第12話 2.月あかりの落ち葉

午後からの授業は睡魔との戦いが始まる。

窓際の席にいる僕は、スチームヒーターからくる心地いい暖かさによって睡魔に支配されてしまう。


「ねぇ笹崎君、笹崎君ってばぁ」


僕は遠くで誰かに名前を呼ばれているような夢を観ていた。

ん、夢? いや違う。

慌てて起きあがると、戸鞠真純の顔が数センチのところにあった。

顔、いや彼女の薄いピンク色をした、ぷるんとはじけそうな唇が、視界を覆っていた。


「きゃ!!」


戸鞠真純は少し動揺した表情で

「んもぉ、ようやく起きた!」

「笹崎君、学校祭の打ち合わせ始まっちゃうよ」


今年僕はクラスの学校祭、通称「森祭」の役員になっていた。

第2回目の打ち合わせ、今回は生徒会へ予算の申請の重要な打ち合わせだ。


「あれ、孝義は」

「とっくに部活行ったわよ、帰る人は帰っちゃったしぃ」


教室を見渡すと、そこにいるのは、僕と戸鞠真純の2人だけだった。

「ねぇもう行くわよ、今回は遅刻厳禁って生徒会長言ってたわよ。それで予算削られたらたまったもんじゃないわ」

そう言って彼女は僕の腕を引っ張り生徒会室へ向かった。


今年僕らのクラスは、相当もめた末「バザー」をすることにした。売り上げで得た収益は、学校を通じて福祉団体へ寄付をすることにした。


もめた原因は、孝義だった。


「今年は、絶対にメイド喫茶をやろう!」

孝義の発言に多くの男子生徒は、大いに賛同した。なんと担任の北城先生までも


「お、いいねぇ、女子のメイド服姿そそられるねぇ!」

「ちょっと先生、私そんなのいやです」

ある女子が言うと、こぞって女子から反対の声が鳴り響いた。

「どうしてもメイド喫茶やりたいなら、男子がメイド服着たらいいじゃない」


「おいおい、それは勘弁だな、それに俺は吹部で忙しいからあんまり協力はできんぞ。俺はお前らを信用するから、好きにやってくれ。おっと失言、今年は自主性を俺は求めているぞ」


うまく逃げたな、この担任……。

女子からの猛反対もあり、メイド喫茶は廃案となった。

色々と意見はあったが結局のところ「バザー」を行うことに落ち着いたのだ。


「よかった、申請通りの予算が通って」

「戸毬の資料がよくできたからだよ」

「そんなことないわよ、笹崎君がすんっごくフォローしてくれたからだよぉ」

僕らは打ち合わせを終え放課後の廊下をならんで歩いていた。


ふと見上げると、首にストラップをかけアルトサックスを抱えながら、恵美がこっちに向かっていた。

「あ、三浦さん」

戸鞠真純が手を振って声をかけた。


「どうしたの?」

「森際の打ち合わせ、今終わったとこ、三浦さんは部活中?」

「ええ、これから合奏なの」

恵美は僕の方をちらっと見てすぐに目をそらした。


僕も恵美と目を合わせないようにちょっとうつむいた。

「それじゃ私もう行かないと、じゃあね」

彼女は僕とすれ違う時、ちいさなこえで


「ばか!」と、一言ささやいた。


「合奏がんばってねぇ」

「ハーイがんばりまーす」と恵美は片手を上げて音楽室へ向かっていった。


 僕がきょとんとしていると

「ねぇ笹崎君、どうしたの?」戸鞠真純が僕の顔を覗き込んでいた。

「なんでもないよ」

「嘘、だって顔赤いもん。さては、三浦さんに見惚みとれていたんじゃないのぉ。彼女本当に綺麗だもん、女の私さえ見惚れてしまうもんね。それに彼女、サックス本当にうまいのよ。中学のとき地元の楽団に入っていたんだって、今は行っていないみたいだけどね」


