第59話 再戦

 階段を駆け上がり、行く手に立ち塞がる騎士や傭兵は『沼』で拘束しながら先へ進む。

 急がないと。あの我が儘御嬢様の辞書に『加減』という言葉はあまりない。

 まして『真朱』まで抜くとなると……耐火結界があろうとなかろうと、この建物自体の心配が必要だ。

 王子の魔力は、王立学校の訓練場と近衛の演習場で把握しているから、逃しはしない。いや、むしろ、先程から動いていないみたいだ。

 建物の地図は頭に叩き込んである。王子がいるのは――大きな扉を両手で開け放つ。目に飛び込んできたのは、広いダンスホール? がらんどうで、家具は何もなく、窓硝子ですら割れている。

 それにも関わらず、壁のあちこちには灯り。部屋の中心でこちらに背を向け立っている金髪の青年。距離を取りつつ魔法を紡ぐ。


「……来たな、愚民が……」

「っ!」

 

 ゆっくり振り向いた顔を見て、思わず絶句する。

 ジェラルド王子は中身こそあれだけど、少なくとも外見は誰しも美青年だと言うのが常だった。が……今、僕の目の前にいる男の顔から、その事を思い出すのはとても困難だろう。

 頬はげっそりとこけ、顔の至る所に蚯蚓腫れのような赤くただれた痕。自慢の金髪もくすみ、何よりその目。

 瞳からは光が喪われ、淀んでいる。まるで死人のようだ。

 ……だがそこに浮かぶのは間違いなく――底無しの憎悪。


「……貴様さえ……貴様さえいなければ……このような事にはならなかったのだっ。貴様が、あの女を私に譲りさえすれば全てはうまくいき、今頃、私は……。それを、それを……生まれながらにして王家に列なり、あの情けない兄に代わって、この王国を継ぎ、偉大な王となる筈だったこの私の輝かしい路を汚した罪――万死に値する。今日こそ死ねっ! 死ね死ね死ね死ねっ!!! 死んで許される罪ではないが、貴様のような下賤の者と私の将来とでは価値が違うことを噛みしめつつ、出来る限り惨たらしく死んで見せよっっ!!!!」


 相変わらず……か。この人の生きている世界と、僕が生きている世界は余りにも違い過ぎる。相容れる事は決してないだろう。

 真っ直ぐ視線をぶつけ、言い放つ。


「お断りします。たとえ、何回言われても答えは同じです。貴方なんかにリディヤは渡せないし、こんな所で死ぬつもりもありません」

「……ならば――死ねっっっ!!!!」


 王子が腰から魔剣を引き抜き、見た事もない数十の炎魔法を瞬間発動。

 ……何だ? この魔法は。全てが古代の暗号で構築されて?? しかも、展開すらせず、いきなり発動するなんて。

 向かってきた炎魔法はまるで蛇のようだった。躱しても、躱しても、喰らいついてくる。厄介だ。

 駆けながら『水壁』『土壁』を展開して、距離を取るが即座に貫通。込められている魔力量の桁が三桁は違う。見ると、出入り口は既に炎で塞がれている。逃すつもりはなし、か。

 確かに、才覚だけ見れば相当な人だった。努力すれば、近衛騎士の上位に登っていくとも思っていた。

 ……だけど、成長が急激過ぎる。これはやはり。

 何とか躱しながら打開策を考える。室内は次々と火の手があがっている。このままでは遠からず焼け死ぬ。

 魔力は繋いだままだから、余り焦るとあの実は過保護でもある御嬢様が、決着を急いで全てを斬り、かつ焼き払いつつ突進してきてしまう。

 それに出来れば、この男とあの子は会わせたくない。

 

「魔法だけだと思うなぁぁぁぁ!!!!」

「ちっ!」


 『炎蛇』を躱した先に待ち構えていたのは、剣を持った王子。咄嗟に風魔法で軌道をそらし、床に転がって回避。


「ほらほらほらぁぁ! どうしたんだよぉぉ、ええ! 御自慢の魔法制御を使ってみろよぉぉ」


 容赦ない剣と魔法の追撃を辛うじて凌ぎつつ、思考を巡らせる。

 突破口はさっきの暗号か。それと剣が鍵か?

 確かめるには、もう一度魔法を使わせる必要があるな。

 ――そうこうしている内に、部屋の隅に追い込まれた。服のあちらこちらが黒く焦げ、軽く出血して血が滲んでいる。


「何だ、随分と呆気ないではないか。はっ! 所詮は貴様なぞその程度。我が至高の炎で惨たらしく焼け死ぬがいいっ!」

「……それはごめん被ります。これでも、死ぬと怒る子達がいますので。第一、この程度を危機と呼んだら、リディヤに呆れられてしまいますし」


 自分の優位を確信した王子は、僕の言葉を聞くと、苛立たしそうな表情を浮かべ。更に炎魔法を瞬間展開。逃げ道を完全に防いだ。


「これで貴様はもう逃げきれない。くっくっくっ……貴様の後はあの忌々しい女だ。無論、私の価値を理解しない女など殺すが――あの女、外見だけはいい。少しは楽」


「―—御託はいいから、とっとと、かかってこいよ腐れ外道が」


「…………ほぉ」


 顔面を真っ赤に染め、怒気を撒き散らしている王子が魔剣を真上に掲げ、振り下ろした。一気に、数百の炎蛇が僕へ殺到する!

 他属性での防御は効果薄。空中に飛んでも追尾される。

 ならば!

 ―—同数の『炎蛇』を展開、発動。全弾を相殺する。

 普段なら、発動前に介入して分解する所だけど、王子の魔法にはある筈の『間』が全くない。故に、全弾相殺しか手がなかった。

 ……教授が持ち込んだ解読結果に感謝すべきなんだろう。何か癪だけど。

 呆然としている王子との距離を一気に詰め、剣を持っている右手首に魔力を込めた掌底。鈍い音と共に高い金属音。思いっきり王子の腹を蹴り飛ばし、壁へ叩きつける。

 やれやれ。床に突き刺さっている剣を手に取り、突きつける。


「……ここまでです。降伏を。王家も命までは取られますまい」

「…………」


 荒く息をしていた王子は剣の切っ先を濁った瞳で見つめている。

 ……やがて、歪んだ嘲笑が部屋の中に響き始めた。



「馬鹿め。馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿ぇぇぇ!!!! 今からだ。今から――貴様やあの馬鹿女、そして俺を排したあの王を殺すんだよぉぉぉ」

「!」


 ……正直に言おう。僕はこの瞬間躊躇した。剣を振るう事を。

 これは間違いなく僕の驕りであり、甘さだったんだろう。

 結果―—それは顕現した。してしまった。


 上半身の汚れた白服を破り捨てた王子の身体には、びっしりとあの魔法式が刻印されていた。  

 

 ―—そう大魔法『炎麟』の魔法式が。

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