犯罪工学の少女

アイダカズキ

第0話 獣の肌

 ――隣室からはベッドの激しくきしむ音と、低く唸る獣にも似た男女の営みの声が漏れ聞こえてくる。全身を黒の装いで統一した男は顔色を変えることなく、ソファに腰かけて待ち続けた。

 やがて隣室とのドアが開き、下着姿の女が転げ出てきた。泣き腫らした目のまま衣服を抱え、男には目もくれず廊下へ走り去る。

 隣室から筋肉質の裸体を惜しげもなくさらした男がゆっくりと歩み出てきた。首筋から二の腕、背から尻全体までも覆い尽くした赤黒い鬼子母神の刺青が、汗でぬめ光っている。

「待たせて悪かったな」大して悪びれた様子もなく、刺青の男は腰を下ろした。「言ってくれれば、お前も混ぜてやったのに」

「遠慮しておく」

 刺青の男は鼻を鳴らし、体温を感じさせない相手の白く整った面を見やった。「そんな出来た面を持っていて女嫌いか。男の方が好きなら、手配するぞ」

「そういうわけじゃない。女の肌も男の肌も、俺には熱すぎるだけだ」

「坊主でもあるまいし。女優だかモデルだかの卵なんて、一山いくらで手配してやるってのに。もっとも今日のは駄目だな。払うもん払った割りには愛想のない女だった」

「愛想を振りまく気にもならなかったんだろう。顔を殴ったな」

 刺青の男はさも不当な言いがかりを聞いたような顔になった。「おい、そんな目で見るなよ。金は払ったんだ。合意の上だぜ」

「言い訳なら俺じゃなく、あの女にしろ」

 刺青の男は何かを言おうとして、止めた。「今日はお前からフェミニズムの講義を受けたい気分じゃないんだ。そいつを見ろ」

 黒服の男は机の上に投げ出されたファイルを手に取り、めくった。しばらくしてぽつりと言った。「一月につき3件のペース。仕事熱心だな」

「もう億近い損害が出ている。穴埋めだけでも一苦労だ」

「防火服……催涙ガス……セキュリティカメラの画像は抹消済み。手慣れた奴らだ」

「それなりに屈強な奴を置いておいてその様だ。度胸試しの殴り込みなんかとは毛色が違うし、腰抜けの市民団体には逆立ちしても出せない発想だ。犯行声明も――今のところ、出ていない。それにな……」

 刺青の男は内緒話をするように声を潜めた。「ここだけの話、中国人やロシア人もやられているらしい」

「無差別か。命知らずだな」

「去年の抗争以来、市警に介入の口実を与えないって点じゃ思惑は一致している。何より、チャイニーズやロシアンとはそれなりに『棲み分け』ができている。わざわざ揉め事を起こすとは考えにくい」

「話が見えてきた。こいつらを探せばいいんだな」

「探すだけじゃない。捕らえろ」刺青の男は断ち切るように言った。「お前はうちの『セキュリティ・コンサルタント』だ。あれだ……カウンターテロって奴だよ。口が利ける状態ならなおいい。泥を吐かせる必要があるからな」

「難しいぞ。用心している相手を炙り出すには、それなりの餌がいる」

「『不可能』ではないんだな?」

「ああ」

「ならいい。行け。これ以上やんちゃされたら、お前の信用にも関わるだろう」

 黒服の男が立ち上がる。「ファイルは借りる。少し準備する時間をくれ」

「頼むぞ。金も人も、必要なら幾らでも用意する」

「金はともかく、人はそれほど多く要らない。身軽な方が動きやすい」

 黒服の男が踵を返す寸前、刺青の男は思い出したように言った。「今はゴキブリ駆除に専念しろ。一段落したら、お前にも例の計画に加わってもらう。合わせたい女がいるからな」

「女?」

「ああ。お前と同じ、半島から来た女だ」

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