第38話3.冬空に響く音色

 人を愛すると言う事はどんな事だろう。


 今さらの様だけど、それが解らなくなる時がある。


 好きだと言われ、そこから芽生える愛もあれば、遠くから思う心に芽生える愛もあると思う。今の僕の恵美に対する愛とは……。想う心が僕を引き寄せている。しかし戸鞠との関係は愛が無いのか? いや、今僕は、戸鞠に愛ではなく恋いと言うものを感じているのかもしれない。


 何も感じなかった、ただ体だけが、求めそして求められてもそれを拒む事をしない関係。

 気持ちは移り行く……。でも僕が求める本当の恋と何なんだろう……。





 12月は『カフェ・カヌレ』にとってもかき入れ時だ。クリスマスと言う一大イベントがあるからだ。正直今でも人では足りていない状況だ。


 富喜摩葵ときまあおいが入ったにせよ、十分に任せられるほど彼女はまだ成長している訳ではない。まだ修行の身でありその修行も始まったばかりだ。

 そんな中、僕は朝の仕込みの手伝いを平日も手伝うようにした。これは自分から申し出た事だ。そして朝食担当も僕の仕事として行っている。


 学校が終わり、真っすぐ駅にいき、戸鞠が降りる駅まで電車で向かう。

 週2回の約束であったが、実際、バリスタの手ほどきを受けると、その奥の深さに僕はのめり込む様になっていく。


 気が付けば、週4回は雨宮さんの店でコーヒーを入れている。


 そして戸鞠と二人で過ごす時間も次第に増えていた。その反面、同じ家に住みながらも、恵美との距離は離れていく一方だった。


「ねぇ笹崎君、クリスマスプレゼント何か欲しいものある?」

「別に僕はいいよ。それよより戸鞠は何か欲しいものでもあるの?」


 彼女はベットの中でもそもそと体を動かし、僕に抱きつきながら小さな声で。

「笹崎君の赤ちゃん……」と、耳元で息をかけるように言う。


 思わず「えっ!」と声に出したが、こつんと戸鞠の頭に軽く手をやった。

「僕達まだ高校生だぞ! それこそ大変な事になるんだろ。赤ちゃんなんか出来たら」

「……うん、そう大変な事になっちゃう。多分親からなんか勘当されちゃうじゃないかなぁ。そうしたら、笹崎君私と駆け落ちしてくれる?」

 返す言葉がすぐに出ない。


「……と、戸鞠もしかして?」

 毛布をかぶり戸鞠は返事をしない。


「戸鞠……真純!」


「やったぁ、ようやく名前で呼んでくれた」毛布の中で彼女の声が聞こえた。

 ひょこっと顔を出して、にこっと笑顔で僕にキスをした。


「ほんとはね、初めての時……危なかったんだぁ。でも生理来ちゃった……ホットした気持ちと、少し残念な気持ちで複雑だったの。もし、赤ちゃんが出来ていたら私はどんなことがあっても産むと思う。学校なんかやめたってかまわない」


 そんな戸鞠の顔をまじかに見て、彼女の目に薄っすらと涙がこぼれているのが見えた。そんな戸鞠を僕は愛おしくさせ感じていた。

「でも現実無理よね。赤ちゃんなんて……」

「そうだな……現実は無理だよ」

「そうね……でも、いつかは……欲しい」


 いつかは……かぁ。


 いずれ僕らも大人と言う部類の仲間入りをする。社会人としての自由と制約が僕らを今とは違う環境に追い込むんだろう。


 一度だけ、戸鞠のお母さんに出会った。スーツを着こなしアクティブな感じの女性、戸鞠の母親と言うよりもちょっと年の離れた姉のような感じの人のようにも思えた。


「良かったね、素敵な彼氏ができて。笹垣君、真純のことよろしくね」と戸鞠のお母さん、いやあえて彼女と言った方がしっくりくる。そんな母親だった。


 すっかり暗くなった車窓から流れる街の光。今まで僕が乗っていた電車の距離よりも長い時間この電車に揺られる。

 最近は前に住んでいた僕の家があった駅をなんの気にも感じず通過するようになった。前は……あの駅に近づけば、懐かしさと共に何か心の奥に浮かび上がる寂しさが込み上げていたが、今はもうただの通過駅にしか過ぎない。