「そうなんだ……」

楽団に所属していたのは知らなかったが、彼女の奏でるサックスの音色は、他の誰よりも好きだった。


今でも彼女の奏でるサックスの音色は僕の心を揺さぶっている。


「ねぇ、知ってる? 三浦さんの家ってケーキ屋さんなのよ。よく雑誌なんかに載ってるわよ。えーと確か、か何とか」


だろ」

「そうそうカヌレ」

「笹崎君よく知ってるわね」

しまった、思わずその名を口にしてしまった。

「ケ、ケーキ好きなんだ、たまにあの店にも行くよ」


「ふぅん、そうなんだ。なんだか意外、笹崎君がケーキ好きだなんて」

「何でだよ、男がケーキ好きでもいいじゃないか。それに俺、料理もするし、こ、珈琲淹れるのうまいんだぜ」

「うふふ、どうしちゃったのそんなに慌てちゃって」

「そっかぁ、笹崎君珈琲淹れるのうまいんだ、今度笹崎君の淹れた珈琲飲んでみたいなぁ」

「機会があったらな」

 約束だよ。ハイ指切りげんまん」

 戸鞠は、小指を指し出した。

「早く、はい。指切りげんまん、嘘ついたら針千本のぉーます! 指切った。楽しみだなぁ、笹崎君の淹れる珈琲。ぜーーたい飲ませてよ!」

 

「強引だな」

「そ、私は強引な女なのでしたぁ」

戸鞠はにこやかに、振り向きながら言った。

その笑顔を僕はなぜかこの胸の中に刻み込むように見入っていた。


すべての用事が終わり、僕と戸鞠は二人駅までの道を二人で歩いていた。初冬の夕暮れは早く、あたりはうす暗くなり街灯が、僕たちの歩く道をほのかに照らしている。


「ふぁ、きれいな楓の葉、真っ赤だよ」

 戸鞠は、歩道のわきに落ちている楓の葉を手に取って僕に見せてくれた。

「ね、綺麗でしょ」

「ああ」

「もう、もっとなんかないのぉ。あ、黄色いのもめっけ!」

戸鞠は2枚の楓の葉をノートに挟んでカバンに入れた。


「どうすんだよ、その葉っぱ」

「内緒、おしえなーい! あ、そうだ笹崎君、スマホ。えへへぇ、最新のオニューのスマホだよぉ」

「なーんだ自慢かよ」

「あーこれ買ってもらうの大変だったんだから、それより、ライン!」

僕はスマホを戸鞠の方に向けた。QRコードを読み取ると、戸鞠真純と言う名が連絡帳に登録された。


そしてすぐに、メッセージが送られてきた。

「これ、あたしのメアドと番号だよ。念のため」

別に、ラインでつながっていればそこまでしなくたって……。

「えへへへ、珈琲飲みたくなったら連絡するから」ニマっとした顔をしながら言う彼女は小悪魔的な初めて見る顔だった。

「おーい」

「あはは、冗談よ。それより、電車来ちゃうわよ、急げぇ!」

泊りのその声に反応するように駅に向かい走った。おかげで僕らはぎりぎり電車に間に合った。


乗車した電車はこの時間にしては空いていた。戸鞠とまりは出入り口のすぐの椅子に座り、僕はポールにのっかかり出入り口の窓から、夜の町が放つあかりを眺めていた。


「次は……」

車内のアナウンスが僕の降りる駅をしらせる


「戸鞠、俺ここだから」

「あ、そうなんだ、大分近くなったね。私なんかあと5駅もある」

「それじゃ、また明日」そう言って僕はホームに降り立った。


「3番線ドアしまりまーす。ご注意ください」


戸鞠は出入り口の前に立って、小さく手を振っていた。

僕も胸のあたりまで手を上げて、応えた。


やがて、戸鞠を乗せた電車はホームをすべるように流れ、駅を後にした。


電車が出た後のホームには寂しさだけが僕を包み込んだ。


何だろう――――。胸の中がなぜか。


少し……苦しい。

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