第34話 水都騒乱 急々

 黒猫の使い魔さんが肩に飛び乗った瞬間、私の視界は闇に飲まれていました。

 けれど、怖くはありません。

 別れる前に言われた兄さんの言葉を思い出します。


『アンコさんは全面的に信頼出来るよ。教授の研究室内で最も猫望じんぼうを集めているのは伊達じゃないんだ。カレンも来年、研究室へ入れば分かるさ。因みに一番、人望がないのは教授で、権力を持っている人間はリディヤだけどね』


 ――視界が開けました。

 ここは塔の上のようです。

 私とリディヤさんの眼下には、水都の大倉庫の姿が見えます。

 白煉瓦造りの豪華な建物で魔力の感じからして、一つ一つに結界が施されているようです。周囲には完全武装の兵士が多数。中心にはフード付きの灰色ローブをまとった連中もいます

 軍旗だけでなく――あれは、何の旗でしょうか? 短剣と杯??

 リディヤさんが舌打ちされました。


「……ちっ。もう、占拠されてるじゃない。存外に統領派も軟弱ね。もう少し頑張ればいいものを」

「統領派、ですか? ……やっぱり、これって侯国連合内部のいざこざに巻き込まれた形? それにしては、南部の侯国の兵を殆ど見ませんけど……」

「さぁ」

「さぁ、って……」

「私しかいないなら、あれこれ考えるけど――今はあいつがいる。なら、私達がすべきことは唯一つよ!」


 胸を張り剣を抜き放ちつつ『剣姫』様は自信満面。

 私を見て不敵に笑いました。


「とっとと片付けて、合流する! それ以外、何か考える必要がある?」

「――……はぁぁ。兄さんは貴女の教育を間違えたと思います。アトラは私が責任を持って育てますからっ!」

「はいはい」

「はい、は一回、ですっ!」


 短剣を引き抜き、空へ投げ雷槍を顕現。身体全体の魔力も活性化。

 兄さんと魔力を繋いでいるので、とてもとても調子が良いです。今の私に敵はあまりいません!

 兄さん達は未だ戦闘を開始していないようです。

 兄さんの傍にいるのは妹である私の義務。急がないといけません。

 ――後方より轟音が聞こえてきました。魔力が荒れ狂っています。

 リディヤさんへ視線を向けます。


「リリーでしょ。心配はいらないわよ。あの子、ちょっと抜けてるし、メイドに執着してるし、駄々もこねるけれど――『リンスター』なのよ。じゃなければ、あいつがこっちに入れる筈ないわ。『単独行動でもどうとでもなる』と思われてるのよ。ああ、勿論、カレンは義姉である私が全部面倒を見る、という前提。自分が一人前、と勘違いするんじゃないわよ?」

「くっ……今、ここで改めて言うことですか。……分かってます。けど、何時までも兄さんの庇護に甘んじるつもりは毛頭ありませんっ! 兄さんは私が守りますっ! 自称義姉を詐称する我が儘公女殿下なんかに渡しませんっ!!」

「――ふふ。現実を受け止められない義妹って、可愛いわよね」


 ぎりっ、と奥歯を噛みしめます。

 まったくっ! ああ言えば、こう言ってきますっ!!

 この『剣姫』様とはいい加減、決着を――アンコさんが鳴かれ、次いで私の頭に小さな前足を置かれました。

 リディヤさんと顔を見合わせます。


「……今は」「……そうね」

   

 頷き合い、認識を共有。

 兄さんに言われた注意を思い出します。


『カレン、くれぐれも気を付けて。アンコさんの言うことはよく聞くようにね』


 どうやら、リディヤさんもそのことは理解されているようですね。

 尋ねます。


「……どうしますか? 数が多いですけど」

「何時も通りよ。斬って、燃やして、斬る」 

「ふむ……悪くない提案です」

「でしょう?」


 どうしてか、あいつには反対されるのよね~、と紅髪の公女殿下が笑われます。 

 ……こういう時の笑顔、私よりも幼く見えます。

 きっと、兄さんはこの人のそういう所を放っておけなくて、手を。

 ――……甘やかし過ぎ、という意見は揺らぎませんが。


「カレン」

「何です」

「――貴女はそこで待機! しっかりお義姉ちゃんの勇姿を見ておきなさいっ!」

「なっ! 私に、義姉はっ!!」


 返答も聞かすリディヤさんは笑いながら炎翼を広げ、急降下。

 敵陣中枢へ突撃。剣を振りかぶり

 

 僅か一閃。


 敵陣を斬り裂き、兵士達は吹き飛ばされ、後方にそびえ立っていた大倉庫の金属製であろう巨大扉は斜めに両断。音を立てて倒れていきます。

 いえ……これ、大倉庫自体も斬られているんじゃ? 

 ただの一閃でこれ程の惨状を作り出したにも関わらず、死者は皆無。

 ……絶妙な手加減。

 相変わらず出鱈目過ぎます。

 兄さんが傍にいる、と分かっていて、浅く魔力を繋ぐだけで……悔しいですがリディヤ・リンスター公女殿下は、字義通り『最強』に限りなく近づくのです。

 敵陣中央に降り立ったリディヤさんは剣を肩に置き、周囲を睥睨。

 軍旗や謎の旗の勢いは全くなくなり、少女の威圧に力を喪っています。

 中央にいる髭面の貴族らしき人物は喚き、灰色ローブ姿の魔法士達も未だ戦意があるようです。 

 私は雷魔法を紡ぎつつ、風魔法で言葉を拾います。

 貴族の叫び。


『な、何だ! お、お、お前はいったい――『リンスター』とは何なのだっ!? どうして、たった一人でこのような事が出来る!!!』

『戦況すら理解出来ない馬鹿侯爵へ答える義務はないけど……強いて言えば、のよ。端からね。で?』


 リディヤさんが剣を灰色ローブ達へ向けました。

 炎翼が大きくなります。……怒っている?


