騎士は零によって討伐された。

 相変わらず腕の重さを感じるがこれも呪いの後遺症のようなものだと思い、昂我はもう少し様子を見ることにした。

 深夜四時にナイトレイ家に到着した二人は、お互いに疲れ切っていた。

 眠気のピークはとうに越えていたが一言も会話を交わさず、リビングでコートを脱いでハンガーに掛ける。

 室内がまだほんのりと温かいのは、夕陽が先ほどまで起きて待っていたのだろう。

 二人は大き目のソファーに身を預ける。二人の間にはまだ一人くらい座れるスペースが生まれていた。

 昂我は左腕を何度か握っては開いてみながら感覚を確かめる。傍から見れば間違いなく人間の腕に戻っているのは間違いない。

「終わったんですね」

 凛那が昂我の左腕を見ながら言う。

 その言葉はどこか感慨深げだ。

「そうだな」

 結局は零と呼ばれる存在が黒騎士を片付けたので終わった実感が沸いてこないが、やっぱりこの事件は終了したのだろう。元に戻った腕を見ているとそう感じる。

 あの零とは何なのか、これから凛那たちはどうするのか、聞きたい事はいくらか浮かんだが、腹の音がそれをかき消した。

「お腹空いてますね?」

 クスッと凛那が笑う。

 凛那は疲れ切っているがもう戦う必要がないと分かったのか、これまでの硬い表情はなく重荷が下りたような顔をしている。

「何か、冷蔵庫にあるか見てみます」

 立ち上がって凛那はキッチンへと向かった。

 一人でソファーで待っているのも偉そうな感じがして、凛那の後についてキッチンへと移動する。カウンター越しに食材を探している凛那の背中を見つめる。

 あの小さな背中を見て、もう戦場に向かわせなくていいと思うとなんだかほっとした。きっと凛那が生きている間に、事件という事件も今後は起きないだろう。

 これで彼女も平和に生きていける。

「うーん……」

 なんとなく眺めていたが、あまりにも凛那が悩んでいるのでつい声をかける。

「無理しなくていいぜ? こんな遅い時間だし、手間を取らせるのは悪い」

「いえ、でも折角ですから」

 何が折角なのだろうと思ったが、特に突っ込まず彼女が取り出した食材を見る。

「卵、か」

「昂我君はあちらでゆっくりしててください。今、何とかしますから」

 何とかしますの部分に一抹の不安を感じながら、昂我は「お、おう」と一言返して、ダイニングテーブルの椅子に座る。

 丁度カウンター越しに彼女の顔だけ見れる位置だ。

 凛那は冷蔵庫から卵以外にも幾つかの食材を出して、早速調理に入っている。しかしその手つきがあまりにも危なっかしいのは、見えなくても表情で分かる。あとまな板と包丁の音。

「もしかして、初めてなのか」

「そ、そんなことはありません! こ、このくらい私だって!」

 まな板からは不協和音が聞こえてくる。

「お、俺が作ろうか? なんか作りたくなってきたなー?」

「だ、大丈夫ですから、こっちを気にしないでください!」

 珍しく強気な言葉に小さく返事して、遠目から彼女を見ることにした。凛那は私服の上にエプロンを着用し、腕をまくって一生懸命に料理をしている。試行錯誤して何かを切り、考えながらフライパンを温め、何だか分からない調味料を加え、フライパンに蓋をする。

 これが本来の彼女なのかもしれない。

 普通の女子高生が普通に料理している姿、騎士として戦いに身を置かない姿。

 それが自然なんだ。

 凛那は額を腕で拭い、あとは焼けるのを待つのかやっとこちらを見る。

「お待たせしてすみません。も、もう少しですから」

「俺のほうこそ、こんな真夜中にありがとう」

 昂我はにへらと笑い返す。

 凛那も同じように微笑み返してくれた。

「よかったです。本当に」

「ああ、これで黒騎士の被害もなくなる」

「いえ、そうではなくて」

「ん?」

 蓋を開けて凛那が箸で中を調整している。

「昂我君が無事で」

「肩の荷を下ろしてくれたようで俺も嬉しいよ」

「もしこのまま。元に戻れなかったらどう責任を取るべきか、ずっと悩んでいました」

「責任なんて」

「後日、またちゃんとしたお礼はしたいと思いますが、今出来る事の精一杯です。どうぞ」

 皿に盛った料理を、凛那がキッチンから運んできてくれた。

 手に持っているのは黄色くて、黄色い――凄く黄色い……オムライスだった。

 卵を使っていたのは確認したが、いつの間にご飯や具材を炒めていたのだろう。女の子や料理のことは全然知らないが、もしかしてお嬢様学校では、手早く料理するスキルでも習得させてもらえるのだろうか。

「どうぞ、召し上がってください」

 黄色いオムライスの上に文字などは書かれていないが、それでも女子の手料理と思うと何故か緊張してしまうのが男のサガ。

 昂我の隣では凛那が目をキラキラさせながら、こちらを見つめている。

 ごくっ。

 空腹のせいか、それとも彼女の期待が重たいせいか、喉が勝手に生唾を飲み込んだ。

「いただきます!」

 渡されたスプーンを手にして、勢いよく料理へ一撃を差し込む。オムライスの先端から卵とご飯を持ち上げ口の中に運ぶ。見た目はとても綺麗で丁寧に調理されている事が分かる。

「おお!」

「ど、どうですか……?」

 心配そうに見つめてくる凛那をよそに、次々と口の中に料理を運んだ。

 中に鶏肉は無くてもケチャップで炒められていなくても、その結果ただの白米の上に薄い卵だけが乗っていたとしても、

(これは何故か旨い! 味はないが気持ちが入っている!)

