第4話 「伝わりません」


 私の仕事のひとつに、病院内で行われた脳波検査の記録に目を通し、所見をつける、という作業があります。

 脳波は、所謂てんかん発作や、意識障害の時に記録することが多いですね。最近ではTVにも登場して、アルファ波がどうとか言っている、あれです。

 基本的なことをご説明しましょう。


 脳波は、頭皮表面に十六個の電極(チャンネル)を置いて記録します。同時に心電図もとりますので、合計十七チャンネルですね。覚醒時、睡眠時、閃光負荷時(注1)、過呼吸負荷時(注2)と行い、約三十~四十分かけて記録します。TVでは、リアルタイムに色分けして表示されるデジタル脳波計が主流です。うちもあれと同じですが、同時に紙にも記録していきます。一度の検査で、厚さ三センチほどの分厚い束が出来ます。電話帳みたいです。

 脳波は、非常に小さな電位です。正常では四十~七十マイクロボルト、ほど。アルファ波は八~十二ヘルツの波で、正常では主に後頭部に出現します(注3)。心電図は勿論のこと、外界からの微小な電気の影響(携帯電話や医療機器から生じる電磁波)をもろに受けてしまうので、通常、被検者は密閉された空間(シールド・ルーム)で、静かに寝て検査を受けます。

 そうやって記録された十七本の波を、「読んで」所見をつけるわけです。はい。


 この脳波……どういうわけか、ある種の人々には、特別なものに思えるようです。


 かつて、某新興宗教団体で、ヘッドギアをつけたら教祖の脳波を受信できる、とかいう教義があり、その特殊なヘッドギアなるものを着けている人々がいました。

 上述のように、数十マイクロボルトです。シールドルームを出たら、途端に(頭皮上でも)記録が難しくなる電位です。どうやったら、障害物だらけの大気中を何十キロメートルも飛んで、さらに他人の脳に影響を与えることが出来るのでしょうか?

 どう考えても無理、なのですが。そういう発想をする方は、常に出現しています。


 最近は、Brain Machine Interface(BMI:ブレーン・マシーン・インターフェース)の発達もあり(注4)、「外から脳波を操作して、他人の考えを操る」などという発想をする方が(SF小説や漫画のネタでなく)いらっしゃいます。

 私は、難病や重度障害のある方のBMIを用いたリハビリにも関わっていますが、そういうことは無理、です。そも、人間の思考内容と脳波は関係がありません(注5)。


 ……なんでこういうことを書いているのかと言いますと。ごくまれに、真面目に、病院でそういう質問をぶつけてくる人がいるから。

 忙しいので、やめて欲しいです。脳波は、他人には、伝わりません。




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(注1)閃光負荷

 脳波を記録中の被験者に、ある一定の周期で明滅する光を当て、発作波を誘発する検査のこと。かつてTVアニメ『ポケモン』で、光をばちばちやって、けいれん発作を起こした子どもがいたという、アレですよ。六、九、十一、三十ヘルツで明滅させます。光過敏性てんかんの場合、発作が起きることがあります。トンネルの中の黄色いライトを、走っている車の中から見ていると、似たような現象になる場合があるので、病気をお持ちの方はご注意下さい。


(注2)過呼吸負荷

 閃光負荷と同様、脳波を記録中にわざと過呼吸をしてもらい、発作が起きるかどうかを確認する検査のこと。小児のもやもや病などでは、特徴的な脳波が出現します。


(注3)アルファ波

 集中しているときに出現する波として、TVなどで紹介されています。他に正常な波としては、睡眠時に出現するシータ波(六ヘルツ前後)、十三ヘルツ以上の速いベータ波、などがあります。典型的なてんかん発作波は、spike & waves complex。


(注4)Brain Machine Interface(BMI:ブレーン・マシーン・インターフェース)

 多くの場合、被検者の脳波を解析してロボットアームを動かす、パソコンを操作する、などといった技術です。手を動かす、言葉を発する、といった「具体的なイメージ」を考えてもらい、それによって変化する脳波を解析する手法が知られています。

 でも、これはあくまで「人→機械」という働きかけであり、「機械→人の思考を操作する」というわけではありません。


 ところで、リハビリ領域でBMIと言えばブレーン・マシーン・インターフェースですが。内科領域でBMIと言えばBody Mass Index(ボディマス・インデックス:身長と体重から算出される、肥満度を表す体格指数)のことです。分野が違えば意味が変わるため、略語は出来るだけ使わない方がいいですね。


(注5)思考内容と脳波は無関係

 妄想ばりばりの統合失調症患者さんの、脳波は正常です。アルツハイマー型認知症の方も、一般的に脳波は正常です(てんかんを合併したり、認知症が重度進行すると、変化します)。

 脳波は、主に意識レベルの判定に用いられます。感情を左右するのは、神経電位というより、脳内の神経伝達物質(ドーパミン、カテコラミン、セロトニン、アセチルコリンなど)です。神経伝達物質に作用する薬物は、興奮や鬱といった漠然とした気分には影響しますが、思考内容や価値観を変えることは出来ません。

 

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