イラストレーター斉藤幸延「叔父の肖像画」誕生物語

淺羽一

イラストレーター斉藤幸延「叔父の肖像画」誕生物語

 叔父おじが亡くなったと報せを受けた時、僕は悲しむよりも先に、驚いた。

 連絡をくれたのは、故郷こきょうである北海道ほっかいどう旭川あさひかわで暮らしていた母だった。

 死因は、お風呂場での突然死。場所は、叔父が一人で住んでいた同じく旭川の市営住宅。

 最初に叔父の遺体いたいを見つけたのもまた、僕の母だった。叔父にとっては実の姉だ。

 2012年3月。きっと、北国の冬はさぞかし冷たいものだっただろう。

 僕は今と変わらず神戸こうべに住んでいて、久しく故郷へ帰っていなかった。


 当時、僕は大学を出てからつとめていたゲーム会社を辞めて、すでにフリーランスのイラストレーターとして働いていた。だけど、丁度ちようどその頃は、それまでわりと長く続いていた仕事が終わってしまい、次の仕事を早くどうにかしなければとあせっていた時期でもあった。

 だから、本当に不義理ふぎりな話だと思うのだが、当時の僕は生前にとてもとてもお世話になっていた叔父の急な死を、心から悲しみながらも、自分のことで精一杯せいいっぱいだった。


 正直に言うと、あの頃の僕は、プロとして技術や作品にそれなりの自信を抱いてはいたものの、一方で「見えない天井」みたいなものも感じていた。

 自分の限界はまだまだこんなもんじゃない。

 自分の技術はもっと上を目指せるはずだ。

 そう思いながらも、「仕事を休めばお金を失う」というフリーランスとしての宿命がプレッシャーになり、新しいことに挑戦して純粋に技術をみがくよりも、とにかく目の前の仕事をこなすことを優先させていた。幸い、仕事が完全に途切とぎれることはなかったが、安定して継続できる仕事がなかなか舞い込んでこなかったせいで、むしろ「今はまだ絶対に休めない」という風に考えていたのかも知れない。

 そしてその結果、僕は叔父のお葬式そうしきにさえ出席することが出来ないという、とても情けない状況におちいった。


 今にして思えば、あの時、あとほんの少しの自信と勇気さえあれば、せめて最後のお別れを言うくらいは出来ただろうと思う。神戸と北海道では往復するにも時間がかかりすぎるなんて、ただの言い訳だ。


 叔父が暮らしていた市営住宅は、叔父の死後、すぐに別の居住希望者きょじゅうきぼうしゃわたさなければならない決まりだった。何ともあわただしい話だと思ったが、実の弟の死をたりにしてひどいショックを受けていた母や、男手おとこで一つで立派りっぱに育てられてから、それぞれに自立して遠方や海外などで暮らしていた叔父の娘さん――僕にとってはの2人にとって、やるべき作業があるということは、少しは気休めになったのかも知れない。だからと言って、悲しみがうすれるはずもなかっただろうけれど。


 叔父が、部屋に僕の"絵"をかざってくれていたと教えてくれたのは、やはり母だった。

 それは、叔父が死ぬ10年も前、つまり僕が彼と最後にちゃんと会った時に渡していた、イラスト付きのポストカードだった。

 それを知った時、僕はもしかしたら、叔父が死んだと聞いた時よりもさらに強烈きょうれつ衝撃しょうげきを受けた。

 たった1枚の、それも小さなポストカード。そんなものを、叔父は死ぬまでずっと大切に、彼の飾ってくれていた。


 叔父の目は、病気のせいで視力しりょくがかなり弱まっていた。分かりやすく言えば、パソコンを操作するにもメガネをならないほどだった。

 そしてそのせいで、彼はやがて仕事を辞め、その後はお世話になった人や地域への「恩返し」として地域ちいき貢献こうけんつとめながら、一人で静かに暮らしていた。つくづく、立派な人だったと思う。

 そんな人にとって、僕の絵はどれほどの価値を与えられていたのだろう。「連絡がないのは無事な証拠しょうこ」みたいな意味の言葉があるけれど、いそがしさにかまけ、連絡一つすることさえずっと後回しにしていた僕の絵は、色々と支えてくれた叔父への感謝に相応ふさわしいものだったのだろうか。


 そんなはずは、なかった。


 僕の頭に、胸に、叔父の姿がよみがえった。

 すらっと背が高くて物静か。アパレルのお店を経営していて、自分から前に出る人ではなかったが、いつもオシャレで格好かっこうかった。とても無口な人で、家族とさえもあまり言葉を交わさなかったけれど、お酒を飲んだ時だけは、ほんの少しおしゃべりになった。

 僕は、叔父のお葬式を準備する母やから聞いていた話を思い出した。


 実は、祭壇さいだんへ飾る遺影いえいを用意するために叔父の写真を探したのだが、残念ながら満足いくものを見つけられなかったらしい。見つかった写真は、遠くの方から全身が小さく写っているものとか、帽子ぼうしなどで頭が隠れてしまっているものとか。ちゃんと叔父の顔を真正面から大きく写しているものはなかったそうだ。


