第四八話:覚醒

「ぐっ……!」

 英二は額の痛みをこらえながらも立ち上がり、凱に加勢しようとした。

 しかしそんな英二の動きを見透かすかのように、ラッセルは近付いてくる英二に向かって邪気の波動を放った。

「うあっ!」

 波動をもろに受けた英二は体ごと後ろに吹き飛ばされた。

 さらに沸き立つ場内。

 英二は地面に叩きつけられ、頭からどろりと血を流した。

 朦朧とする意識の中で、英二は底知れない絶望感を感じていた。

 ダメだ、こいつは化け物だ――

 みんな殺される。

 ラッセルは凱への攻め手をさらに強める。

 凱は既に防戦一方だった。

 ファミリア最高のエージェントである凱。

 そこに自分が加わっても全く歯が立たない。

「ぐっ!」

 ラッセルの右脚から繰り出された強烈なハイキックが凱の右腕を捉えた。

 凱の右手から銃剣が吹き飛んだ。

 銃剣はくるくると回りながら弧を描き、後ろの地面に落下してガシャンと虚しい音を立てた。

 くそっ――

 英二の目には涙が溜まっていた。

 どうしようもない、やるせない思い。

 己の無力感。

「ぐほおっ……!」

 ラッセルの右拳が凱の腹部に叩き込まれた。

 凱の口から血が吹き出し、その体は斜め後方へ浮き上がった。

 ゆっくり、ゆっくりと――ただしそれは英二の目から見える景色での話だったが――凱の体が下の地面に向けて吸い寄せられる。

 ドカッという音とともに凱の体は落下した。

 その腹部は服が焦げ、皮膚は紫色に焼け爛れてた。

「ふん、あっけなかったな」

 離れた演説台の上でルシファーが退屈そうに吐き捨てた。

 英二の頬を涙が一筋伝っていた。

 俺は――俺は――

 ルシファーは地面に落ちている凱の銃剣を拾い上げ、息も絶え絶えで地面に横たわっている凱の元へ戻る。

 英二の脳裏をたくさんの人達の顔が走馬灯のように駆け巡った。

 俺は――結局誰ひとりとして大切な人達を守ることが出来ないのか――

 下の広場は既に勝利の余韻に酔い痴れて大騒ぎをしている。

 くそっ――

 俺は――何の為に生まれてきた――?

 ラッセルは凱の真横につけ、上から凱を見下ろした。

 そして手に持った銃剣を真上に振り上げた。

 俺は――俺は――

 英二は心の底から渇望した。

 力を。

 大切なものを守る力を。

『ふう、やっと扉を開いてくれたか』

 唐突に英二の頭の中に聞き覚えのない声が響いた。

 英二の中で音もなく何かが弾けた。


 終わりだ――

 ラッセルは銃剣を勢い良く振り下ろした。

 しかし、その刃は自分の腰辺りの高さでピタリと止まった。

 なぜ――?

 自分の意志とは裏腹に、その位置にとどまり動かない刃。

 そしてラッセルは理解した。

 背後から、誰かが己の腕を掴んでいることを。

「……もう好きにはさせない」

 背後から不気味なくらい落ち着いた声が聞こえてきた。

 ラッセルは咄嗟にその手を振りほどき、前へ飛びのいた。

 後ろを振り返るとそこには、さっきまで地面に無様に倒れ込んでいた英二が立っていた。


「俺は、大切な人達を守りたい。ただそれだけだ」

 英二はどこまでも澄んだ目でラッセルを見つめていた。

「だから悪いがお前は邪魔だ。恨むなよ」

 英二はゆっくりと前に歩き出した。

 その面構えからは直前までの苦しみや葛藤は感じられない。

 広場から上がる叫び声は少しずつ収まりつつあった。

 皆、固唾を呑んで頭上の景色を見つめ始めた。

 ラッセルが英二に向けて邪気の波動を放った。

 グワッ!

 波動は凶暴なまでの速さで英二を襲う。

 しかし、その波動は英二のかざした右腕の前でバチンと消え去った。

「!?」

 ラッセルの表情には驚きの色が浮かんだ。

 崖下からもどよめきが起こる。

 狂乱から沈黙、そしてざわめきと、広場の聴衆はそのテンションを目まぐるしくかき回されていた。

「ぐあああああ!」

 ラッセルが奇声を上げながら英二に向かって突進する。

 英二は泰然とそれを待ち受ける。

 ぶん!

 ラッセルの拳は宙を切った。

 続けて拳を繰り出す。

 ぶん! ぶん!

 しかし拳は英二をかすりもしない。

 英二は半ば嘲るような余裕を見せながらラッセルの攻撃をかわしていた。

「きえええええ!」

 自分の攻撃がかすりもしないことにラッセルは苛立ちと焦りを見せた。

 ラッセルの攻撃は徐々に大味になり、ますます英二の回避を容易にする。

 ばし!

 英二はラッセルの拳を右手で受け止めると、直後に強烈な左拳をラッセルのみぞおちに叩き込んだ。

「ぶおっ」

 ラッセルは苦しげな声を上げ、体を前に折った。

 その前に突き出される形となった顔を英二は思い切り右脚で蹴り上げた。

 ごっ!という鈍い音とともにラッセルの体は後方へ弾き飛ばされた。

 崖下からは大きなどよめきが起こった。


 凄い、完全に覚醒している――

 凱は朦朧とする意識の中で英二とラッセルの攻防に目を向けていた。

 ずきずきと全身が痛むが、それ以上に驚嘆の気持ちが上回っている。

 英二の中に眠っていた、禍々しいまでの閻魔の血が完全に目覚めた。

 これまではその凶暴な力を扱いきれず、苦心することもあったが、今はその力をコントロールし切っている。

 凄いよお前は。これぞ選ばれし者だ。

 この世界の歴史の中で幾度か現れ、世界を救った伝説の存在、閻魔。

 それが今紛れもなく自分の目の前に降臨している。

 凱は自分がその場に居合わせたことを誇らしくさえ思った。


 一方、その光景を目にしたルシファーは焦りを募らせていた。

「そんな馬鹿な……ラッセルが翻弄されるなどあるはずがない……」

 ルシファーはポケットからガンを取り出し、英二に向けた。

「くそがあ!」

 英二に向かって引き金を引く。

 バレットが英二に向かって乱射されたが、振り返ることすらしない英二の前で音を立てて霧消した。

「くうう……!」

 ルシファーは悔しさのあまり地団駄を踏んだ。

「くそおおお! 邪魔するんじゃねええ!」

 そのまま英二に向かって突進する。

 が、その道半ばで横からの蹴りをくらいルシファーは横転した。

「はあ……はあ……てめえの相手なんざ俺で十分だ……」

 満身創痍の凱がそこに立っていた。

「親父……」

 英二が後ろを振り向いた。

「こっちのことは気にすんな。てめえはそいつを叩きのめせ……!」


 英二は再び前に向き直った。

 蹴り飛ばされたラッセルが立ち上がり、こちらを睨みつける。

 しかし明らかにその顔にはそれまでの余裕は感じられない。

「……そろそろ終わりにするぞ」

 英二は前に踏み込んだ。

 英二の体は前に光速で進みながら2つに別れた。

 大気を切り裂く音がする。

 ラッセルは錯乱し、迷った挙句右から来る英二に攻撃を向けた。

「残念、こっちが正解」

 ラッセルの背後から英二の右拳が唸りを上げて飛び、背中にめり込んだ。

 ばっと衝撃波と炎が垂直に飛び散り、ラッセルはその場に崩れ落ちた。

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