それでもきっと私は幸せだ。

しの

兄妹

私は兄が大嫌いだ。

昔から兄は両親に心配ばかりかけていた。

そのせいでいつも私はほったらかしだった。

小さいながらにどうすれば私を見てもらえるのか考えることが多かった。

兄のようにはなりたくなかったが見て欲しかった私は兄よりも優れることで見てもらおうと努力した。


最初はそれなりに褒められ兄よりも優れた存在だということに優越感を感じた。

次第にその優越感は期待という重圧に変わり私を苦しめた。

そのうち兄の代わりと言わんばかりに私の背中を押し続けた。

ただ少し褒めて欲しかった心配してほしかった、それだけだったのに両親は私の望むものを与えてはくれなかった。

それどころか両親は事あるごとに喧嘩し叫び合い安心できるはずの家が地獄のようだった。

受験を控えた15歳の冬、両親は離婚した。


それからは荒れた母と自分勝手な兄との3人での暮らしが始まった。

似たもの同士の二人がぶつかるのは必然で毎日が言い争いだった。

それから兄は高校を卒業して母親から逃げるように反対を押し切り上京した。

取り残された私は荒れてしまった母の罵詈雑言を一身に受けた。

期待されることに疲れていた私は頑張ることをやめ、いつしか成績は下から数える方が早いくらいになっていた。

私への期待は失望に変わり出来損ないと言われた。

元々から脆かった私の心は簡単に壊れた。

18歳の夏、心療内科に通い始めた。


薬を飲み虚ろな目で毎日を過ごす私にまだ病気だと信じられなかった母は頭がおかしいと私に言い続けた。

どんどん追い詰められていく私に見兼ねた父が私を一度保護した。

父から母にゆっくりと時間をかけて病気を説明し、やっと理解を得られたものの今度は腫れ物に扱うような対応に嫌気しか感じられなかった。

ギクシャクした関係のまま数ヶ月を過ごし、やっと普通の親子として生活できるようになるまで約1年間もかかった。

19歳の春、ようやく平穏が戻ってきた。



しかし、そんな平穏がいつまでも続くことはなかった。

その日私は父の家に泊まっており、父の家に駆け込んで来たのは真っ青な顔をした母だった。

母は震える声で兄が倒れたと言った。

その様子はただ事じゃないようで問い詰めるとかなりの重症だと話した。

今から東京に行くと焦り出す母を宥めて朝になったら行くように言い3人で眠った。

その日はなぜか寝つけなかった。


母が東京に発ってからは飼い猫の世話があるため家族みんなで過ごした家で1ヶ月間1人で過ごした。

兄の容態を帰ってきた母から聞く限りどうやら兄は骨髄に異常があるらしい。

血が作れていないため重度の貧血状態で白血球がないため完全滅菌室の中から一歩も出られない状態らしい。

そこまで話し終わった母は言いにくそうに口ごもりながらこう続けた。

私の骨髄が兄と一致すれば移植をしてほしいと。


なんとなく予想はしていたその願いに何も答えられずにいると母は泣きながら

この方法以外成功率の高い治療法はないらしくこれがダメなら薬を飲みながら骨髄バンクから一致するものを探して、自分の元へ届くまで待たなくてはいけない。それまでの間に命を落とす可能性もある。両親の骨髄は遺伝子が完全には一致しないため使えないらしい。しかし兄弟なら両親の遺伝子を分け合った存在なため一致率は25%と低いが一致すれば確実に使える。だから頼めるのは私しかいない、どうかお兄ちゃんを助けてほしい。

そう言った。

私はそれで兄さんが助かるならって母に笑って言った。

しかし本心はそれで両親が私を褒めてくれるなら、そればかりだった。


それからは慌ただしかった。

バタバタと兄の病院に連れて行かれ兄の主治医から詳しく説明を受けた。

まずは骨髄が一致するか調べないといけないこと、一致した場合手術の為に入院しなければいけないこと、私にはリスクはほぼ無いが兄にはリスクが伴うこと。

それを聞いた上で考えて欲しいと医者は言った。

私は大体を理解し、骨髄を調べることに頷いた。

しかし兄は医者にしつこく本当に妹は危険ではないのか、大丈夫かと聞いていた。

それを見た時私は驚いた顔をしていたと思う。

私は兄が大嫌いだ。

それを隠そうとしたこともなく兄に対してひどい態度しかとってこなかった。

だから自然と兄も私のことを嫌っていると思っていた。

それなのに兄は自分よりも私の心配をしていた。

皆が兄を心配する中、兄だけが私を心配していた。


その時初めて私は自分を恥じた。

両親が私を見てくれないことを全て兄のせいにしてきた。

そうして自分のことばかり考えて兄のことを考えたことなど1度たりともなかった。

それなのに兄はそんな私を最優先に考えてくれた。

自分勝手な人なんかになりたくないと言いながら私が1番自分勝手な人になっていた。


未だに医者に質問を続ける兄を遮ってやります。と答えていた。

母も父も一致しないかもしれないのにと不安な顔ばかりしていた。

私は不思議と不安はなかった。

なにもかも正反対な私達だけどなんとなく、本当になんとなくだけど一致する気がしてならなかった。

驚いたことにこの時兄も同じことを思っていたらしい。

兄と私の細胞を調べるために私は血を抜き、血の抜けない兄は口の粘膜を使って調べることになった。

結果が出るのは1週間後。

それまではただ祈るしかなかった。

期待と少しの不安でソワソワしながら毎日を過ごした。

結果が出るのを待つ間に1人で神社に行き、財布の中身を全て貯めてたお小遣いも全て賽銭箱に押し込んだりもした。

気休めだとは分かってても最後は神頼みするしかなかった。

それと、ほんの少しの兄への贖罪のつもりでもあった。


結果が出る日、急いで学校から帰ると母が部屋で1人泣いていた。

嫌な予感がしてどうしたの?と聞くとしゃくりあげながら一致したと途切れ途切れに言った。

一瞬何を言われたのかわからなくて固まっているとありがとう、ありがとうと抱きしめられた。

あぁ、やっと兄を助けられる。

それが1番だった。


兄に骨髄を分ける。

その為には色々な検査や自分の血を輸血に使う為に少しずつ血を貯めたりした。

検査はたくさんあって疲れるし、貯血は新鮮な血液を素早く採るために太い針を腕に刺されて元々注射の嫌いな私はあまりの痛さに泣き叫びながらなんとか血を800ml貯血した。


兄は私の骨髄を入れる際に少しでも拒否反応を防ぐ為、抗がん剤治療が始まった。

私も兄も後は骨髄移植を待つだけとなった。

しかしタイミング悪く、入院の日に私は高熱が出て慌てて兄の主治医に連絡し主治医の指示の元兄の病院に駆け込み調べるとインフルエンザだとわかった。

このまま兄に骨髄移植を行うと抵抗力の全くない兄にインフルエンザ菌をそのまま入れることになってしまう。

しかし私が治るまでの間兄は抗がん剤治療を続けなければならず、兄の体力が持つか心配された。

結局骨髄移植は延期しなければならなくなった。


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