『あんた達の親玉の目的は何? どうして、聖霊教の暗部がこんな所にいるの?? 負け戦と分かっているにも関わらず、わざわざ今日、この機に叛乱をそそのかす……理由を話せば、生かしておいてあげる。ま、リンスター式の拷問はするけど。何しろ、私の休暇の邪魔をしたんだから』


 ! 叛乱をそそのかした? しかも、聖霊教??

 頭の中が疑問でいっぱいになります。

 後で兄さんに――アンコさんが鋭く鳴かれました。

 灰色ローブの一人が口を開きました。


『……流石は『剣姫』、といったところ、か。だが! 我等の覚悟を侮るなっ!! 我等、既に殉教を覚悟した身。貴様の存在は我等が主からすれば、小石同然だが、あの御方の歩く路にそのような物は不要っ!! 今、ここで、お前を倒すっ!!! そのことを――聖霊は望んでおられるっ!!!!』


 そういうと、男達は一斉にフードを取り短剣を手にしました。顔には奇妙な刻印。

 いったい何を――次の瞬間、男達は胸に短剣を突き立てました。

 鮮血が飛び、倒れていきます。

 兵士達が騒然とし、貴族の悲鳴。


『ひっ! な、何を!? こ、これが、聖霊教の教え!?!! そ、そんな、そんな馬鹿……ひぃぃぃぃ!!!!!』


 ローブの男達の身体から流れ出た鮮血が細い血線となり、まるで生きているかのように兵士達に襲い掛かりました。

 狂乱した貴族と兵士達は剣や槍を振り回し、魔法を乱射。

 けれど、『血』は止まらず、次々と突き刺さり、血を吸い肥大化していきます。

 

 ――リディヤさんが剣を一閃。


 斬撃は血線……いえ、今や、醜い獣の形となりつつある物体を直撃。

 真っ二つにしました。が


『――……くっくっくっ……そのような攻撃がぁ、聖霊の加護により、不死となった我等にぃ、通じるものかよぉぉぉぉ』


 くぐもった笑い声と共に、身体がくっつきました。

 そして、無数の血線をリディヤさんへ放ってきます。いけませんっ!

 

 ――『雷神化』。

 

 一瞬で高速機動し、血線を雷で焼き尽くします。

 けれど、黒焦げになったにも関わらず復活。どういう原理で……後方から呆れた声がしました。


「……カレン、見ておきなさい、って言ったでしょう?」

「貴女の戦いぶりが適当だからです。これから先は私が」

「却下よ。こいつの相手、あんたにはまだ少し早いわ」


 手を取られ、強引に後方へ回されます。

 私が文句を言う前に、リディヤさんは剣を高く掲げました。 

 先程まで人だった存在が嘲ります。


『無駄だぁぁぁ。『火焔鳥』如きの魔法で我等はぁぁぁ――……!?!!』

「…………悪いけど、あんたらが秘密の種だと思っている相手とは、もう殺りあってるのよ。不死身ですって? この世に不死身なんてものは存在しないわ。少なくとも――そう、は言ってたわよ? …………ねぇ? いったい誰の墓を暴いたの?」

『!!!!!』

 

 ――剣の切っ先に、巨大な四頭八翼の『火焔鳥』が顕現。

 しかも、身体は深紅、翼は漆黒。

 四英海で戦った時に纏っていた『黒』の炎とはまるで火力が違っています。

 大気に満ちているのは――憤怒。 

 リディヤさんが微笑みました。身体が震えてきます。


「あんた達はとても運がいいわ。その姿をあいつが見たら…………私は優しいの。この世から完全に消すだけで済ましてあげる」

『我等はぁぁぁ、聖霊の加護を、受けし者ぉぉぉぉぉぉぉ!!! 死して、聖女様の、踏石となら――』


 血の獣が咆哮しながら、全魔力を振り絞り死の突撃を敢行。 

 リディヤさんは剣を振り下ろしました。

 

 『火焔鳥』が襲い掛かり――閃光。


 視界が凄まじい光に包まれました。同時に、私を守る百を超える耐炎結界。

 ――暫くした後、恐る恐る目を開けます。

 そこにあったのは……口を押えて、ぺたん、とへたり込みます。


「うぅぅ……兄さん、ごめんなさい……私は……私は罪を犯しました……」

「……ちょっと、何を言ってるのよ? ここは私を褒めるところでしょう?」

「――……本当にそう思っているんですか?」

「――……だって」

「だって、じゃありませんっ! 勢いに任せて、大倉庫全部を燃やさないでくださいっ!! ど、どうするんですか、これっ!? に、兄さんに何て言うんですっ!!」

「あ、あ、あいつらが悪いのよっ! 私は悪くないわっ!!」


 眼前にそびえ立っていた筈の大倉庫は、跡形もなく消失していました。な、なんという火力……そ、倉庫内にいた人達まで燃やしたんじゃ……。

 後方の空中に闇の渦が浮かび、多数の人が転げ落ちてきます。

 嗚呼……兄さん、今、はっきりと理解しました。

 私は右肩の上のアンコさんを優しく撫でます。ありがとうございました。

 ようやく状況を飲み込み、まず、顔面を蒼白にした髭面の侯爵が地面に頭をこすりつけ、周囲の兵士達も武器を投げ捨て、跪いていきます。 

 そんな中、新たな伝説を刻んだ『剣姫』様は剣を納め、言い放ちました。



「――リディヤ・リンスターよ。敢えて言っておくわ。二度目はない。覚えておきなさい」

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