 あの日々はもう僕にとっては過去のものになってしまったんだ。もう戻る事のない過去と言う時間の流れに……。

 今僕が降り立たねばならない駅はこの高架橋の駅だ。不思議とこの駅に着けば自分が家の傍に来ている事を実感させてくれる。


 電車を降り、階段を下りていつもの様に河川敷側の出口を出る。そのとき後ろから僕を呼ぶ声がする。


「ユーキ」


 振り向けばすぐ後ろに恵美の姿があった。


「ユーキ、今帰りなの?」

「あ、うん、そうだけど。恵美も部活?」

「うん、クリスマス定期演奏会の最終仕上げ」


「そうか、定期演奏会かァ……。恵美、ちゃんと部長やれてんだ」

「あ、ひど―い。そんなに私って人望なさそうに見えるの? まったく、ちゃんとやってるわよ」

「そうか、ならいいんだけどな」


 12月の夜の冷たい風が僕らの頬を撫でるように通り過ぎていく。

 恵美のその長い金色の髪が少し揺れる。そんな彼女の姿を見ていると何だろう……少し気持ちが安らぐような気がする。

「う――寒い」

 恵美が白色のボアの手袋で自分の頬を包む。街明かりに行き交う人達の足がこの寒さで急ぎ足の様に見える。


「これだけ寒いと、クリスマス雪降るかなぁ……」

「どうだろう? でも無理だろな。多分ここは雪は降らないよ」

「もう、ユーキってロマンのかけらもないのね」

「雪かァ……」

 そう呟いた時、恵美が僕の横顔を眺めていた。


「……どうしたの?」


「ううん……な、何でもない……ただ……」

 下を少し俯き、本当に小さな声で、街のこの音に書き消されるような小さな声だった。

「……ただ……」

 肩を並べ歩き、気が付けば僕らの手は繋がれていた……。


 乾いた風が僕ら二人の間をすりぬけるのをさえぎるように。

 不思議と恵美と手を繋いでいる間僕の心は安らいだ。手を繋いでいるのが当たり前の様に、恵美もまたそれが普通であるかのように。お互いの心の安らぎを何かに支えてもらっているようなそんな気持ちがしていた。


「23日、定期演奏会ユーキこれそう?」

 恵美が前を向き言った。


「どうだろう……お店、もしかしたら手伝わないといけないかもしれない」

「そっかぁ……ごめんね、一番忙しい時に私、自分の事しかしていない」

「いいんじゃないか。ミリッツアも言っていたよ、恵美が今やるべきことに向かえればそれでいいって」


「……そう、なんだかユーキ最近大人になったような気がする。私の方が一つ上なのにね、私っていつまでたっても成長してないのかなぁ」


「多分な!」

「馬鹿」


 馬鹿と言いながら恵美はその言葉に、何かを乗せて僕に言ったような感じに聞こえた。どこかの誰かに、そう……彼女の中にしかいないどこかの誰かに。その言葉は向けられたのかもしれない。でも僕はその誰かを知っている。

 彼に、その言葉は向けられたことを……。


 後、23日まで二日だ。祝日のその日、吹奏楽部の定期演奏会は行われる。

 恵美が部長となって初めて行われる吹奏楽部のイベント。

 毎年、この23日に行われている定期演奏会で恵美の、私立森ケ崎高校吹奏楽部が一般に公開される。それは、夏に行われる全国吹奏楽連盟のコンクールに大きく影響することは言うまでもない。


 他校の吹奏楽部も森ケ崎のレベルを見に来るのだから。

 そして来年行われる。吹奏学部のコンクールこそが、恵美の想いでもあり、目標なのだから……。


 北城響音きたしろおとが果たせなかった想いを、恵美はその想いを果たすために今、前に向かっている事を僕は感じている。いや、知っている。


 北城響音、僕には敵う事は無い人だ。そして僕は北城響音ではなく、笹崎結城であることを、この時感じた。



 恵美の中に眠る彼の想い出を。


 僕は壊す事は出来ないと……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る