 と、思う。

「おいしいよ!」

 具が無くて何処で包丁とまな板を使ったのか、全く理解できないがそれは置いておいて、余ったご飯の少し硬い感触と、焼いた卵のとろける様なハーモニー。

「ほ、本当ですか、良かったです!」

 ホッと胸を撫で下ろして、食べ終わるまで凛那は静かに様子を見ていた。

「ごちそーさん!」

 一気に料理を書き込んで、丁寧にスプーンを置く。

「おそまつさまです」

 昂我は食べ終えた食器を持って、キッチンに立つ。

 折角作って頂いたのだ、食器洗いくらいはさせてもらおう。すると凛那も並んで同じようにスポンジを手に持った。

 ナイトレイ家のシンクは大きく、二人並んで食器を洗っても、のびのびと片付けができる。

 カチャカチャと食器の音だけが聞こえる中、ぼそっと凛那が呟いた。

「明日から自宅に戻られてしまうのですか」

「腕が治ったからな、学校にも行かないと、また退屈で忙しくなるな」

 ナイトレイ家で過ごした数日は短いが、普段できない経験だったこともあり、名残惜しい気がする。別に妙な心情が含まれているわけではないぞ、と自分自身に念を押す。

「あ、そうですね。まだ少し三学期があります」

 きっと彼女は明日から普通の生活に昂我が戻ることを考え、今すぐにでもお礼がしたかったのだろう。だからこんなに遅い時間でも、頑なに料理をしてくれたのかもしれない。

「あの、変なことかもしれないですけど、聞いてもいいです?」

 食器を拭きながら、凛那が珍しく自分から質問を投げかけてきた。

 洗い終えた昂我は手を拭き、快く応じる。

「ずっと気になってたんです。その左目、もしかして、と」

 答えにくかったら……と彼女は言葉を濁した。

「寝てるところを看病してもらったり、数日一緒だったもんな。やっぱ気が付いてたか。怖がらせてたら申し訳ない」

「い、いえ、そんなことは」

 左目を隠している前髪を弄りながら、言うべきか迷う。

 特別人に言うモノではないし、日常生活でも言う必要がないから黙っていたものだ。

 だが凛那が自分から打ち溶けようと、足を踏み入れてくれた事がこそばゆい気がして、左目の事を伝える決心をした。

「物心がついたか、つかないかの頃に事故で無くした、らしい」

 らしいってのは、今の両親から聞いた話だからだ。

 昔から無いので、あったころの感覚が分からない。無くなったものは無くなったのだから、それほど喪失感もなく生きてきたし、あまり執着心もない。

「だから、まあ、なんだ。右目しか見えないことは、気にする必要がない」

 凛那があんなに落ち込んでいた中に、実は違う感情がほんの少しだけ混ざっている感じがした。それは多分、この左目のことだ。右目しか見えない上にレプリカに侵食された事を気にしていたのだ。相変わらず、よく見ている子だと思う。

(そこまで俺の事なぞ、気にしなくてもいいのに)

「そうですか、あ、あの。もし、何か困りごとがありましたら、いつでも家に来てください。そ、その左目だけの事じゃなくても、また、ご、ご飯も作りますから!」

「心配してくれてありがと。浅蔵にもこの件が終わったことを伝えて、生活が落ち着いたらまた遊びに来るよ」

「は、はい。うちは夕陽さんと私だけですから、来客があると賑やかで楽しいのです」

(そうか、凛那はもう夕陽さんと二人暮らしなのか)

 物事が落ち着いたら、きっと全てが終わった寂しさが押し寄せてくるに違いない。

 なら、早めに顔を出しに来ても良いかな、なんて思った。

「洗い物も終わったし、そろそろ寝るか」

「はい、そうですね」

 二人は廊下を歩き、分かれ道で、凛那が小さく手を降る。

「あ、そうだ」

 思い出したように凛那が囁き声で俺を呼び止める。

「なんとなくですけど、私も人生捨てたもんじゃないって気が何故かしてきました」

 それじゃ、と言いながらぺこりと頭を下げて、凛那は部屋の中に入っていった。


 部屋に戻ると腹にご飯が入ったせいか、やっと疲れが押し寄せてきて強い眠気が昂我を襲う。

 すぐさま寝間着代わりのジャージに着替え、文字通り倒れるようにベッドで就寝した。

 左腕の重さが未だに残っていたが、そんな事すらも忘れて、深い夢を見た。

 深い、深い、何だか懐かしい、でも詳細を思い出せない、そんな夢だった。

 とても小さい――――――泣いているのだけは覚えている。

 あとは何にも覚えてない。

 だけど、やけに胸だけは暖かかった。

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