第1話

「一人を愛せないってどういう意味」

 俺は果物ナイフで林檎の皮を剥きながら、さくらに尋ねた。背後にある台所では彼女が戸棚を開け閉めする音や、お湯の沸騰する音がしている。彼女はこれから紅茶を入れるに違いない。彼女の、ふふ、と言う笑い声が聞こえた。

「曜はいつもまっすぐね。・・・あ、やっぱり雪になっちゃったわね」

 雪、と言う言葉につられて正面の大きな窓を見ると、いつの間にか粉雪が舞い始めていた。どうりで冷える筈だ。

「意味は前言った通りよ」

 すぐ背後で声がしたので振り向くと、さくらが皿をこちらに差し出して立っていた。俺は皿を受け取り、切った林檎を並べてテーブルに置いた。

「それがよく分からないんだよな」

 何度聞いても。

 並べたばかりの林檎を一つ取ってかじる。ひやりとした感触。

「・・・分からない方がいいかもしれないわ」

 さくらの話し方が珍しく強かったので心配になって彼女を見上げた。俺の顔を見て、彼女はいつも通りのゆったりとした笑顔になる。

「紅茶が入ったわ。ここのクッキー美味しいのよ。そっちに運んでくれる? 」

 俺は立ち上がり、台所からティーカップやポットや紙ナプキンを、元いた居間のテーブルまで運んだ。全て運び終えると、振り返って台所で立ち働くさくらを見つめた。

 端整な横顔。華奢な腕。折れそうな腰。さらさらの長い黒髪。何もかもが華奢でやせぎすなくらいなのに、うっとりするほど色気がある。力はどう見たってこちらの方が上なのに、彼女の色気と瞳には全く敵わない。力なんて、なんにもならない、と初めて分かった。その目で見つめられると、俺は従順な犬になる。とび色の、強い光を放つ瞳。

「どこを見ているの」

 クッキーをこちらへ運びながらさくらが問う。低く、ゆったりとした甘い声。それだけで幸福な気持ちになる。

「さくら」

 俺は即答した。もちろん、と言うように胸を張って。

「さくらの顔とか髪とか体とか。さくらの全部」

 彼女は、ふ、と微笑んだ。その笑顔があまりに綺麗で優しかったので、言った本人であるこちらが何故だか耳まで赤くなった。

「何だよ、本当だよ」

さくらは再び微笑み、隣にそっと座ると俺の髪を撫で、わかってるわ、と言った。

ちらついていた粉雪は、いつの間にか降り止んで、残骸が屋根にうっすら白く残っていた。

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