第三二話:デビューミッション

 翌日から早速エージェントとしての実業務が始まった。とは言っても英二はアカデミーを卒業したばかりのずぶの素人だ。初めに英二に与えられたのは事務的な業務ばかりだった。

 英二は黙って業務に取り組んだが、内心は少し拍子抜けしていた。

 早く現場に出て活躍したい――

 その思いは日に日に強くなり、作業も緩慢になり始めていた。

 業務開始から2週間が経とうかという時、そんな英二の内心を見透かしたかのように慎が声を掛けた。

「どうだ英二、そろそろ現場に出てみるかい?」

 英二にとっては願ってもない申し出だった。

「待ってました。行きたい」

 英二は2つ返事で快諾した。

「いいね、前のめりで。じゃあちょっと後でミッションについて詳細を説明するから、私の部屋まで来てくれるか?」


 昼下がりの東京。

 英二は息を潜めて街中の建物の影に身を潜めていた。そっと影から顔を出し、前方にあるレストランの店内をガラス越しに見た。

「いた……あいつか」

 小声で呟く。黒いスーツ姿の男がレストランの窓際の席に座っている。その男こそ、今回のミッションのターゲットに他ならない。

 君に後を付けて追ってもらいたい男がいる――

 そう慎からミッションを受けた英二は、地下鉄道とエレベーターを使い久しぶりに地上世界に戻ってきていた。

 その指示されたターゲットを発見し、英二は微かに緊張感を高まらせた。

 しばらく建物の影から男の様子を眺めていると、男が唐突に席を立つのが目に入った。男はそのまま入り口付近のレジで会計を済ませ、レストランを出る。

「いよいよか」

 英二は男に気付かれないよう細心の注意を払いながらその後を追い始めた。男はレストランを出ると目の前の交差点を渡り、そのまま右の通りを進み始めた。その足取りは軽やかで、こちらに気付いている様子は全くない。

 英二は程よい距離を保ちながら男を追った。男はしばらく大通り沿いに進んだ後、込み入った路地に足を踏み入れた。陽の光が建物に遮られ、少し薄暗くなっているエリアだ。

『どうだ、ターゲットの様子は?』

 脳内に慎のテレパシーが響いた。

「路地裏に入って行った。暗くてちょっと込み入ってるけど、見失わないように気を付けるよ」

『分かった。頼んだぞ』

 英二も男に続いて、その路地裏に用心深く踏み込む。かなり人通りは少なくなっているため、姿を確認することは容易になった。 

 男はずんずんと歩を進め、より奥へ奥へと入って行く。この先に目的の場所があるのだろうか。

 しばらく歩を進めた後、男は急に右の小道に入っていった。英二も急いでその角に向かい、そっと覗き込んだ。

「あれ……?」

 覗き込んだ道の中に男の姿は無かった。男は忽然と姿を消していた。

「うそだろ……」

 英二は俄に焦りを募らせた。ミッションのターゲットを見失うなど、あってはならないことだ。

 用心しながらも、急いでその小道の中に駆け入って男の姿を探す。しかしやはりどこにも男の姿は見当たらない。

 呆然とする英二の頭の中に、再び慎の声が響いた。

『面白いくらいにひっかかったな。お前は何者だ? 何のために俺達をつけている?』

「えっ……!」

 まさか、罠だった?

 そう思うが早いか、英二は後方から不吉な気配を感じて振り返った。自分が来た道に、男が数人立ち塞がってこちらを凝視していた。

「あいつだ! 逃がすな!」

 先頭の男がそう叫ぶと、男達はそのままこちらへ向かって走り出して来た。

 くそっ――やられた――!

 英二は形勢の不利を悟り、男達から逃げる形で道を前方に走り出した。

 何やってるんだろう、俺――

 焦りと悔しさと恥ずかしさが英二の心を満たした。

 初のミッション、安々とこなして力を見せつけるつもりでいたが、その目論見はあっけなく崩れ去った。

 英二は全速力で込み入った道を走った。宛はなかったが、それでも走って逃げるしかない。

 ここで自分が捕まれば、さらに慎達に迷惑をかけることになる。それだけは避けなければという一心だった。

 幸いにも後ろから追いかけてくる男達よりも、走力では英二が上回っていた。英二は徐々に男達との距離を広げていった。

 よし、逃げ切れる――

 英二は少しの安堵感を抱き、次の角を曲がった。

 うそだろ――!

 安堵は一瞬にして失望と落胆へと変わった。曲がった道の先には真っ白な壁が横たわり、完全な行き止まりとなっていた。

 すぐに角を曲がって後方から男達が姿を現した。

「ははっ、こりゃいい。八方塞がりとはこのことだな」

 先頭の男が意地の悪い笑みをこちらに投げかける。

「間違っても、武力行使で強行突破なんて考えは起こさねえ方がいいぜ。俺達3人とも、こういう荒っぽいのには慣れてるもんでね。手加減の仕方もしらねえんだ」

 男達がジリジリとこちらににじり寄ってくる。

 どうする――?

 英二は選択を迫られた。

 このまま大人しく捕まるか、それとも――

「舐めるなよ!」

 英二は強行突破を選んだ。少しでも可能性があるなら、それに掛けるしかないという気持ちがさせた決断だった。これまで磨いてきた力に内心自信があるのも事実だった。

 男達に向かって英二は飛び込んだ。

「あーあ、知らねえぞ」

 英二の拳は空を切った。続けざまに攻撃を繰り出すが、全く当たる気配もない。

「俺1人で十分だ。お前らは下がってろ」

 先頭の男は後ろの2人にそう告げると、素早い身のこなしで英二の背後に回り込んだ。

「おらっ!」

 男は背後から英二の背中に強烈な蹴りを入れた。英二はぐっという唸り声とともに前のめりで地面に倒れ込んだ。

「ざまあねえな」

 英二は地面から必死に立ち上がり、男に向き直る。

「くそおお!」

 痛む体にムチを打って男に殴り掛かるが、男は右手で軽々とその拳を受け止めた。

「てめえにはまだ早えんだよ、ぼっちゃん」

 男は英二の腹に強烈な膝蹴りを入れた。

「ぐほっ」

 英二は再び地面に倒れ込んだ。

「もうめんどくせえから、眠っててもらおうか」

 男は右手に気を集中させ、長い棒状のものをその手のひらの中に出現させた。そのまま棒を垂直に振り上げる。

「そこまでにしてもらえるかしら」

 その時、少し離れた場所から女性の声が響いてきた。その声は4人が来た元の道の方から聞こえてきていた。

「あ?」

 男は棒を振り上げたままその方向に目を向ける。他の2人もそれにならった。

「そのガキ、うちのなんだ。返してもらおうか」

 そこに立っていたのは祥子と哲郎の2人だった。

「おいおい、まじかよ」

 男は苦笑いを浮かべた。

「まさかジョーカーズパークの人間だとはな。こりゃまいった」

「今は見逃してあげるから、早くここから立ち去りなさい」

 祥子が険しい表情で男に迫る。

「けっ、しゃあねえな。行くぞ、お前ら」

 男は残り2人に合図を送り、そのまま3人でその場を後にした。

「大丈夫、英二?」

 祥子が地面に倒れ込んでいる英二の元へ駆け寄る。

「派手にやられたな、小僧」

 哲郎も側にやって来た。

「ごめん……」

 英二は弱々しく声を絞り出した。情けなさから、一刻も早くその場から消え去ってしまいたかった。

 英二の初ミッションは、清々しいほどの失敗に終わった。

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