第17話 「ジンクスは怖い」


 いつもどうでもいい話ばかりで恐縮です。

 大学に最低でも六年間通って医学知識を叩き込まれた医師たちですが、研修期間を終えると、それぞれ自分の専門を選びます。その際に類は友を呼ぶ? という話を以前しましたが、今回は、またちょっと違うお話です。


「将来、自分の専門の病気に罹る」


 がんの専門医は癌に。脳卒中の専門医は脳卒中に。糖尿病の専門医は糖尿病になるに違いない――というジンクスです。

 完全な迷信ですが、けっこう本気で怖がっています。専門家として診療するからこそ、その疾患の恐ろしさが分かるわけです。


   ***


 頭痛がするからと頭部CTを撮影した精神科の先輩が、自分の写真の前で落ちこんでいました。

「悪いところはないじゃないですか。どうしたんですか?」と訊くと、

「思っていたより、前頭葉が萎縮してた……orz」

 し、しっかりして下さい(汗)。



 消化器内科の先輩が、

「最近、寝汗をかくんだ。身体がだるくて仕方がないんだ。息切れもする。きっと俺は癌に違いない。ああもう駄目だ。あちこち転移しているに違いない……」

 などと言いつつ、恐がって全く検査を受けようとしないので、看護師長をはじめスタッフみんなで説得したところ

「空腹時血糖値が280だった(注1)。ありがとう! 癌じゃなかったんだ、俺、糖尿病だねっ(嬉しそう)。 薬のんだら楽になった。いやあ、糖尿病の薬って、いいね!」

 職員検診、受けていなかったんですか……。

 この先輩、患者さまに人気のベテラン医師なのですが、特定の患者さまが診察の度にお菓子をくれる、と悩んでいます(注2)。贈答用の値のはるものではなく、コンビニなどで売っている200円程度のチョコレートなのですが――毎月の診察のたびに「先生、これあげる」と手渡されてしまうそう。

「こんなもの食べているから、糖尿病が良くならないんだよ。ドロップ程度にしておきなさい」と注意すると、次からはサクマ式◯ロップス(R)を持って来るようになりました。

 ええあの、昔懐かしい「サ◯マ式ドロップス復刻版(R)」です。ジブリ映画『火☆るの墓』のイラストがプリントされた缶が、医局の机の上に並んでいます。毎月、ひと缶ずつ増えて行きます。

「これは、俺に『(糖尿病の)仲間になれ』という合図なのだろうか……」などと呟きながら、皆にわけています。



 結婚前に脳ドックを受けようかな、と言い出した若手の脳外科医。先輩医師が、心底ギョッとして言いました。

「勇気があるな、お前。もし、未破裂の脳動脈瘤(注3)があったらどうするんだ?」

「え?」

 それから暫くの間、医局の片隅で、

「自分で自分の脳の手術なんて出来ないだろう。俺は、ゼッタイにお前の主治医にはならないからな」

「ええ〜っ?」

 と、(まだ検査も受けていないのに)既に決定事項のようなやり取りが行われていました。



 今ほど喫煙に対する世間の風当たりが強くなかった頃に煙草を吸い始めた医師のなかには、現在もかなり吸っている方がいます。

 循環器内科の先輩はその一人です。病院内で自由に吸えた頃は医局で、院内禁煙になると戸外の喫煙コーナーで、敷地内禁煙になると白衣を脱いで道路を渡り、向こう側のコンビニで――ニコチンの間欠的吸入(本人談)を行っています。年々、移動する距離が長くなったとぼやいています。

 ご存知の通り、喫煙は動脈硬化の危険因子であり、肺がん・胃がん・子宮頸がんなどとも関連を指摘されています(注4)。

 狭心症や心筋梗塞後の患者さまを多く担当している先輩は、喫煙している方に会うと、ぼそぼそ言っています。


「やめにくいよね(俺もニコチン依存症だもん。よく分るよ)……。でも、やめた方がいいよ。……〈何故か、長い間があく〉…………いいことはないからね」


 先生、重いです。




**********************************************************************************

(注1)空腹時血糖値が280

 単位はmg/dLです。随時血糖値が200mg/dL以上、早朝空腹時血糖値が126mg/dL以上で、糖尿病と診断します。


(注2)お菓子をくれる患者さま

 医療スタッフへの金品の授受は、原則禁止されています。公立病院では特に厳しく、断ろうとする医師は患者さま(ご家族の場合も)と規則の間で、板挟みになります。

 田舎であり、規制のゆるい民間病院だから、というのもあるのでしょう。お菓子を持ってきて下さるのは、糖尿病の方が多いです。

 上述の患者さまは、主治医とは十年以上の付き合いです。チョコレートの前は缶コーヒーで、注意するとチョコレートになり、飴になりました。どうしても主治医に食べさせたいらしいです。

「これ、俺が断ったら、この人が自分で食べるんだろうな……(そして、病気が悪化する)」と思うと無下に出来ず、困るそうです。


 「むげ」は、ここでは無下。無碍ではありません。


(注3)未破裂の脳動脈瘤

 多くの場合は症状がなく、脳ドックなどでMRA検査を受けた際に偶然発見されます。脳内の動脈に出来た血管の瘤で、100人中2~3人はあると言われます。これが破れるとクモ膜下出血となります(死亡率50%)。大きさや瘤のある場所、形などで治療方針が変わりますので、もしあると診断された方は、脳外科の受診をお勧めします。


(注4)喫煙による害

 さまざまなサイトや論文で取り上げられていますので、改めて詳しく言うまでもないと思いますが――

 五十種類以上の発がん性物質を含みます。受動喫煙による健康被害も深刻です。ニコチンは血管を収縮させ、心拍数を上げて血圧を上昇させます。非喫煙者に比べると、心筋梗塞のリスクは男性は約四倍、女性は約三倍になり、脳卒中による死亡のリスクも男性は約二倍、女性は約三倍です。

 まさに「……いいことはない」わけです。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る