第10話 2.新たな日常

僕は、学校の休みの日、主に土曜と日曜の早朝の仕事を手伝うことになった。ぎこちない生活感に幾分のゆとりと柔らかさ、そして二人の暖かさを感じ始めていた。


でも僕と見えない大きく重い壁を感じる人がまだいる。

 

そう恵美だ。決して彼女と仲が悪いというわけではない。


同じ屋根の下に暮らすようになり、彼女とも気兼ねなく話せるようになった。


毎日顔を合わせ、朝は「おはよう」の挨拶をし、家の中ではみんなが集まれば普通に僕とも会話をする。


ただ、恵美と二人きりで会話をしたのは、片手に入るくらいの回数に過ぎない。僕が恵美と始めて会話をしたのは、引っ越しをした日、部屋をかたずけているときだった。


「こんこん」部屋のドアをノックする音を聞き、僕はドアを開けた。


そこには、薄く淡い緑色をしたワンピースを着た恵美がいた。


「ねぇちょっといい?」

「え、あ、うん」


彼女は、「お邪魔します」と言ってベットの上に寄せて置いていた荷物を、自分が座れるスペースを作り静かに腰かけた。


「大変ね、まだかかりそう?」

「そうでもないよ」

僕は窓の縁に腰かけ、空を見上げながら答えた。


正直、僕は彼女恵美と目を合わせることが出来なかった。


「笹崎くん、私ね、パパからあなたがうちに来ることを訊いて、本当に驚いたわ。お父様とお母さま、残念だったわね。お二人共よくお店にいらっしゃっていたのに。とても仲がよくって、パパとママとも楽しそうに話をしていたわ。私と同じくらいの男の子が居るって訊いていたけど、それが笹崎君だったなんて思いもしなかったわ」


女は、肩より少し長い金色の髪先を手で触りながら少しうつむいていた。


「俺も驚いたよ」

その言葉の後少しの間、窓から僕を隙抜けるように、夏の匂いがする風が部屋にながれこんでいた。


少しの沈黙のあと

「ねぇ笹崎君、あなたよくあの河川敷に来ていたわよね」

彼女は、両手を後ろにやり僕を見上げながら問いかけた。


「うっ」いきなり、やばいところを突かれた。心臓がドクドクと鳴り出した。


「えーそ、それは……」

顔がものすごく熱く感じ、頭の中が真っ白になろうとしていた。あーやばい、いつもの悪い性格が露出しそうになった。

「み、三浦、」

彼女を見ると、笑うのを必死にこらえていた。



「ご、ごめん、変なこと訊いちゃったわね。だってあの時、あなた多分私に告白? したんでしょ。顔真っ赤にして、かちんこちんになって、一人で舞い上がっちゃって。だから分かったの私、なんであそこにあなたが毎週来ているのかって、あれから、学校にも来ていなったし心配したわよ。しかたないかぁ、あんなことあっちゃたしね」


僕の心臓はさらに早く鼓動し、胸のあたりが締め付けられるような感覚が続き、言葉を出そうにも上手く声にならなかった。

彼女は、スッと腰かけていたベットから立ち上がり、僕いる窓の方にやってきた。

「いい天気ねぇ、今日も暑くなりそう」窓辺にいる彼女の髪が風で軽くなびいた。


今僕と彼女の距離は、今までにない近い距離にいる。

手を差し伸べれば簡単に、彼女を抱きかかえることが出来る距離。

彼女の甘い優しい香りが微かに鼻をかすめる。

「ねぇ笹崎君」

僕は苦しいのを押し殺し何とか声にした。


「結城でいいよ。これから一緒に暮らすんだから」

「そう、じゃぁ。ユーキ、あの時の答え」



彼女は、僕の正面を向いて

「私、ユーキのこと嫌いじゃないわよ。でも、付き合うとか恋人とかそんなこと、今の私には考えられないわ。……ごめんね」

「あ、いや……」

僕の気持が急速に冷めて行くのと反対に、また心臓の鼓動が高鳴り出した。

「こっちこそ、ごめん。もしかして、もう好きな人がいたんだ」

彼女は少し、下をうつむいて頭を左右に振った。


「今私の恋人は、あのアルトサックスよ。人じゃないわ。でも私、うれしかった。あんなに真剣に告白されたの初めてよ。めちゃくちゃだったけど」


「それって、よろこんでいいのかな? それとも落ち込むところかな?」


彼女は、笑みをうかべて言った。その微笑みは優しく暖かくそして、どこか寂しげな

「ふふ、それはあなた次第かな」 その時僕は、彼女を愛おしく、胸の中が熱くなるのを感じていた。


「あぁよかった、これから一緒に住むのにギクシャクするのいやだったから」

「そうだな。三浦……」

「なぁに?」僕は言いかけた言葉を飲み込んだ。


彼女は不思議そうな顔をしていたが、ふいに腕を組み

「私のこと、家の中でも三浦って呼ぶ気?」

「え、でも」

「ふう、恵美でいいわ。でも、ここでだけよ。学校では三浦さんよ! それとこれは、私の友達しかしらない事なんだけど、実は私、ユーキより一つお姉さんなんだからね学年は同じだけど……」


「ええ、そうなんだ」

「なによぉ」

プンと怒った顔が可愛い

「精神年齢は、絶対俺の方が上だな」

「ばぁーかぁ!」

彼女は、くるっと向きを変えつぶやいた。


「かたずけ頑張ってね」そう言って、彼女は部屋を出た。

一人になった僕は、また窓から空を見上げていた。


「アルトサックスかぁ」



ふと、あの時の「私の何を知っているの」恵美のあの言葉が浮かんできた。


彼女も何か辛い過去を背負っているような、そんなことを思いながら、僕は青い空に浮かぶ白い大きな雲を眺めていた。

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