第38話 少女

 美しく、羨望さえ覚えさせる魔法式が扉だけでなく、周囲一帯に広がっていく。

 現在、使用されている魔法式ではない。

 明らかに古く――何より精緻かつ優雅。

 まるで、久しぶりの来訪者を歓迎するかのように、魔法式が乱舞。

 ……いや、この感じ、どっちかというと『よくぞ、来た! 挑戦者!! だけど、私は一切の自重しないっ!!!』という印象だ。

 左手の幼女が楽しそうにぴょんぴょんと跳びはねる。


「! !! !!! ♪」


 僕へ笑顔を向け「はやく、はやく」と催促。要は僕にこの魔法式を解除して、と言ってるのだろう。

 息を深く吸い込み、右手を動かして魔法式に介入――


「っっっっ!!!!」


 余りの情報量の多さに脳が沸騰。片膝をつきそうになるのを無理矢理、抑え込み瞬間で分かったことを考える。


・既存の魔法式ではない。遥かに洗練された……おそらくは五百年前の大陸戦争時代の魔法式。

・全ての魔法式が暗号化されている。しかも、生き物のように次々とこの瞬間も変化。普段、僕がやっている魔法式への介入による制御は、現状の僕の技量では不可。何より、一つの暗号式を解くのにも魔力が絶対的に足りない。

・込められている魔力量が尋常じゃない。リディヤを超え、ティナが最大限成長したと仮定した際の最大出力に匹敵する。しかも、制御技術は未知。

・暗号自体は、やはり『炎麟』の起動式が書かれていた日記帳のそれ。

・何となくだけど、構築した人は、大分性格がねじ曲がっている気がする。教授、学校長並。


 これは、久方ぶりに手の打ちようがないかな?

 その間も、魔法式はどんどん溢れ出し、増殖していく。僕らが降りて来た螺旋階段方向にまで拡大。

 ……うわ、解けなかったらこの搭、いや島どころか一帯まで止まらないのか。  『炎麟』の起動式ではないだろう。あの大魔法は腐れ縁の中にいる。

 だけど、仮に僕の予想通り、この魔法式を構築したのが『炎麟』の考案者だったとしたら……おそらく、ろくでもない魔法が発動する筈。

 さて……どうしたもんか。

 幼女が僕の顔を覗き込んでくる。


「???」

「ん? ああ、ごめんよ。どうしようかな、って。僕の魔力だと、暗号式すら解けそうにないから……」

「! !!」 


 幼女が首を傾げ、またしてもぴょんぴょん、跳びはねた。魔法式が弾み、辺りの壁に反射する。

 器用に、僕の左手から背中によじ登り、顔を覗き込む。


「どうした――……」

「♪」


 幼女は一切の躊躇なく僕の唇を奪った。向こうから魔力が繋がる。だけど、感情は読み取れない。

 ――同時に、過去経験したことがない程の全能感。まさか、これって。

 いや、後回し。まず、すべきことは。

 右手を振り


「?」

「……こんなに魔力があるのに、自分を治さないのは駄目だよ?」

「♪」


 幼女の両手足の傷を癒し、拡大しつつある魔法式を押し留める。 

 抵抗無し。

 暗号を解除すると止まるのがまた嫌らしい。きっと、この魔法式を組んだ人は、生前モテなかった。間違いなく。


『ちょっとっ! 数百年ぶりにここまで辿り着いて、その言い分はないでしょっ!?』

「! ……今、話したかい?」

「? ♪」


 幼女は小首を傾げ、僕へ嬉しそうに抱き着くばかり。

 ……気のせいか。

 うん、気のせいだ。とっとと、全部解いてしまおう。そうすれば、亡霊も消えるだろう。


『むーしーすーるーなぁぁぁぁぁ。……魔法式が消えたら、どうせ消えるんだから、最後に話くらいするのが礼儀ってやつでしょう? それとも、この瞬間に塔ごと消す?』

「冗談ですよ。……申し訳ない、今の時代に貴女の名前は伝わっていません。ただ、大魔法『炎麟』を用い――東都を焼いた大魔法使いとしか」 


 扉の前で地団太を踏んでいる、想像していたより遥かに若く、長い紅髪の少女へ話しかける。眼鏡をかけ、魔法士の帽子と緋色のローブ。身体は透けている。

 ……幻影。もしくは残留思念か。

 舌打ち。


『……ちっ。寄りにもよって、あんたみたいに性格が悪そうな男がこの扉を開けることになるなんて。二百年前だかに、とっとと吹き飛ばしておけば良かったわ。その子をどう誑かしたのか知らないけど……残念でした。ここに『炎麟』はいないわ!』

「あ、知ってます」

『……ほぇ』


 少女が呆けた表情を浮かべる。

 暗号に慣れてきた。こんなに魔力を使えたことなんかないから、新鮮。暗号自体は後で真似しよう。


『だ、だったら、どうしてこんな……私の墓所を荒らしに来てるのよっ!』

「墓所? ここは墓所だったんですか??」

『……あんた、変。と言うか、馬鹿?? 何も知らずにこんな所まで降りて来たわけ?』

「いえ、この子が降りてー、と言ったものですから。僕は……まぁ、色々ありまして、ここに連れ込まれたんですよ。この子、両手足に酷い傷がありまして。早く、外に出て治したいな、と。今しがた解決しましたが」

『…………あんた、やっぱり変。友達いないでしょう?』

「後世にあんな恥ずかしい日記帳を遺された貴女には負けます」

『!?!! …………コロス』

「物はここにありませんよ。というか、もう死んでるでしょう、貴女」

『それとこれとは話が――あーもういいわよ。そろそろ、限界だったし。ねぇ、あんた』

「何でしょう?」


 魔法式の解読が一気に進み、扉へ集束。

 それに伴い、少女の姿も薄くなっていく。


『名前は?』

「アレンです」

『…………そう。一つ聞いていいかしら。二百年前だかに、あんたと同じ名前の狼と話したわ。その子のことを知っている? エルフのとんでもなく生意気な少女を連れてたわね』

「――勿論です。僕の名は、僕の両親が『彼』の名をつけてくれたんですから」

『そ。なら、アレン。過去の亡霊が貴方へ贈り物をあげる――と言ったら、どうする?』

「食料とふかふかベッド。あと、この子に着せる服をください。ついでに出口を」

『……………あんた、やっぱり変。部屋の物は使っていいわ。ただ、出る時には、全て燃やすなりして。その子をお願いね』

「分かりました」

『人の身で五百年は……長過ぎたわ』

「――――」


 幼女が笑顔を浮かべ、小さな手を少女へ振る。『また、すぐ会える』と確信しているかのように。魔法式が光を喪っていく。

 僕は最後に尋ねる。 

 

「最後に、貴女の名前を教えてください」

『あら? 口説く気? 言っておくけど、私にはあんたなんかじゃ相手にもならない、素敵な人がいたんだからねっ! ――……私の名前は』


 少女が名前を口ずさむ。僕は頷く。

 最後の魔法式が鎮まり――周囲が暗闇に包まれた。『……ありがとう』と聞こえたのは果たして現の出来事か。


 ――ほぼ、同時に僕は体力の限界を超え、意識を喪った。

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