第3話 忍び寄る宿敵

 すでに日は落ち、辺りは暗い。店もとうに閉まっており、この森は静寂に包まれていた。

 ひとまず夜風に当たり、考えを纏めよう――そう思い立った竜斗が、外に出た瞬間。


「竜斗君っ! 大丈夫だった!?」


 小中学生のような体格に反した、Hカップの爆乳の持ち主が。そのたわわな果実を上下に揺らして、竜斗の前で飛び跳ねていた。心配げに垂れ下がった眉が、なんとも可愛らしい。

 彼女の後ろに立っている、不良のような風貌の少年も、案じるような視線を竜斗に送っている。


「乃木原さん? 芝村君まで……」

「竜斗、あいつ……何て?」

「へっ? な、何って……」

「ヴィラン対策室の奴がお前を訪ねて来るなんて、絶対お前の身体関係だろ! お前は危険だから処分するだとか、ウチで改造してやるだとか、そんなこと言われたのか!?」

「もしそうだったら、あたし思いっきり噛み付いてやるんだから! 竜斗君の身体なんて、義足や義手の延長みたいなもんじゃん! 人とちょっと違うからって、ヴィラン扱いだなんて許せない!」

「言っとくが、俺はダチをヴィラン扱いされて黙ってられるほど人間出来てねぇからな。お前を連れて行こう、なんて言ってたんならポリ公だろうとタダじゃおかねぇぞ!」

「ちょちょ、待って待って2人とも落ち着いて! 全然そんなんじゃないから、そういう話じゃなかったから!」


 どうやら2人とも、了が竜斗を危険視して処分しようとしているのだと誤解しているらしい。竜斗は慌てて手を振り、その誤解を解こうとする。


「えっ、そうなの? よかったぁ〜、あたし『ヴィラン対策室』なんて名前が出て来たから、てっきり竜斗君を捕まえに来たのかと……」

「お前が勝手に勘違いして暴走してただけだろが、このボケ」

「むっ! 慶吾だってその気でいきり立ってたじゃん!」

「う、うるせぇチビっ!」

「べーだっ!」

「あああ、だからもう喧嘩しないでったら……」

「……んっ? だったらよ、あいつは何の用でお前のところに来たんだ?」

「そうそう。竜斗君が悪者なんかじゃないって、あの人は知ってたんだよね?」


 だが誤解を解いたら解いたで、今度は恒例の口喧嘩を始めてしまった。しかし、今回は珍しく竜斗が仲裁する前に止まってしまう。

 ――竜斗は、自分が知らされた事実を話す気にはなれなかった。まだ自分でも整理がついていないし、レイボーグのことを教えても、彼らを不安にさせるだけだからだ。


「えーっと……僕の力は珍しいものだから、ヒーローに登録してそれを活かさないか……っていうお誘いだったんだよ。カオルさんとちゃんと話し合わなきゃいけないから、一旦保留にして貰ったんだけどね」

「えっ、ヒーロー!? すっごい、かっこいい! いいじゃんいいじゃん、絶対いいよ竜斗君! しかもスカウトなんて滅多にないじゃん! やろうよやろうよ、絶対やろ――いだっ!? なにすんの慶吾っ!」

「バカっ! ヒーローってのがどんだけ危ない仕事なのか分かってんのかよ! 今ちょうど『ヒーロー破り』が噂になってる最中だろうが! もし竜斗がヒーローになったら、そういう奴らに狙われるってことなんだぞ!」


 ――そこで、竜斗は嘘つきにならない範囲で話を盛ることにした。ヒーローに誘われた、と聞いた佳音は諸手を挙げて賛成するが、慶吾はそうではないらしい。

 彼女の脳天に拳骨を浴びせ、怒鳴り声を上げていた。


「で、でも竜斗君強いじゃん! ほら、前にあたしのおじいちゃんのトラックが溝にハマった時も、竜斗君が1人で引っ張り上げちゃったし! 車も持ち上げちゃうくらい力持ちなんだから、大丈夫だよ!」

