第一話 一本釣り

タダカツ、冒険者になる


 冒険者ギルドの朝は早い。新たに冒険者になりに来る者は未だに後を絶たず、また依頼を受けに来る冒険者たちが少しでも条件の良いものを選ぼうとひしめきあうのである。どこの都市にもギルドはあり、それぞれ依頼の内容などに特色が見られるが、この早朝の風景だけはどこも変わらない。

 そしてここカサンドラのギルド職員達も、朝の冒険者ラッシュを無事戦い抜き一息ついていた。いつもいつも朝早くにまとめて来やがって、と内心では嫌気がさしているが、そこは歴戦の古兵達である。顔には微塵も出さず、職務を全うした。尤も、今は冒険者もそうはいない時間帯であるから、疲れた表情を隠すことはせず、どこか弛緩した雰囲気がギルドを包んでいた。少しでも次に来る夕方のラッシュに備えて回復しようという、現場の涙ぐましい努力の結晶である。


 時刻が10時を回った頃であろうか。平和を謳歌していた冒険者ギルドに、それは突如として現れた。ゆっくりと正面扉を開く音が聞こえると同時に、ゆったりとした足音が響く。

 のっしのっしと床を踏みしめて進むそれは、ギルド職員達に巨大な壁を思わせるほどの巨漢であった。見たこともない意匠の鎧を身につけ、背中には背丈ほどもある大槍を背負っている。鋭く光る瞳は、このクレイドルでは珍しい、艶ややかな黒。同じようにどこまでも黒い髪が、一歩一歩歩くのに従ってゆらめいている。

 彼は視線を真っ直ぐに据え、ゆっくりと受付へと近づいている。哀れにも大男にガンつけられた形となる、この時間を担当する受付嬢は今年勤め始めたばかりの新人だ。

 受付に来る人数の少ない時間帯の仕事から始めることで、焦らずに新人を教育していこうという経営方針が、まさかの仇となってしまったのだ。

 考えても見て欲しい。突然大男がこちらをじっと見据えたまま近づいて来たら、まず平静ではいられないだろう。思わず自分は何かしでかしてしまったのだろうか、とまるでなんの根拠も無いままに心のうちが不安で包まれることだろう。それとまるっきり同じことが、この哀れな新人マリィにも起きていた。

 男が一歩近づくたびに、体の震えが止められなくなっていく。マリィは近づいて来る男から視線を外すこともできない。ガタガタ、ガタガタと震える自らの歯の音だけが聞こえる中、遂に大男と相対した。くじけそうになる心を必死になって押さえつけながら、激しい競争を勝ち抜きギルド受付になれたというプライドを力に、己の持てる全てを出し切る勢いで声をあげた。

「冒険者ギルドへようこそっ。ご用件は何でしょうかっ!」


 虚勢を張るので精一杯だったマリィは気づかなかったが、側から見たら怒鳴りつけているかのように気合の入った声であった。ギルド職員達は新人がやらかしてしまった、と次にしなければならない対応に頭を悩ませることとなった。頭を下げるだけで済めばいいのだが、とマリィとは別の意味で焦りを隠せない。

 さてそうこうしているうちに、目の前の男を支配していた沈黙が遂に解かれる時がきたのだ。正面扉から受付窓口までの僅か二十数歩間に過ぎなかった沈黙(途方もなく長い時間に思えたが)に、ようやく終わりが来たのである。

「ここで冒険者になれると伺った。どうすれば良いだろうか」

 

 この男、なんと冒険者ではなかったのである。威風堂々たるその姿は、ギルド職員達に歴戦の冒険者と勘違いさせてしまったのだ。

 思わずズッコケそうになるも、必死になって抑える職員達。流石のプロ根性である。

 新人とはいえマリィもその点は弁えていた。怖かったぁ、と漏れそうになる心の声を必死に抑えつつ受付嬢として冒険者希望者への対応を淀みなく始めた。目尻に何処と無く液体が滲んだように見えるが、泣いてない。泣いてなんかいないもん、と心の中で強がってみる。

