公女SS『初めての逢引』下
「それじゃリディヤ、また後でね」
「……着替えるんだから、とっとと行きなさい」
公女殿下は寝間着のまま腕組みをし、僕からそっぽを向いた。寝顔を見られたのが恥ずかしいのか、頬と首筋が薄っすらと紅くなっている。
後方にいる、愉し気な栗茶髪のメイド長さんから目配せ。
『アレン様、後はお任せください♪』
『……了解です』
アンナさんへ微かに頷き、部屋の入口へ。
扉の前で振替り、リディヤへ一言。
「やっぱり、髪伸ばした方が良いと思うなぁ」
「……あんたの指図なんて受けないわよっ!」
前髪を立ち上がらせ威嚇してきたので片目を瞑って、僕は扉を閉めた。
途端に、強い緊張感を覚える。
この後、リサ・リンスター公爵夫人とお茶を御一緒しないといけないのだ。
幾度か体験しているとはいえ……未だに慣れない。
部屋の中からは少女のつっけんどんだけれど恥ずかしそうな声と、メイド長さんの茶化す声が聞こえて来た。私服、楽しみだな。
僕は思わず、くすりと笑い、此方を観察されている廊下のメイドさん達へ会釈し、歩き出した。
※※※
「ああ、アレン。朝からすまないわね。さ、座ってちょうだい」
「お、おはようございます。し、失礼します」
案内役のメイドさんに、内庭の屋根が付いているお洒落な休憩場所へ通された僕は、緊張しながらも美女の前へ腰かけた。
長く美しい紅髪と彫像のような肢体。
身に纏われているのは豪奢な深紅のドレス。
――『剣姫』リサ・リンスター。
公爵夫人であり、『大陸最強』を謳われる剣士でもある。
背筋を伸ばしていると、凛としたメイドさんが紅茶を淹れてくれた。
豊かな香りに少しだけホッとする。
そんな僕を見て、公爵夫人が苦笑された。
「もう何度もこうしてお茶を一緒にしているのに……未だ慣れてくれないの?」
「も、申し訳ありません。リサ様」
「ん~? アレン、私も歳なのかしらね。耳が遠くなったみたいだわ。――さ、もう一回」
「……リ、リサさん」
「ふふ。いい子ね」
「…………うぅ」
綺麗な手が伸びて来て、頭を優しく撫でられてしまう。
アンナさんもそうだけど、敬称を用いるとこうやって訂正されてしまうのはどうしてなのか。
優雅な動作でカップを持たれたリサさんが微笑まれる。
「リディヤはどうだったかしら? 喜んでいた??」
「……最初は寝ぼけていましたけど、すぐに起きて、その後は普段通りです」
「あら? それだけ?? ……はぁ、実の娘ながら、変な所で臆病な子なのよね。私は、てっきり着替えもアレンが手伝ってくれると思っていたのだけれど」
「ご、御冗談を」
公爵夫人の言葉に僕は激しく動揺。
落ち着く為、紅茶を一口飲んだ。爽やかな花の香り。
そんな僕を楽しそうに眺められつつ、リサさんが提案。
「アレン、少し早いけれど――今年の夏季休暇はどうする予定なの?」
「えっと……故郷に戻ろうとは思っています」
「汽車代は?」
「これから工面を。幸い、王都にはたくさんの御仕事があるみたいなので」
王都から東都までの汽車代は、三等車であっても高額だ。
学費は全額、奨学金で賄えているとはいえ……父さんと母さんのお金を無駄遣いするわけにはいかない。出来る限り節約して、妹のカレンの学費として温存したいし。早めに決めないと。
リサさんがカップを置かれた。
「そう――なら、丁度良いわ。アレン、貴方、今年の夏は南都に来てくれないかしら?」
「! 南都へ、ですか? で、でも、汽車代が……」
「貴方を皆へ紹介したいのよ。『リディヤが王立学校入学試験の日に、連れて来た男の子』を、ね。招待するのだから、旅費と滞在費はこっちで持つわ。貴方の御両親にも、私から手紙を送っておく」
「……即答しかねます。少し、御時間をいただいてもよろしいですか?」
「ええ、勿論よ――来たようね」
荒々しく石畳を歩く音。
座ったまま振り返ると、短い紅髪の少女が歩いて来るのが見えた。普段通りの剣士服で、腰には剣を提げている。
今日は家具を見に行く、という話だったんだけど……大丈夫なのかな?
