第40話 小休止
「こらー。止まっておくれ」
「♪」
僕の前を楽しそうに、タオルを羽織り下着姿の狐幼女が駆けていく。
耳と尻尾はすこぶる上機嫌。追いかけっこだと勘違いしているのだろう、僕が立ち止ると、幼女も立ち止り『まだ?』という視線を向けてくる。
――噴水の中で、果物を食べたり、食べさせたりした後、幼女の髪を濯ぎ、身体を洗ってやっている最中『……タオルや君の着替えがあればなぁ』と呟いたら、目を輝かせて突然、駆けだしてしまったのだ。
偏執気味に組まれている各扉の暗号は幼女が触る度、瞬時に解かれた。
その弾みなのか、棚やクローゼットの暗号まで崩壊。可愛い絵柄のタオルと、何故かあった幼児用の下着と着替えを入手出来たのは幸いだったけど……あ~うん。きっと、あの天才魔法使い様は、色々と拗らせていたのだろう。未来の子供用に服とかを一式揃えるって、どうなんだろう。
流石に男物はないだろうなぁ……と思いつつ、先を進む。
この空間、下手な屋敷並に広い。
ただし、廊下と呼べる物は存在せず、扉を開けたら次の部屋があるだけ。使われている魔法式は凄まじい精度なので、憶えておく。僕だと、魔力が足りなくて起動は出来なそうだ。
壁際に立ち並ぶ、黒色のクローゼットに触れる。
……植物に呑み込まれつつある物もあるけれど、基本的には整頓が行き届いている。
材質は木材。数百年、朽ちない木、か。
「?」
追いかけて来ない僕を見て、幼女が、とてとて、と近くまでやって来た。
抱き上げ、捕獲。
「! !! !!!」
「ズルくないよ? さ、自分で身体を拭いて、一人で着替えが出来るかな? その後、休める場所を探そうか」
「? !」
幼女が腕の中から脱出。僕の手を引っ張る。
何処かへ連れて行ってくれるらしい。
為されるがまま、前進。
――ほぼ、クローゼットで埋め尽くされている部屋を、幾つか通り過ぎると、大きな扉が見えて来た。
幼女が触れる、と暗号式が瞬き、激しく抵抗。けれど、最後は力尽き、扉が開け放たれた。
「ここは……」
「♪」
その部屋は寝室だった。
中央には天蓋付きの巨大なベッド。壁には幾つかクローゼットがあり、枕元には小さなテーブルと古い古い簡素な椅子。部屋の四隅には光。床は派手な深紅の布。
あの少女が寝ていたのかな?
そう思い、探ってみるも魔力の残滓は無し。それどころか、これ……新品じゃないか? あと、一人用には大き過ぎるような。
幼女は、僕の手を離し、そのままベッドへ跳躍――首根っこを掴む。
「! !!」
「駄目だよ。まずは、頭を拭こうね」
椅子に座らせ、風魔法で温風を起こし、頭を乾かしていく。
――このテーブルと椅子、職人が作った物じゃないな。おそらく、素人の手製。今まで通ってきた部屋に置いてあった物に比べると、格段に質が劣る。
けれど、同時に……
「どれだけ、大切にしていたんだろう……保存魔法、千を超しているんじゃ……」
「?」
「あ、うん。さ、次は着替えだよ。一人で出来るかな?」
「♪」
幼女はその場で下着を脱ぎ捨て、僕に満面の笑みを浮かべた。褒めてほしいらしい。……う~ん、昔のカレンを思い出すなぁ。
さっき、入手したかぼちゃパンツを穿かせ、白の下着シャツを着させる。
「♪」
幼女は、気持ちいいのか、その場でクルクル。……前のは、血で汚れていたしね。さて、と、後はこの子に服を――
「あ、こらー」
「♪」
服を着せる前に、幼女はベッドの中に潜り込んでしまった。
もぞもぞ、と動いていたか、と思えば、ブランケットの中から顔だけをちょこん、と出し、僕を見て来た。
「♪」
そして、クッションを叩いて催促。一緒に寝よう、ということらしい。
でもなぁ……僕の姿を見やる。血塗れのシャツ姿。これで、寝たら、あの天才魔法使い様は怒るだろう。
悩んでいると、幼女が再び、もぞもぞ。
足下から脱出し、壁のクローゼットに触れる。
またしても、凄まじいまでの暗号式。う~ん……こういう状態じゃなかったら、延々と解読してみたいんだけどなぁ……。
幼女は唇を尖らせ
「!」
両手を握りしめ、二度三度、上下させた。
――次の瞬間、かちり、という小さな音。クローゼットが開いた。
幼女が胸を張って僕を見る。耳と尻尾は膨らみ『褒めて! 褒めて!!』と訴えている。
近付いて行き、頭を撫でると
「♪」
嬉しそうに自分でも頭を動かしてきた。
目の前には巨大なクローゼット。う~ん……開けて大丈夫かなぁ。変な物が出てきたら――……ま、いっか。
『よくないでしょっ!?!!』
長い紅髪をした少女の叫びが聞こえた気もするけれど、これは仕方ない。彼女の勝負下着とかだったら、責任を持って出る時、全てを焼くとしよう。
意を決し、開く。
「…………」
無言で閉める。
いやいやいや。これはないだろう。どうして、こんな場所にあの少女がいたのかはまるで分からないけれど……少なくとも、独りでいた筈だ。
さっきの幼児用の服が詰め込まれたクローゼットといい、どう考えても必要ない物を、ここまで大事に――幼女が、再度クローゼットを開く。
「♪」
中へ飛び込み、がさごそ。
男性用のシャツやズボン、下着をたくさん抱えて出てくると、尻尾を振った。
乏しい情報から推測するに、おそらく、あの少女が想い人用に用意していた服なんだろう。
……僕はこの感じをよくよく知っている。あいつ、無理無茶してないだろうなぁ。いきなり、オルグレンの本拠地を単独強襲とかしてたら――幼女が手渡してきた。
頭を優しく撫でる。
「ありがとう」
「♪」
取りあえず受け取ると、幼女はすぐさま僕へよじ登ってきたので、浮遊魔法をかけてベッドへ投げてやる。
「! !! !!!」
嬉しそうにベットの上ではしゃぐ。本当に小さい時のカレンとそっくりだ。
椅子に座り、服類をテーブルに載せ、近寄って来た幼女の頭を再度撫でる。
「少し休もう。それで、ここからの出口を探そうか」
「♪」
笑顔を浮かべ、頭を動かす。
――やがて寝息が聞こえて来た。こうして見ると、獣人の子供にしか見えない。
普通の獣人に、あの暗号を解くのは不可能だけれど。
ただ……この子がどんな存在であれ、僕は、あの少女と約束をした。
ならば、どうにかするとしよう。
『約束を――特に死者との約束は破ってはいけないよ、アレン』
幼い頃、父の膝の上で、教えられた言葉を思い出す。
分かっています。この子は僕が守ります。
――僕は、獣人の、狼族の、貴方の息子ですから。
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