公女殿下の家庭教師IF『お姉様の仰せのままに』下

 僕、アレン・リンスターは孤児だった……らしい。

 確かに髪は赤くないし、剣技も苦手だし、魔力も少ないので「そうなのか」と思わざるを得ない。

 まぁ、そんなことを口にしようものなら、小さい頃からずっと弟離れをしてくれない義姉と、お仕えしている御嬢様に怒られるので言わないけれど。

 そんなことを思っていると、紅髪の公女殿下が椅子に座りながら、振り返った。


「アレン、今、何を考えていたの?」

「――本日も、執務室で御仕事をされているリディヤ御嬢様は御綺麗だな、と」

「…………怪しい。あと、御嬢様は禁止! 隣に座ってっ!!」

「僕は執事ですので」

「い・い・か・ら! これは命令よ! 執事は主の命令に?」

「……基本的には絶対」

「前半部分は削除っ! 誰もいないんだから、口調もっ!」

「…………はぁ」


 溜め息を吐き御嬢様――リンスター公爵家が誇る『剣姫』リディヤ・リンスター公女殿下の命に従い、隣へ座る。

 すぐさま、自分の椅子を僕の椅子にくっつけ、僕の肩に頭を載せてきた。


「まったくもう。もうったらもうっ! アレンはもっと私を大事にすべきだわ。リリーへの甘い分を全部、私に振り分けなさいよねぇ……」

「今でも十分、甘いと思うんだけど?」

「た~り~な~い~の~。……ん」


 リディヤが頭を押し付けながら、甘えた声を出し、上目遣いで僕を見た。

 撫でろ、と。

 仕方なく片手で書類――侯国連合北部を構成していた、旧侯国の統治情報を確認しつつ、幼馴染の頭を優しく撫でる。ふむふむ。


「大分、治安も安定してきたみたいだね。姉さんが散々、叛乱予備軍を潰して回った成果が出て――……リディヤ、痛い、よ?」

「……リリーの名前を出すなぁ……あむ」


 リディヤが僕の腕を甘噛みする。拗ねた表情だ。

 ――リンスター公爵家領より南方に位置する侯国連合は、かつて王国侵攻を四度に渡って企てた。

 所謂『第一次~第四次南方戦役』だ。

 そして、リンスターはその全ての戦役で圧勝。七つ存在した侯国の内、六つを併合するに至った。

 一侯国だけ残されたのは、単なる緩衝地としての意味でしかない。

 で……六つの内、四つを陥落せしめた背景には、今、僕に噛みついている公女殿下と、僕の姉であるリリー・リンスターの活躍が――突然、扉が開いた。


「ア~レ~ン~!!!!! お姉ちゃん~とっってもぉ、嫌な予感が――あぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

「……姉さん、せめてノックを。今、仕事中だからね?」


 入ってきたのは、矢の形が象られた服と長いスカート、革製のブーツを履き、長い紅髪を靡かせている僕の義姉――リンスター公爵家メイド長第三席のリリー・リンスターだった。余程、急いで来たのか、息を切らせている。

 その間もリディヤは僕から離れようとしない。それどころか、腕を強く抱きしめ、剣呑な口調で姉を叱責した。


「……リリー、執務中よ。用があるならそこで言いなさい。そして、とっとと――出・て・行・けっ!!!」

「むぅ~! リディヤ御嬢様、御仕事するなら、アレンに抱き着く必要はない筈ですぅ~! これは職権乱用ですぅ~!! 弟を守るは姉の務め……アレンだって、お姉ちゃんの方が良いに決まってますぅぅ!!! 胸も私の方が大きいですしぃ★」

「!!」「……姉さん、それは悪手だよ……」


 リディヤがゆっくり、と立ち上がった。

 そして、勝ち誇っている姉へ微笑む。白炎の羽が舞い散る。


「……リリー、前々から思っていたのだけれど、貴女、いい加減、弟離れをした方がいいんじゃないかしら?」

「私は~アレンの~世界でたった一人しかいない『お姉ちゃん』なのでぇ~♪」

「っ!」


 姉が余裕の表情でリディヤを迎撃した。

 公女殿下は怯み、すぐさま僕を睨んだ。


『どうしてっ! あんたはっ!! 私の『弟』じゃないのよっ!!』

 

 ……無茶な。

 そんなリディヤを更なる追撃。これ見よがしに前髪に付けている花の髪飾りに触れた。


「この髪飾り~アレンが私の為に選んでくれたんですぅ~♪ あれれぇ? そう言えばぁ、リディヤ御嬢様はぁ、選んでもらったことないですねぇ? ふっふっふっ~♪ お姉ちゃん、大勝利!!!」