 やるしかない。


 僕は、気付けばパソコンの画面に向かっていた。

 幸いにして――そう、それはむしろチャンスだった――継続して取り組まなければならない仕事など、当時の僕には無かった。

 だから僕は取り急ぎ残っていた仕事を全て片付けると、絵画かいが、イラスト、3DCG……とにかく、持っている全ての技術を注ぎ込んで、叔父の肖像画しょうぞうがを描き上げようと決心した。

 本当に全力だった。


 まずは3DCGで叔父の骨格こっかく筋肉きんにくの付き方を一から再現し、その後はシワの一筋ひとすじ、髪の毛の一本まで手作業でき込んでいった。仕事は激減げきげんしたけれど、「今やるべきことはこれしかない!」という確信があった。


 また、母やらも僕に協力してくれた。彼女達は少ないながらも資料として叔父の写真を探しては送ってくれて、さらに叔父の――彼女達にとっては弟であり、父である人の話を聞かせてくれた。


 言うまでもないが、全ての作業が順調に進んだわけでもなかった。

 中には、写真では全く確認出来ず、その上どうしても記憶の中で思い出せない箇所かしょもあった。例えば叔父の「耳」がそうだった。そこで僕は、僕自身の「耳」をモデルにした。それは、ある意味では「リアルな叔父の肖像画」として相応しくなかったのかも知れないが、大切なことは現実をそのままコピーした「叔父の写真」を作ることでなく、確かに「僕達の中に息づいている叔父」を描くことだと思っていた。そして、その為の参考資料として、叔父と血がつなががっている男性である、僕の耳こそが相応しいと思った。


 もちろん、その他にも悩んだ部分はあった。

 正直に言えば、今にして叔父の肖像画を見返すと、色々と未熟だなぁと感じる点は沢山たくさんある。今ならもっと上手く描けるのにと思いもする。

 だけど、そうやって考えられるようになったのも、間違まちがいなく、この肖像画のおかげだった。


 僕は作業中、何度も何度も「見えない天井」にぶつかった。パソコンの画面に現れた叔父の顔を見て、「僕を愛してくれていた叔父は、もっとずっと温かみがあって素敵な人だった」と思い知らされた。そしてそのたびに、「あきらめるな」と自分に言った。もう二度と、あの時にこうしておけば、なんて気持ちはゴメンだった。


 そうして僕は、自分に何が出来るか考え、自分の技術を全て活用し、それでも足りなければ、さらにどうすれば良いかを模索もさくした。そして、何度も何度もその作業を繰り返した。使えるものは何でも使って、それすら無ければ全く新しいものを考えた。いっそ道端みちばたや公園で見つけるふとした光景の中からでさえ、利用出来るものは無いかと探した。

 そうやって、僕だけでなく、母やいとこ、家族みんなにとっての"リアルな叔父"が完成した。


 気付けば、僕は一ヶ月以上の間、ひたすら叔父と向き合っていた。

 本当に無口で、だけどたった1枚の古いポストカードをいつまでも大切に飾ってくれるような心を持った叔父の姿が、画面の中で何も言わずに微笑ほほえんでいる叔父の肖像画にぴたりと重なった。


 完成した叔父の肖像画を渡した時、らは「遺影の写真よりも"リアル"で、お父さんが蘇ったように思えた」と喜んでくれた。母もうれししそうだった。

 僕はその時、機械のカメラではとらえきれない、彼女らが本物の叔父と実際に接して感じていた大切な"何か"を、ほんの少しくらいは表現出来たのだろうかと思って、ほっとした。そして何より、せめてわずかでも彼女達の悲しみや苦しみをなぐさめられたとすれば、本当に良かったと思った。

 だからこそ、僕は「ありがとう」と言ってくれるらに対して、僕の方こそ「ありがとう」と言いたくなった。

 それに実際、叔父のおかげで僕のCG制作の技術が次の段階へ到達とうたつ出来たことも確かだった。その結果、僕は以前にも増して素晴らしい人達と出会い、魅力的みりょくてきな仕事へ数多くたずさわることも出来るようになった。


 本当に、改めて思う。

「見えない天井」は、きっとまだいくつも、僕の上に並んでいる。

 だけど同時に、本気で頑張がんばれば、それらのほとんどが「やぶれる天井」なのだ。


 そして僕は今日も、自分に言い聞かせながらパソコンに向かう。

「今はまだ、足りないこともあるだろう。しかし、努力を続ければ変えられるものは確かにある。だから諦めるな。勇気を持っていどみ続けろ。その先にはきっと、新しい何かが待っている」

 それこそが、もしかすると叔父が一枚のポストカードにせて、たよりないおいっ子へ10年 しにおくってくれた、最後のメッセージだったのかも知れない。

〈了〉

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