筑前筑後 春秋~小説とその周辺~

筑前助広

第一回 小説を書き始めた理由

 元々、創作を始めるには十分な環境であった。


 母の名を知らぬまま育つという、家庭的には恵まれなかったが、祖父は博多人形師であったし、叔父はプロのイラストレーターとして福岡の都心にアトリエ兼自宅マンションを持てるほど成功しているし、姉は亡くなるまで画家を目指し、兄はゲームクリエーターであった。


 そうした環境で育った故か、何かを創るという事に於いて、心のハードルは低かった。

 兄や姉と並んで絵を描いていたし、TRPGなどを作っていたりもしていた。勿論、本も読んだ。中学生になると、小説も書き出した。しかし、どれも趣味程度。余暇を潰すだけの代物だった。


 そんな僕が本格的に小説を書き始めたのには大きな、そして最近まで思い出すだけで痛痒すら覚えた、一つのきっかけがあった。


 それは、女の裏切りである。


 同棲していた当時の彼女が浮気しているのかもしれないという猜疑と、実際に彼女は浮気していて、女という生き物に絶望し憎悪したけども、やはり女にすがりたい、救われたい、包まれたいという、心に渦巻く暗くて黒い感情の発露として、僕は小説というものを選んだ。


 女の裏切りと言えば、僕だけが被害者のように聞こえるだろうが、そこは男女の仲。僕も大いに反省点はあったと思うし、事実そうだった。自分で言うと顰蹙を買うだろうが、それなりに恋愛を早くからしてきたので、恋愛に対して慢心もあったと思う。それだけに、大きく痛いしっぺ返しを受けた。


 沈鬱な日々の中で、僕はありったけの絶望と憎悪を込めて小説を書きまくった。


「糞!」

「糞!」

「お前など、犯してやる!」


 敢えて表現するなら、こんな具合であろう。だから、当時の作品は暴力と性と沈鬱なラストしかなかった。主人公は大体死ぬし、女は裏切る。志も遂げられない。そうしたラストしか書けなかったし、受け付けなかった。胸糞悪さが現実だと思いこんでいた。


 当然、そうした作品が面白いはずはない。読者を無視した怨念の塊なのだ。これを書くにあたり読み返してみたが、スキル的な稚拙さを無視しても顔から火が出るような恥ずかしさである。



 また、そうしたスタートが、僕と崇拝する藤沢周平を結び付けたのだろうと思う。


 藤沢周平は、念願だった中学校教諭という仕事を結核という病で追われ、それが原因で婚約者と離別。サナトリウムでの療養から生還し、結婚し長女が誕生したが、その八か月後に愛妻が病死。乳飲み子の娘と病がちの母親を抱え、働かねばならなかった。こうした不運と悲しみからくる、黒い魂の孤独を掬い取る為に、時代小説を書き出した経緯がある。



 また藤沢周平自身も、このように語っている。


「三十代のおしまいごろから四十代のはじめにかけて、私はかなりしつこい鬱屈をかかえて暮らしていた。鬱屈といっても仕事や世の中に対する不満といったものではなく、まったく私的なものだったが、私はそれを通して世の中に絶望し、またそういう自分自身にも愛想をつかしていた」


「私自身当時の小説を読み返すと、少少苦痛を感じるほどに暗い仕上がりのものが多い。男女の愛は別離で終わるし、武士が死んで物語が終わるというふうだった。ハッピーエンドが書けなかった」



 故に、藤沢周平という人間を知った時は、「我が意を得たり!」と膝を打ったものだ。



 しかし、こうした事も遠い思い出になりつつある。

 藤沢周平が再婚し、幸せな時間の中で「蝉しぐれ」「用心棒日月抄」そして「漆の実のみのる国」を書いたように、僕も妻に出会い、娘が生まれると、その作風も変わりつつある事を実感する。



 そして、これからの人生が楽しみである。

 絶望と憎悪に満ちた、「溟い海」で漂っていた僕が、目指すべき「みのる国」へ辿り着けるかどうか。


 読者の皆様には、これからの僕の作品がどのような変遷を辿るのか、その精神性まで探りながら楽しみにして欲しい。

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