「それくらい他のヒーローでも出来らぁっ! だいたい、そんな安易に勧めて竜斗が再起不能にでもなったら――!」

「――でも、でもっ! 竜斗君がヒーローになって人気者になったら……いっぱい、竜斗君に友達出来るかもしれないじゃんっ! ロボットでも、人間じゃなくっても……皆、竜斗君を好きになってくれるかも知れないじゃん!」

「……佳音……」

「乃木原さん……」


 だが、佳音も何も考えず賛成していたわけではない。彼女は、竜斗が自分の身体のことで思い悩んでいることを知っている。事実、機械の体を蔑む者もいるだろう……ということも。

 だからこそ、彼が「ヒーロー」というアイデンティティを手にして、そのコンプレックスを払拭することを望んでいるのだ。


 ――友達としてではなく、恋する乙女として。


「……」


 目尻に涙を浮かべながら、竜斗を案じヒーローを勧める佳音。そんな彼女を見つめながら、竜斗は胸元をギュッと握り締める。


『力ある者は、弱き者を守る義務があり。その義務を果たした時、弱き者に勝る栄誉を齎される。――それは、人間でもニュータントでもない君が、大手を振って「自分」を誇れる、またとない機会だ』


 了の言葉が、脳裏を過る。

 あの時は、自分のためだけに戦う道を選ぶことに対して、抵抗感があった。だから、トランクを閉じてしまった。

 ――だが、自分を想うがゆえにヒーローになって欲しいと願う、佳音の叫びを聞いた今。果たして自分は、同じ答えを出せるだろうか。


「……あ、あはっ! なんかごめんね、喚いちゃって。今日はもう帰るよ」

「あ、おい佳音! 待てって!」

「じゃあね竜斗君、また明日! もしヒーローになった時は、あたしがファン1号だからねー!」


 そんな竜斗の表情に気づき、自分が困らせてしまったと自責の念を抱いた佳音は、慌てて涙を拭い――懸命に満面の笑顔を作りながら、走り去ってしまう。

 その後を追い、走り出す慶吾と彼女を……竜斗はただ、手を振って見送るしかなかった。


(僕は……どうすればいいんだろう……)


 ◇


「クッ……ソがぁ!」


 ――翌日の、ある都内の路地裏。そこにあるゴミ箱を、1人の青年が蹴りつけていた。

 ゴミ箱は天高く舞い上がり、中身を撒き散らしながら路地の奥へと墜落していく。その近くにいた野良猫達が、蜘蛛の子を散らすように逃げ回っていた。


 絹のように艶やかな黒髪を、腰まで伸ばした獰猛な顔付きの青年。年齢は20代前半。身長は195cm程だろう。黒のスカジャンを羽織った彼は、血走った眼で行き場を失った拳を振るい続けていた。

 顔立ちは整っているが、その肉食獣の如き形相からは、鬼気迫るオーラが滲み出ている。優美な外見に反した、彼の貌は――さながら、血に飢えた野獣のようだった。


 青年の名は、蕪木雄馬かぶらぎゆうま


 トランシルバニアに拠点を置く、吸血鬼型ニュータントで構成されたヴィラン組織「吸血夜会」の一員であり――かつては、その幹部候補に名を連ねていたほどの猛者だった。

 だが……無力な人間を餌と見做し、無差別殺人を繰り返すこの組織の一員としては、彼は「異端」であった。


 彼は弱者から得る糧よりも、強者から搾り取る生き血に価値を見出していたのである。

 無力な人間には興味を示さず、強きヒーローにのみ狙いを絞る戦闘狂。そんな彼は組織の在り方に反する異端者であり、戦績や実力があるにも拘らず、5年以上も幹部候補止まりとなっていた。


 弱い人間の生き血など、息を吸うように簡単に取れる。そんなものより、死力を尽くして斃した強者から吸う血の方が、何万倍も美味い。

 ――それが雄馬という男の価値観であったが、その姿勢が組織の上層部に認められることはなかった。彼の在り方を一度肯定すれば、他のヴィラン達もそれに影響されて人間を襲わなくなる可能性があったからだ。