「冒険者希望の方ですね。冒険者になるのに何か条件があるというわけではありませんのでご安心ください。ただし、冒険者としての登録には銀貨1枚が必要となります」

「む。知らなんだ。親父はそんなこと教えてくれんかったからのぉ。払うのは構わんが、どうして銀貨1枚かかるのか教えてくれんか?」

「はい。冒険者の方には、タグ、と呼ばれるものを必ず持ち歩いていただいております。此方はギルドが発行するものでして、その費用として銀貨1枚を頂戴しております。そしてこのタグは、冒険者としての身分証明になるだけでなく、どんな依頼をこなして来たかを記録することができる優れものなんですよ」

「なんと、世の中には便利もんがあるんだのぉ。己は闘技場にずうっとおったから、初めて知ったぞ」

「闘技場に住んでおられたのですか。もしかして、剣闘士の方では……?」

「よう分かったのぉ。己はかさんどらの闘技場で剣闘士をやっとった。忠勝という。よろしく頼む」

「タダカツですって。もしかして、タダカツなの?」

「うん?どの忠勝かは知らんが、己は確かに忠勝だぞ」

 ここに来てようやく、マリィは自分が失礼な口を聞いていたことに気づいた。慌てて頭を下げる。

「あっ。し、失礼しましたっ!」

「よか、よか。それで、己は冒険者になれるんか」

「はい。タダカツさんは間違いなく冒険者になれますよ。……ですが、どうして冒険者になろうと思われたのでしょうか。剣闘士は一流どころしかなれないですし、待遇も冒険者より良かった筈です」

「まぁそうだが、所詮剣闘士は借金奴隷に過ぎん。確かに色々と良い環境だったがの。ところで、主は己の剣闘士としての二つ名を知っとるか?」

 急に振られた話題に焦るも、マリィは記憶を辿った。

「えぇと、サムライ・タダカツでしたよね。……サムライって、あの?」

「おう。己は小さかったから知らんが、大分前に突然居なくなったという人々のことだ。そしてそれが冒険者になる理由でもある。なんでも己はそのの末裔らしくてのぉ、の足跡を追ってみたいのだ」

「そうだったのですか。あの、不躾なことを訊いてしまってすみませんでした。それと、登録が無事完了しました。タダカツさん、あなたを冒険者として認めます。此方がタグです。タダカツさんが冒険者として依頼を受けるのに必要不可欠なものです。再発行は一応出来ますが、手数料が金貨二枚とかなりかかってしまうので、必ず無くさないようにしてくださいね」

 

 目立たない鉄の色をしたタグを手渡されたタダカツは、しっかりと懐にしまった。何度も無くすなと言われたので、肌身離さず持ち歩く事に決めたのである。

「よか。主のおかげで冒険者になれた。ありがとう」

 タダカツは丁寧に頭を下げた。

「タダカツさん、頭をあげてください!これは私の職務なのですから、そんな風に頭を下げることなんてありませんよ……」

 自分より一回りもふた回りも大きな男が頭を下げているのが、マリィの瞳にはちょっと不思議に映った。こんなことでわざわざ頭を下げることもないだろうに、と感じたが、目の前の男があまりにも真摯に頭を下げているのでなんだか照れ臭くなった。

「そうか?己が助かったから、こうするのは当然だと思うが。ところで、遠くへ行けるような依頼はないかの」

「遠くへ行かれるのでしたら、護衛や治安維持ですね。当ギルドとしては、治安維持の仕事を請け負っていただけるとありがたいです。これは、次の都市であるエリアルまで移動するだけのものなのですが、報酬が他と比べて寂しいからかあまり受けていただけず、いつも溜まってしまうものなんです」

「あい分かった。まで行って来る。色んなところを見て回りたいから、己も助かる」

「え、よろしいのですか!……ありがとうございます。タダカツさん、よろしくお願いしますね」

「うむ。では行ってくる」


 気がつけば、嵐のようにタダカツが去った後だった。見た目に反して物腰柔らかなタダカツのことだ、きっとどこへ行っても上手くやって行けるだろう。マリィは心の中で新たな冒険者タダカツを祝福した。


「あっ!タダカツさんに冒険者の級について説明してなかった……。どうしよう」


 前途多難である。


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