第七話:慎、動く
自分の幼馴染が両手首を縛られ拳銃を突き付けられている光景は、想像以上にショッキングなものだった。罪もなく命を危険に晒されている藍の姿は、英二の中に激しい怒りの炎を灯した。
英二は無意識に拳を握りしめ、気付けば鬼のような険しい表情となっていた。
「ここを、動くなよ」
英二は慎の声にはっと我に返った。今にも柱の影から飛び出しそうになっていた自分に気付く。
「あ、ああ……」
英二は高ぶる自分の気持ちを必死にいさめた。
先頭の男は人混みの間を縫うように進んでいく。姿を消している以上周りの人間と接触することがないよう、歩みに最新の注意を払っているようだった。
その男の後ろにもう1人の男と、銃を突きつけられた藍がぴたりとついて歩く。
しばらく進んだ後、3人は広場の中心付近に辿り着いた。中心部には人の数が少なく、開けた開放的なスペースとなっている。
すると、それまでじっと押し黙って柱の影から3人の動きを注視していた慎が英二を振り返った。
「そろそろ出番だ。さっきも言ったが、君はここを決して動くんじゃないぞ」
低く響く声で慎は英二に命じた。
「分かったな、これは命令だ」
「分かってるよ」
有無を言わさぬその口調に反論の余地はなかった。
「オーケイ。じゃあ、行ってくる。また後でな」
そう言うと慎は柱を左に抜け、人影に隠れながら広場の中心を回りこむように進み始めた。決して正面からは近付かず、死角に回り込んで不意を付こうとしているのが分かる。
慎の動きには全く慌てる様子はないが、不思議なほど優雅にスムーズに進んで行く。
「あれ……」
英二はあっという間に慎の姿を見失った。
慌てて3人の方に目線を戻すと、広場の中ほどの場所で歩みを止め、前の男が手を額に当てて誰かと話をしているようだった。男は話しながらも周囲を用心深く見回している。
慎、見つかるなよ――
英二は姿の見えなくなった慎の身を案じた。
次の瞬間、男の目が鋭くこちらを向いた。
やばい――!
英二は慌てて柱の影に身を隠した。
気付かれた――?
男の俊敏な動きはそう思わせるには十分信用に足るものであった。一気に拍数を増す心臓の鼓動を感じながら、英二は自分の勘違いであることを願った。
そして同時に、慎の顔が頭をよぎった。
己の不注意で慎の作戦に支障をきたしてしまったとしたら。
不安が込み上げる。
慎は今どこに?
奴らは俺に気付いたのだろうか?
柱に隠れているだけでは状況が全く把握出来ず、英二はいてもたってもいられなくなった。勇気を振り絞って再び柱の影から恐る恐る慎重に顔を出す。
広場の中心部を見やると、3人は以前と同じ場所に留まっていた。先頭の男は先程と変わらず会話を続けているが、その目は既にこちらには向いていなかった。
英二は少し安堵の気持ちを抱いた。しかしホッとしたのも束の間、英二は視界の左隅で1人の老人の姿を捉えた。
老人は地面すれすれまで伸びる大きめの黒いコートを身にまとい、右腕で杖をつきながら前かがみの姿勢でゆっくりと前に進んでいる。のっそりとした老人の動きが目に止まったのは、彼が人混みを抜けてがらんとした広場の中心部に向かっていたからだった。その進む先にあるのは誘拐犯2人と藍の姿のみだ。
右斜め後ろから近付いているため、3人は老人の姿に気付いていないようだ。
なおも進み続ける老人。
老人が3人まで残り10メートル弱という距離まで近付いた時、誰かと会話をしていた先頭の男がハッとしたかのようにその方向へ振り返った。
男は慌てた様子で老人を右手で指差し、もう1人の仲間に荒げた声で命じた。
「撃て!」
その声は少し離れた位置にいる英二の耳にも明瞭に届いた。
急いで振り返るもう1人の男。
藍に向けていた拳銃を老人に向け、迷いなく引き金を引いた。
大きな鈍い音とともに銃弾が老人の体に撃ち込まれた。
老人は体を折って倒れこんだ、ように見えた。
――違う――!
地面に落ちたのは老人がまとっていたコートだけであった。老人の体は綺麗さっぱりその場から消え去っていた。まるで手品でも見ているようだ。
英二は眼前の光景をうまく飲み込めないでいたが、次の瞬間再び理解し難い光景が目に飛び込んできた。
慎が、銃を発射した男の背後に立っていた。確かに直前までは空っぽでしかなかったその空間に。
慎は後ろから素早い動きでその男の銃を取り上げると、即座に首元に手刀を浴びせた。大きく振りかぶったわけではないが、無駄のない動きからの鋭利な一打。
手刀をくらった男はその場に崩れ落ち、それに気付いたもう1人の男が後ろを振り返った。
だが、時既に遅し。
振り返った男は、自分の顔前にある銃口に気付いただけであった。
まさに電光石火の出来事。勝敗は一瞬にして決まった。
すごい――
英二はその光景にただただ圧倒された。
慎の動きは理解可能な範疇を軽々と越えていた。
銃を突き付けられた男は両手を挙げて抵抗する意思がないことを示した。慎は男に指で後ろを向くよう指示し、男は素直にそれに従った。
両手を挙げて後ろを向いている男に近づくと、慎は手錠のようなものをどこからともなく取り出し、瞬時に男の両手を拘束した。
英二はその光景を呆気に取られながら眺めていたが、ふと嫌な気配を感じた。その気配は左側から伝わって来ていた。
そちらに目を向けると、3つ隣の柱の影からまた別の男が慎達のいる広場中心を覗き込んでいた。その風貌から、誘拐犯の仲間であることは一目瞭然であった。
仲間が駆け付けたのか――
英二は危機感を募らせた。さすがに慎達も気付いてはいないだろう。
一体どうすれば――?
頭は焦るばかりでまともに働いてくれない。焦る一方の英二を他所に、男は内ポケットから銃を取り出して広場の中央に向けた。
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