邪神と過ごす日常

炬燵の民

第1話 いあ いあ くとぅるふ!

「おいおい……」


 廃れた文芸部の部室、二人しかいない部員のうちの一人である俺の城は、何か蛸のような海坊主のような、背中に翼の生えた名状し難き“何か”が占拠していた。


 三メートル近くあるだろうか。

 部室の天井に届くか届かないかぐらいの大きさのその怪物は、翡翠色の表皮を蛍光灯の明かりで怪しく光らせていた。


 が、その怪物は怖い、というより可愛かった。

 何というか、ゆるキャラ的なマスコット的な、そういう愛玩動物的な可愛さがある。


『え⁈ 嘘⁈ 私を見てSAN値正気を失わないの⁈』


 表情を一切変えずにその怪物は焦った声を上げる。

 見た目通りの非常に可愛らしい声だが、真顔でそういう風に言う姿はシュールだった。


「おい、ここは部員以外立ち入り禁止だ。邪神は帰ってくれ」


 このやり取りも何度も経験している。

 何度やっても怖くないと言っているのだが、目の前の怪物は諦めないのだ。

 そもそも、そんなポップな見た目をしていては、減るSAN値も無かろう。


 焦る彼女を尻目に部室に入り、代々文芸部員に伝わる伝統の一品バールの様な物を掃除用具入れから取り出す。

 三十秒以内に何とかしないとで殴るぞ、というメッセージだ。


『可愛い後輩のためにも、そこは演技でも驚いて下さいよぉ!』


 怪物––––“邪神・クトゥルフ”は、甘ったるい声を上げてウネウネと蠢く。

 いくら可愛いとはいえその動きは反則だ。

 気持ち悪すぎる。


「いいから、“ナズナ”。人の姿になってくれ……」


 なんだか頭痛がしてきた。


『はーい』


 刹那、クトゥルフの身体から強烈な光が生じて、思わず目を隠す。


「もう! 先輩だけなんですからね! こんな姿を見せるのは!」


 次に目を開けると、そこには可愛らしい少女がいた。

 先ほどのゆるキャラ的な可愛さとは打って変わり、こちらは勿論人間的な可愛さだ。

 セミロングの黒髪、くりっとした瞳、低めの身長に華奢な身体つきは、どことなく男の庇護欲を掻き立てる。


「はいはい。誤解を招くような発言は控えような」


 ナズナがクトゥルフの姿になったせいで部室の机は乱れ、床は謎のヌメヌメした液体で濡れていた。


「あのさぁ……何度やったって結果は見えてるんだから、余計な手間掛けさせないでくれない?」


 問題の箇所を指差し、俺はナズナに抗議する。

 結局毎回掃除するのは俺なのだ。

 こっちの身にもなって欲しい。


「えへへ……」


 ナズナは自分の頭をコツンと叩いた。

 いやいや、そんな事しても意味ねぇから。


「今度やったら塩ぶっかけるからな……」


「そんな事したら死んじゃいますよ⁈」


 ナメクジじゃあるまいし……。

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