 そうなりかねないほどに、雄馬の卓越した戦闘力は、構成員達の心を動かすカリスマ性を持っていたのである。


 そんな彼にも、一度だけ転機があった。

 日本政府がヒーローだけに頼らずヴィラン達を倒すために、「超人計画」なるプロジェクトを進めているという情報が齎されたのである。そのうちの一つを破壊する任務が、雄馬にも回ってきたのだ。

 この作戦で期待以上の効果を発揮すれば、正式に幹部になれるかも知れない。そう望みを賭けた彼は、研究員に扮して潜入し――神頭武蔵博士が指揮を執る、レイボーグ計画の存在を知った。


 ――この計画は、装甲強化服での補助しか考えていない他のチームの研究とは違う。放っておけば、必ず組織の脅威になる。

 そう思い至った雄馬は、神頭武蔵を筆頭とするこのチームを「強者」と見做し、抹殺のため行動を起こした。


 しかし、そこで思わぬ誤算が起きた。自分の動きを察知していた、レイボーグ計画のモデルの片割れ――キャプテン・コージが、待ち受けていたのである。

 まともにやり合って、タダで済む相手ではない。しかしこの機を逃せば、レイボーグ計画を潰すチャンスを失う。


 その焦りから研究所の自爆装置を作動させ、雄馬はキャプテン・コージもろとも全てを滅しようとした。

 ――しかし、秘密裏に計画を潰すという作戦は失敗し、これが原因で「吸血夜会」はより日本政府からマークされるようになってしまった。

 結果、雄馬は幹部候補からも外され、一気にヒラの戦闘員にまで格下げされてしまったのである。


 そこで今度は、再起を図るために自分の力を政府に喧伝させるべく、名のあるヒーローに挑戦状を叩きつける「ヒーロー破り」を始めたのだ。


 ――だが、彼がヒーローを何人倒しても、政府はその存在をメディアに流そうとはしなかった。ヒーローという偶像のイメージを守り、市民を安心させるためには必要な処置なのだが――雄馬としては、当然面白くない。


 力があっても、戦っても、勝っても、誰にも認められない現実。そこから積み重なったフラストレーションが、こうして路地裏で暴発しているのである。


「……もうこの際、名が売れなくても構わねぇ。せめてこのイライラが晴れるくらい、クッソ強ぇヒーローがいりゃあなぁ……!」


 そうして、一頻り辺りのゴミ箱を蹴り飛ばした雄馬が、力任せに頭を掻きむしった時。

 ――真後ろの、陽に当たる街道を歩む高校生達の声が聞こえてきた。


(チッ……場所を変えるか。ガキどもはキーキーうるさくてかなわねぇ)


 騒がしさを嫌う雄馬は、そのまま高校生達から離れるように路地裏の奥へと進もうとする。……しかし。


「やっぱり、もう一度竜斗君に話してみるよ。絶対似合うもん、ヒーロー!」

「だからやめとけっつってんだろ、大事なのはあいつの意思だろ」


「……!?」


 その会話が耳に入った瞬間。雄馬は、足を止めてしまう。


(リュウト……ヒーロー……偶然か? いや……この際、そんなことはどうだっていい)


 半ば相討ちのような形で、自分を奈落に追いやったレイボーグ計画。その被験者だった男が確か、竜斗という名前だったはず。

 それと関係があるのか、それとも単なる同姓同名か。今の雄馬にとって、そんなことは瑣末な話だった。


 まだこのあたりに、潰していないヒーローがいる。このイライラを解消してくれる奴が残っている。

 雄馬にとっては、それだけで十分なのだ。


「よぉ……ちょっとツラ貸せやガキども。その話、詳しく聞かせろや」


 彼は一気に路地裏から飛び出すと、2人の高校生の眼前に立ちはだかる。


 ――次の瞬間。少年少女達にとっての、最大の危機が訪れるのだった。

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