「っぐっ!!! ――……そ、そんなことないもんっ!!! アレンは、私とお揃いの指輪」

「リディヤ!?」

「………………」


 さっきまで勝ち誇っていた姉の動きが止まった。

 ……まずい。非常にまずい。

 僕は立ち上がり、逃走路を思い浮かべる。

 姉が美しく微笑んだ。炎花が飛び交う。


「……アレン」

「な、何かな」

「……お姉ちゃん、『指輪』の件、何も、聞いてないんだけど?」

「…………た、誕生日で、リ、リディヤが『それ以外は、やっ!』って。ね、姉さんが思っているような物じゃないし、ぼ、僕はリディヤの執事だし、主の言う事は叶えるのが――」


 言い切る間もなく、姉は僕目掛けて跳躍した。

 い、いけないっ! 

 咄嗟に結界を張り巡らす。

 ――激しい金属音が響き渡り、炎羽と炎花がぶつかり合った。

 僕を守るようにリディヤが剣を抜き放ち、姉の大剣を止めている。

 

「ふっふっふっ……リリー! もう分かったでしょうっ! 長い長い……小さい頃からの戦いも終幕よっ!! 私は『アレンから貰った』指輪を持っている!!! そして、リリーは持っていないっ!!!! 敗者は、大人しく、私達を祝福しなさいっ!!!!!」

「み、認めないですぅぅぅ! はいっ! アレン!! お姉ちゃんも次の誕生日は指輪が欲し」

「アレン。主として命じます。リリーへ指輪を贈っちゃダメっ!」

「!? ず、ずっるいですぅぅぅ!!!! 反則ですぅぅぅ!!!!」

「賢い、と言いなさいっ!!!!」

「……………はぁ」


 僕は額に手を置き、大きな溜め息を吐いた。結界はきちんと、部屋を守っている。

 この二人、仲は良いのだ。とても。買い物だって一緒に行くくらいだし。

 けれど、僕が関わると互いに譲ろうとせず、しばしばこのようにぶつかる。

 早めに終わってくれないと、部屋が壊れて、また僕が怒られる――


「無論――後で始末書は書いていただきます★」

「……ですよね。お帰りなさい、アンナさん。王都はどうでしたか?」


 僕の後方から笑い声が聞こえてきた。

 振り返ると、そこにいたのは栗茶髪で小柄なメイドさん。

 リンスター公爵家メイド長のアンナさんだ。

 リディヤの妹であるリィネが王立学校へ進学したことに伴い、王都へ出向いていたのだけれど……何かあったんだろうか? 

 僕は人差し指を掲げ、リディヤと姉の魔法を消失させる。


「「!」」

「二人共、そこまでで」

「流石でございます。――アレン様、これをリィネ御嬢様より預かって参りました」

「リィネから?」


 アンナさんが手紙を差し出してきたので、小首を傾げつつも受け取る。

 すぐさま、左右の肩にリディヤと姉の顔も載った。

 ――文章を読み、三人でアンナさんの顔を見る。


「……えっと?」「…………」「ふむふむ~。つまり、アレンに~王都へ来てほしいんですねぇ? お友達を助ける為に♪」

「リリーの言うことで間違いないかと。アレン様、如何なさいますか?」


 アンナさんが僕の顔を見た。

 手紙の内容はリィネからの懇願だった。


『兄様、どうか私の友人を――ティナ・ハワードを助けてください!』


 どうやら、王都で思わぬ難題が発生したようだ。

 僕はリディヤと視線を合わせる。

 幼馴染の少女は少しだけ唇を尖らせ、微かに頷いてくれた。


「アンナさん、分かりました。王都へ行こうと思います。リディヤと姉は南都で仕事を…………ねぇ? 二人共。両腕を噛むのは止めよう?」

「「……はむあむ……」」


 リディヤと姉は不満そうに僕の腕を甘噛みしている。

 アンナさんは苦笑した。


「アレン様、よろしくお願い致します。それはそうと……リリー」

「! は、はいぃ?」


 メイド長が微笑み、姉を見た。

 ……あ、この流れは。


「どうやら……メイドである意識が未だ希薄なようですね? しかも、また胸に脂肪を蓄えて…………。『メイド服への路!』は振り出しに戻しておきます。これは、リンスター家メイド隊としての正式決定ですっ!」

「!?!!! そ、そんなぁぁぁぁ……」


 姉は愕然とし、その場で倒れ込み、さめざめと泣き始めた。

 その姿を見た僕とリディヤは顔を見合わせ、同時に肩を竦めるのだった。

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