後方のメイド長さんは困りつつも、依然として愉しそうだ。
そうこうしている内に、リディヤは荒々しく僕の隣へ腰かけた。そっぽを向いて腕組みし、早口。
「……遅くなったわ。さ、とっとと行くわよ」
「あ、う、うん」
「リディヤ――待ちなさい」
「……御母様、何でしょうか?」
公女殿下は顔を顰め、実の母親へと視線を向けた。
すると、公爵夫人は足を組まれ真正面からの質問を投げかける。
「貴女……折角の逢引なのに、どうしてそんな恰好なの? この一週間、散々選んでいたじゃない?」
「あ、逢引なんかじゃっ! え、選んでも、いませんっ! ……こ、こいつの為に、わざわざ服を選ぶ必要なんかない、と気づいただけで」
「アレンに『似合ってない』と言われるのが怖くて、直前で逃げたわね?」
「っ!? そ、そんなこと、ありませんっ! だ、第一、こいつは私のことをそんな風に言ったりなんか絶対しない――……はっ!」
「「ふぅ~ん♪」」『リディヤ御嬢様……』
リサさんと、何時の間にか後方へ回り込んでいたアンナさんが同時に唱和され、周囲にいるメイドさん達が目を見開き、感動されている。え、えーっと……。
独り、身体を羞恥に震わせているのは公女殿下のみ。
顔を伏せ、沈黙していたリディヤは剣の柄にゆっくりと右手を伸ばしていく。あ、まずい。
僕が対処しようと腰を少し浮かすと、リサさんとアンナさんが片目を瞑られてきた。……はい。
リディヤの手と自分の手を重ねる。
少女の身体が、びくりとした。優しく微笑みかける。
「暴れたら、髪がまた乱れちゃうよ?」
「……あんたは、御母様の味方なの?」
「ん~どっちかと言うとそうかも。私服、楽しみにしてたしね」
「っ! そ、そう、なの…………ま、まぁ、下僕が御主人様を気にするのは当然ね! ――……えへ」
『っ!!!!!』
自分の紅髪を弄りながら、リディヤが微かにはにかむ。
途端、数人のメイドさん達が倒れそうになった。……血も吐いている人もいるような?
アンナさんが両手を合わせ、朗らかに提案。
「では、このようにされたらどうでございましょう? アレン様がリディヤ御嬢様の御召し物を。リディヤ御嬢様はアレン様の御召し物を選ばれては?」
「なっ!? ア、アンナ様っ!?!!」
「ア・レ・ンさまぁ?」
「ぐっ……」
とんでもない提案を受け思わず抗弁しようとするも、凄まじい威圧感の前に沈黙を余儀なくされる。
なら、リサさんに……公爵夫人とメイド長さんの表情を見て、僕は悟った。
これ全部、罠かっ!!!!!
「良い案ね。リディヤ、そうなさい」
「――はい、御母様。ありがとうございます。ほ、ほら、行くわよ」
「……き、君だけで良い」「駄目」
即座に提案は却下。
リディヤの頬は上気し、瞳には高揚の炎が見て取れた。……カレン、お兄ちゃんは今日、大事なモノを喪うかもしれない。
結局――この後は一日中、僕の着せ替え劇となってしまった。
自分も次々と着替えては、宝珠に僕と並んだ映像を収めていくリディヤは楽しそうだったけれど……。
夕方になってようやく狂騒劇が終わりを告げた際、純白のドレスを身に着けた紅髪の公女殿下は心底嬉しそうに、僕へこう囁いてきた。
「(今日はこんなことになったけど……明日は二人で家具を見に行くんだからね? あんたは私が。私はあんたが選んでくれた服を着て、ね♪)」
「(……了解です、リディヤ・リンスター公女殿下)」
「(『公女殿下』禁止!)」
僕達は同時に吹き出し、笑い合った。
――翌日、家具屋でもひと悶着あったのだけれど、それはまた別の機会に。
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