第65話 『鍵』
『鍵』?
周囲を見渡す。誰もいない。
……気のせい、か?
リディヤとティナが心配そうに覗き込んでくる。
「何? どうしたのよ?」
「先生?」
「……大丈夫。少し疲れたかも。ティナ、魔力を切りますね。そろそろ限界です。リディヤはこのまま」
「は、はい」
「当然よ」
二人には聞こえなかったみたいだ。
ガシャ、という音と共に、凍結していジェラルドが屋根に倒れた。生きてはいるようだけれど、戦闘は無理だろう。黒炎も見えない。
どうやら、これで――っ!?
「リディヤ!」
「……懲りない男――!」
「せ、先生っ! あ、あれって!」
ジェラルドの身体から、炎が離れ翼持つ四足獣の姿を形成していく。
この魔力と大きさ……先程とは比べ物にならない。
くぐもった哄笑が響いた。
「はっはっはっはっ! 死ね。皆、死ねっ! 全て全て、燃え落ちてしまえっ!!! 私のモノにならないならば、灰になって消えろっ!!!!」
「あんたねぇ」
「リディヤ、今はそれどころじゃないっ。字義通り最後の魔力が注ぎ込まれてる。ティナ、今度こそ逃げて下さい」
「で、でもっ!」
「大丈夫ですよ。後は、僕に任せてください。リディヤ、君も」
「……嫌よ」
「今は我が儘を言ってる場合じゃ」
「い・やっ!」
頬を膨らまし腕を組み、僕と視線を合わさない。
ああ、もうっ! ここで、我が儘御嬢様の本領発揮かっ。
……時間はない。
どうする? どうしたらいい?
もう一度『氷鶴』の力を使うか? いや、さっきほんの少しだけ触れてみて分かった。あれは、今のティナと僕が扱うには危険過ぎる。
なら、当初考えていた通り、僕が無理矢――リディヤの両手が両頬に添えられた。
「……そんなの私が許可すると思ってるわけ?」
「そういう問題」
「そういう問題よっ! いい? あんた一人が犠牲になって、私達とこの国が助かっても、何の意味もないのっ!」
「だけど!」
「い・い・か・らっ! もっと考えなさい」
「……無茶言うなよ」
両手が離れ、リディヤは『真朱』を構える。
確かに役割分担は何時もの事だけれど、
『氷鶴』は使えない。
僕の力を使って、無理矢理制御するのも駄目。
リディヤとの繋がりを更に強めて、抑え込むか?
「あ、それいいわね」
「だ、駄目ですっ!」
「何よ? 小っちゃいの。あんたの出番は終わったの。とっとと逃げなさい」
「お断りします。逃げるなら御二人も一緒に、です」
『炎麟』の炎が広がっていく。
禍々しさは感じない。
けれど……確実に発動するだろう。これでも不完全、か。
先程の『黒炎』は、何かしらの枷……いや、ジェラルドが入手した魔法式に込められていた人の怨念だったか。
……どうする。現実的なのは、リディヤと一緒に抑え込むことかもしれないけど、最悪、命がもたないだろうし、成功する可能性も薄そうだ。
ここにはティナが、外にはカレン達もいる。僕一人ならともかく、みんなの命で賭け事は出来ない。
『鍵ヲカケヨ。鍵ヲカケフウジヨ』
!?
また、さっきの声だ。
『鍵』をかけて、封じる?
何をだ? いや、それは当然『炎麟』だろう。
なら、封じるのは誰にだ?
ティナの暴走の様子から、考えて大魔法をその身に宿すのには、尋常ならざる魔力量が必要。
人並以下の僕に封じたところで、暴発して仕舞いだろう。
なら――はっ!
リディヤが振り向いた。その目には、紛れもない歓喜の色。
一歩踏み出し、僕へ近づく。一歩、後退。
もう一歩踏み出し、僕も後ずさる。
「何よ? どうしたの?」
「ま、待った! これは駄目だろう!? どう考えても大問題に」
「東都が消えるよりはマシでしょう? 覚悟を決めなさい」
「だけど……」
「先生、リディヤさんっ!」
ティナの切迫した声。
『炎麟』の炎が定まった。声なき大咆哮。
衝撃波が周囲一帯を襲う。
咄嗟に風結界を張り、やり過ごすも――視界内にある、遠い建物の幾つかが欠損。炎を使わないでこれか。
左手を握りしめられた。うぐっ……な、なんという剛力……。
引っ張られリディヤに強く抱きしめられた。
「……ほーら、こういう時は男からするものよ?」
「そういう話じゃ」
「!?」
抗弁する間もなく、情熱的なキス。
深く深く繋がり――やがて離れた。リディヤが、自分の細い指を唇に。
ティナは声も出せず、真っ赤になって口をぱくぱくさせている。
……ちょっとだけ面白い。
溜め息をつきながら、過去最高の上機嫌状態な我が儘『剣姫』に文句を言う。
背中の炎の翼は、大きく、強く。『真朱』は眩さを増している。
「……強引過ぎるよ」
「あんたが躊躇うからよ。……嫌だった?」
「その質問の仕方はズルいと思う……リディヤ、本当にいいのかい?」
「もう一度、奪われたいの? 私は何回してもいいけど? 大丈夫よ」
「……了解」
リディヤの右手を握りしめ、『真朱』を『炎麟』へ向ける。
目を閉じ――強く強く『箱』を思い浮かべる。
再度、『炎麟』の大咆哮。衝撃。
……分かる。衝撃そのものを打ち消す。
「え?」
ティナの呆けた声。
目を開け、リディヤに声をかける。
「――いくよ」
「ええ」
『箱』の蓋を開放。
建物自体が悲鳴を挙げて軋み、炎混じりの突風が吹き荒れ、リディヤへ集まっていく。
凄まじい頭痛。けど……無視。
何だ? これは……過去の光景??
『オオ、ワガ鍵ヨ。ドウカドウカワレラヲ――』
『鍵』をかける――声が聞こえた直後、周囲から『炎麟』の気配は全て消えていた。
そして、憔悴した様子で気絶しているリディヤを抱きかかえ、ティナへ声をかけ、上がってきたオーウェンと話そうとした直後、僕もまた――意識を手放した。
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